シュレディンガーの三重奏

放課後の教室は、この前スキーに行った人達の想い出話で盛り上がっていた。先生が「早く帰れよ」とガラリとドアを開けて一喝すると、話声は廊下へと移り、次第に小さくなっていく。

「おお、遠藤。お前何時からだっけ?」
「私、16時からです」
「そうか、じゃあまたな」

終業式も間近に迫り、高校に入ってから初めての三者面談の日。私の順番は5番目だった。

(……お母さん、そろそろ来るかな)

廊下からはちょうど校門を見下ろすことができる。窓にへばりつくように下を覗いてみても、まだ来ている気配はなかった。

(相変わらずマイペースだな)

居場所がないから昇降口で待っていようと階段に向かって歩くと、同じクラスの田中さんとお母さんとすれ違う。

「こんにちは」
軽く会釈して、階段を一段飛ばしで足早に降りていった。

☆

結局、お母さんが栄ケ丘高校の校門をくぐったのは面談の5分前。「10分前には来ててよね」と朝お母さんに言ったのに。

「うわあ! ……全然変わってないねえ」

家じゃ聞かないような高い声を上げて、じっと懐かしそうにグラウンドを見つめるお母さん。

「……そうだよね、OGだもんね。お母さん」
「そうよー、懐かしいなあー……いっつも野球部が練習してたなあ……」
「ねえ、良いからさ。早く行こうよ。遅刻しちゃう」
「はいはい。相変わらず時間に厳しいね」
「……お母さんがルーズ過ぎるんだって」

校舎の至るところをなめるように見ていく。隣を歩く私は恥ずかしさでいっぱいだった。

「ねえ、ジロジロ見過ぎだってば」
「良いじゃない。減るもんじゃないんだから……」
「早く上ってよ。恥ずかしいな」

C組は3階。お母さんはF組だったらしくて「3階までは行ったことないなあ」とつぶやきながら、ゆっくりと階段を上っていった。

階段を上り、正面の一番奥。C組のドアを軽くノックしてお母さんと一緒に教室に入った。

「遠藤です、よろしくお願いします」

急に声色を変えるお母さんに驚きながら、私は教室中央に準備された机に向かって歩みを進めた。

☆

「さて、遠藤……来年は文系か」
「はい」
「てっきり理系選択になると思ってたけどな」

愛梨からも聞かれたし、先生からも「絶対に聞かれるだろうな」と思っていた質問。事務的に淡々と返事をした。お母さんは教室の中を興味深そうに眺めていた。

「でも、文系選択になると……国公立大学の受験。選択肢が狭くなるぞ」
「……そうですか?」
「看護師じゃなかったか? 今のところの希望は」

一瞬間が空いた。それまで教室を眺めていたお母さんも、チラリと私に視線を移す。

「先生。私、看護師になるの止めたんです」

一瞬目を大きく見開いて、「そうか」とだけ先生は言った。その瞬間お母さんが少しだけ微笑むように笑った気がしたのは……もしかしたら気のせいだったのかも知れない。