「お母さん、これ名前書いておいて」
ひろ子の所から帰ってきた冬華がプリントを私に差し出したのは、夕食が終わった後だった。しばらく部屋に閉じこもっていたし、あの子なりに色々と考えていたんだと思う。
(文系……)
冬華が丸を付けていたのは、理系ではなく文系の欄だった――。
「ああ、ひろ子? ありがとうね、忙しいのに」
「別に良いよ。この前、磯子に帰った時にアパートに泊めてくれたじゃん」
「冬華、どんな感じだった?」
「へえ、気になるんだ。お姉ちゃんにしては珍しいじゃん」
別に夏穂や冬華に聞かれても差支えはないけれど……磯子駅にあるコーヒーショップに入って、ひろ子に電話をかけた。
「そりゃあ、そうでしょうよ」
「別に……いつもの冬ちゃんだったけど?」
「そういうことじゃなくて」
「ははは、特に何もなかったよ? むしろ私の方が心配だよ。野草の天ぷらとか晩御飯で出したから……口に合ったのかなってさ」
私自身、ひろ子の家にはまだ行ったことがない。5年前まではずっと忙しく仕事をしていたし、自分の体調を崩してからは、流石に行けるわけがないから。
「冬華、私の体調のこと……何か言ってた?」
本当に気になっているのは、理系じゃなくて文系に印をつけていることだった。でもなぜだろう、ソツのない話をひろ子に振ってばかりいる。
「いや、それがさ……私も構えてたんだけどね。『聞かれたら何て答えようかな』って。でも全くだよ。お姉ちゃんの体調のことは何一つ話をしてこなかったかな」
「……そうなんだ」
「まあ、もちろん気づいてるとは思うけどね」
「でしょうねえ」
「この前私が家に泊まった時、夏っちゃんからは聞かれたからさ」
小学生くらいまでは、夏穂の方がどちらかというと感受性が強くて、細かい所に気が付くような感じだった。冬華は極端な言い方をすると……全部理詰めで物事を考えるタイプ。あまり感覚とか直観が働くタイプではなかった。
……中学生になると、私の体調が悪くなってしまったから。今はどうなのか分からないけれど。
「まあねえ。夏穂はずけずけ聞けるタイプだからね」
「はは。でもまあ……冬ちゃんなりに色々悩んではいたよ」
「ああ、進路のことでしょう?」
「そう。具体的に悩むっていうよりは……何だろうね、『人生どうしたら良いんだろう』的な?」
「何よそれ」
「タイミング見計らって、直接聞いてみれば良いじゃん」
「……まあ、ねえ」
2人とも、もう高校2年生と高校1年生だから。それなりに分別もついているだろうし、お金のこともリアルに考えているだろうし。特に夏穂は大学に興味が沸いてるみたいだし……。電話を切った後、スーパーに寄って帰宅することにした。
「ねえママ! わたしさあ、最近勉強してるんだよ。いやあ、勉強ってさ、分かると楽しよねえ!」
相変わらず夏穂はよくしゃべる。自分が今やっていること、考えていること。それなりに全部包み隠さずに報告してくれる。まだまだ小学生の頃の夏穂としゃべっている気にすらなる時がある。
「そう。基本的な問題だったら、そこまで難しくないだろうからね。分かると楽しいだろうね」
「先生からも『難しい問題は解ける必要がない』って言われてるからさ。とにかく広く浅く、色々な問題をやっておいた方が良いんだって!」
チラリと冬華に視線を送ると、夏穂の話は耳には入っていないかのように、寡黙に食べ続けている。前からこんな感じだけれど、ひろ子の所から帰ってきてからより考え込んでいるようにも見えた。
(栄ケ丘高校で……1年の秋か。まあ、そうもなるわよね)
自分やひろ子が高校生だった時を思い出して、冬華に重ねることが増えた気がした。
☆
「ねえ、お母さんってさ、前はどんな仕事してたの?」
麦茶を飲む手が止まったのは久しぶりだった。夕食の後にのんびりしていると、冬華が突然口を開いた。
「前? ああ、今の仕事の前の仕事ってこと?」
「そう。ひろ子おばちゃんが言ってたよ。凄かったんでしょ?」
(ああ、そういう話をしてたのね……ひろ子ったら)
もちろん色々な話をしているんだろうと思ってはいた。私の仕事のことも話をしていたんだろうとも。
「まあ。……そんなこともあったかな。あまり覚えてないけどね」
「絶対ウソだよ、だって『頑張ってた』っておばちゃん言ってたよ」
「……」
「ね、コンサルティングってさ、どんな仕事なの? やっぱり大変?」
「……個人のやる気によるかな」
「お母さんはどんな仕事してたの?」
矢継ぎ早に質問を重ねてくる冬華の目を見ているうちに、ずっと昔の記憶が急に蘇ってきた。「看護師さんって、どんなお仕事するの?」って聞かれた気がする。何て答えたんだろう、私は。……冬華がまだ小学生……低学年だった気がするな。
「そうね……会社の社長さんが依頼してくるのよ。『自分の会社がもっと儲かるようにするにはどうしたら良いのか』ってね。で、私達はそれのお手伝い。こうやれば良いですよって」
「……じゃあ会社の社長さんよりスゴいってこと?」
「凄いっていうのは語弊があるかもね。ただ、知識だったり熱意は社長さんを当然上回らないとね」
「……」
「社長って凄いんだよ。自分の力で会社を大きくした人達なんだから。その人達にアドバイスをした時に『なるほど、そうしてみようか』って思ってもらう必要があるでしょう」
「確かに。……難しそうだな」
