シュレディンガーの三重奏

「先生ビックリしてたねえ。目が大きくなってたもんね」
「仕方ないよ。たぶん先生には初めて言ったから。入学した時の目標を看護師にしてたからさ」

来た時とは違って、お母さんは静かに階段を降りて昇降口へと向かっていく。さっきまでの面談を思い出しているのかなと思った。

「この道。春になると桜で満開になるもんね。今年の入学式……綺麗だったな」
「そうだよね、ここ来るの春以来か。お母さんは」
「そう。不思議なものね。卒業してかなり経つけど……こうやって来てみると、つい最近卒業したような感覚になるもんね」
「……そんなもんなんだ」

昇降口から校門までは一本の真っすぐな道が続く。よく陸上部の人たちが練習してたりするけれど……お母さんの時はどうだったんだろう。

「理系選択かと思ったら、文系。看護師になるのかと思ったら……それも違って。先生も大変だろうけど、冬華も大変ね」

グラウンド横にある中庭に目を向けながら、お母さんがつぶやくように言った。

「そう? そこまで大変じゃないよ?」
「何になるの? まだ決めてない感じ?」
「いや、決めてる。今のところ」
「ふふ……そういうところ、冬華らしいね。で? 何になるの?」

奥の体育館から、キュッキュッとシューズの音が小気味よく響いていた。きっとバスケ部の人たちが練習しているのかも知れない。

「私、コンサルティング会社に入る」
「……大変だよ? 看護師の方が良いんじゃないの?」
「なんで?」
「安定してるじゃん。病院を変えても、免許があれば働けるんだよ?」
「別にそんなの興味ないなあ」

「信じられない」とでも言わんばかりに、お母さんがじっと私に視線を向け続けていた。

「理詰めで考える、冬華らしくないなあ……」
「え? やりたいことで考えなきゃね。何をしたら将来私は楽しいのかなって思ってさ。そしたら……コンサルティング会社に入るの、楽しそうだなあって」
「何。ひろ子のアイデアなの? それ」

思わず私は声を上げて笑った。お母さんがそう思うのも、無理もないなって思った。

「あはは! 違うよ。ひろ子おばちゃんじゃないよ。ね、帰ろう」

足早に校門を出る私。狐にでもつままれたような表情を浮かべながら、お母さんも後に続いた。

「ひろ子じゃないんだ。冬華がそんなこと言うなんて」
「だからさ、違うってば」

私は立ち止まってくるりとお母さんの方に体を回転させた。

「ねえ、あのアパートさ……ペット禁止だよね?」
「……ペット? 犬とか? 禁止だったと思うよ」
「そうだよねえ……」

「私さ、大学に受かったら……猫、飼いたいな」
「猫?」
「そう! で……私、東大目指すよ」
「……東大?」

鞄を脇に抱えながら、スキップするかのように2、3歩前に踏み出した。

「そう! 文系だったら……今から頑張れば行けるかも知れないじゃん! で、東大に入ってお母さんとかひろ子おばちゃんみたいなコンサルタントになるよ、私」
「……」
「やれるだけ、やってみるからさ。その方が楽しそうだしね!」

急に走りたくなって、短い坂道を駆け下りた。
お母さんは急に立ち止まっていたような気がした――。