シュレディンガーの三重奏

ひろ子の所から帰ってきて、冬華は考え込むようになったなと感じていたけれど、この前私と話をして以来……部屋に籠る時間が更に増えた気がしていた。

夏穂も同じように感じていたらしく「冬華、何やってんのかな。カレシでもできた?」と茶化しはするけれど、内心ちょっと心配しているらしかった。

「冬華、何やってんだろうね。最近わたしよりご飯食べ終わるの早い時あるじゃん」
「さあ? 年頃の女の子のことは、私には分からないわね」
「何よ、ママはわたしが年頃の女の子だって思ってないの?」
「……そんなこと、何一つ言ってないけど? 勉強でもしてるんじゃないの?」

以前から夏穂が勉強を始めたことは、冬華も知っているはずだから。ちょっと触発されて勉強をしていてもおかしくないなとは思っていた。何でもしゃべる夏穂と違って、少し秘密主義なところがある子だから……そうであってもおかしいことじゃない。

「ねえ、ママ」
「……何? 勉強進んでるって話?」

台所で皿洗いをする私に、夏穂はところ構わず話かけてくる。……これも小学校の頃から、何一つ変わっていない。

「大学……ってさ、やっぱり高いよね。月謝っていうか、授業料?」

そう。とにかく夏穂は大学の授業料のことばかり心配している。気持ちは分かるけれど……今は何も言わない方が正解な気がしていた。

「……そうね、安くはないわね」
「だよねえ……」
「お母さん思うんだけどさ、学力上げる方が先じゃない?」
「それはそうなんだけどさ。ほら。……お金も心配じゃん」
「別にあんたが心配することじゃないでしょ。お母さんをびっくりさせるくらいの成績を取ってきてみなさいよ。そっちが先だと思うけど?」
「……はあい」


すごすごと部屋へと戻っていく夏穂。昔からとっかかりは良い子だった。ただ、色々なものが長続きしない。別に悪いことじゃないと思っているけれど……こと大学に関しては、「やっぱりいいや」じゃ困る。

コンサルティング会社で馬車馬のように働いた結果、体と心はちょっと壊してしまったけれど、2人を何とか大学まで行かせてあげることができる程度の貯金はあった。だからパートだけで何とかやっていけている。貯金が増えることはないけれど、治るまでは貯金が減ることもない。

「お母さんってさ、外資系だったの?」
「え、何よいきなり」

部屋に入って静かになったなと思った矢先、今度は閉じこもっていた冬華が出てきて質問してきた。

「コンサルティングの会社って、色々種類があるみたいだからさ。お母さんって外資系だったのかなって」
「何よ、色々調べてたってこと?」
「そう。コンサルティング会社とか、仕事の内容とか……色々。」

最近冬華が部屋にこもる時間が増えた。その理由が分かった瞬間だった。

☆

「ビッグ4とかあるんでしょ? スゴいみたいだねー、人気あるんでしょ!」
「……良く調べたじゃない……」
「会計系とかさ、戦略系とか……カッコ良いね、響きがさ!」

冬華の調べた通り、会社というかファームごとにかなり特色がある業界だ。学歴が極めて重視される所だってあるし、知識が重宝される場所もある。

「お母さんは? 外資系?」
「そうだね。外資系だったよ」
「ええ! カッコ良い! 何系? まさかの戦略系?」
「いや、お母さんは会計系だね」
「……そうなんだ」
「会計って言っても広いからね? 戦略系はね……とにかく大変。学歴も求められるし、地頭もいるしね。まあ大変よ。あと…会社の数も少ないからね。倍率も異常に高いね」
「へえ……色々あるんだねえ……」

私がコンサルティング会社の存在を知ったのは、大学2年生の頃だったと思う。まだまだスマホも普及していなかった頃。大学の就職課で、初めて存在を知った。今の時代はネットの普及でコンサルティング会社の存在もだいぶ明るみになっているし、志望する学生も多い。

正しくキャリアを踏むことができる会社なんて、もう……目から星が出るほどの倍率になっているらしい。青田買いをする会社も多いと聞くし。時代は変わったなと思う。

「じゃ、勉強しようかな。ありがとね、お母さん」
「……」
「あ、最近さ、ネットでいくらでも高校数学を解説してくれてる動画があるから……マジで驚いてるんだよね」
「あ、そうなのね……」
「うん。東大とか志望してるわけじゃないしさ……本当にネットで何とかなるかも」

ヒラヒラと手を振りながら、冬華は部屋へと戻っていった。

きっとこの半年間、冬華は相当プライドをへし折られたに違いない。自分の子供だし、それに栄ケ丘の先輩だからそれは痛いほど分かる。

たくさんの天才や能力の高い子達に囲まれて、きっと色々もがいていたんだよね。

きっと塾の悩みだってあったはず。それなりにレベルの大学を考えるのであれば、周囲の子達は予備校を含めた塾を検討しているはずだから。当然冬華の耳にだって入っているはず。

将来の職業を含めて、高校1年生の時にある程度の答えを持っておく必要がある。大学を目指す子達は、それが大変だなと思う。

16歳で未来を決めるなんて。

今考えれば、本当に怖いこと。

(ま、足掻いたことは……何一つ無駄になることはないんだけどね)

夏穂の部屋のふすま。そして冬華の部屋のふすま。両方閉じられているけれど、その先は明るい未来に繋がっていると、私は思った。