冬華が看護師さんについて、私に聞いてきた時。かなり昔のことだし……正直何を答えたのかは覚えていない。そして、そのことがきっかけで、冬華が看護師を目指し出したのかも、私には分からない。
だけれど……だけれどっていうわけじゃないけれど……
冬華の想いには、キチンと向き合わないといけない気がした。
「遠藤君。人生ってのはなあ。その時逃げたり適当に済ませたりするとな、必ずいつかもう一度その出来事がやってくるんだよ。……君が成長したのかを試すためにな」
コンサルタントをやっていた時の上司の言葉と声。急に私の脳裏に鮮やかに浮かんできた。
ひろ子の所から帰ってきた冬華がプリントを私に差し出したのは、夕食が終わった後だった。しばらく部屋に閉じこもっていたし、あの子なりに色々と考えていたんだと思う。
(文系……)
冬華が丸を付けていたのは、理系ではなく文系の欄だった――。
「ああ、ひろ子? ありがとうね、忙しいのに」
「別に良いよ。この前、磯子に帰った時にアパートに泊めてくれたじゃん」
「冬華、どんな感じだった?」
「へえ、気になるんだ。お姉ちゃんにしては珍しいじゃん」
別に夏穂や冬華に聞かれても差支えはないけれど……磯子駅にあるコーヒーショップに入って、ひろ子に電話をかけた。
「そりゃあ、そうでしょうよ」
「別に……いつもの冬ちゃんだったけど?」
「そういうことじゃなくて」
「ははは、特に何もなかったよ? むしろ私の方が心配だよ。野草の天ぷらとか晩御飯で出したから……口に合ったのかなってさ」
私自身、ひろ子の家にはまだ行ったことがない。5年前まではずっと忙しく仕事をしていたし、自分の体調を崩してからは、流石に行けるわけがないから。
「冬華、私の体調のこと……何か言ってた?」
本当に気になっているのは、理系じゃなくて文系に印をつけていることだった。でもなぜだろう、ソツのない話をひろ子に振ってばかりいる。
「いや、それがさ……私も構えてたんだけどね。『聞かれたら何て答えようかな』って。でも全くだよ。お姉ちゃんの体調のことは何一つ話をしてこなかったかな」
「……そうなんだ」
「まあ、もちろん気づいてるとは思うけどね」
「でしょうねえ」
「この前私が家に泊まった時、夏っちゃんからは聞かれたからさ」
小学生くらいまでは、夏穂の方がどちらかというと感受性が強くて、細かい所に気が付くような感じだった。冬華は極端な言い方をすると……全部理詰めで物事を考えるタイプ。あまり感覚とか直観が働くタイプではなかった。
……中学生になると、私の体調が悪くなってしまったから。今はどうなのか分からないけれど。
「まあねえ。夏穂はずけずけ聞けるタイプだからね」
「はは。でもまあ……冬ちゃんなりに色々悩んではいたよ」
「ああ、進路のことでしょう?」
「そう。具体的に悩むっていうよりは……何だろうね、『人生どうしたら良いんだろう』的な?」
「何よそれ」
「タイミング見計らって、直接聞いてみれば良いじゃん」
「……まあ、ねえ」
2人とも、もう高校2年生と高校1年生だから。それなりに分別もついているだろうし、お金のこともリアルに考えているだろうし。特に夏穂は大学に興味が沸いてるみたいだし……。電話を切った後、スーパーに寄って帰宅することにした。
「ねえママ! わたしさあ、最近勉強してるんだよ。いやあ、勉強ってさ、分かると楽しよねえ!」
相変わらず夏穂はよくしゃべる。自分が今やっていること、考えていること。それなりに全部包み隠さずに報告してくれる。まだまだ小学生の頃の夏穂としゃべっている気にすらなる時がある。
「そう。基本的な問題だったら、そこまで難しくないだろうからね。分かると楽しいだろうね」
「先生からも『難しい問題は解ける必要がない』って言われてるからさ。とにかく広く浅く、色々な問題をやっておいた方が良いんだって!」
チラリと冬華に視線を送ると、夏穂の話は耳には入っていないかのように、寡黙に食べ続けている。前からこんな感じだけれど、ひろ子の所から帰ってきてからより考え込んでいるようにも見えた。
(栄ケ丘高校で……1年の秋か。まあ、そうもなるわよね)
自分やひろ子が高校生だった時を思い出して、冬華に重ねることが増えた気がした。
☆
「ねえ、お母さんってさ、前はどんな仕事してたの?」
麦茶を飲む手が止まったのは久しぶりだった。夕食の後にのんびりしていると、冬華が突然口を開いた。
「前? ああ、今の仕事の前の仕事ってこと?」
「そう。ひろ子おばちゃんが言ってたよ。凄かったんでしょ?」
(ああ、そういう話をしてたのね……ひろ子ったら)
もちろん色々な話をしているんだろうと思ってはいた。私の仕事のことも話をしていたんだろうとも。
「まあ。……そんなこともあったかな。あまり覚えてないけどね」
「絶対ウソだよ、だって『頑張ってた』っておばちゃん言ってたよ」
「……」
「ね、コンサルティングってさ、どんな仕事なの? やっぱり大変?」
「……個人のやる気によるかな」
「お母さんはどんな仕事してたの?」
矢継ぎ早に質問を重ねてくる冬華の目を見ているうちに、ずっと昔の記憶が急に蘇ってきた。「看護師さんって、どんなお仕事するの?」って聞かれた気がする。何て答えたんだろう、私は。……冬華がまだ小学生……低学年だった気がするな。
「そうね……会社の社長さんが依頼してくるのよ。『自分の会社がもっと儲かるようにするにはどうしたら良いのか』ってね。で、私達はそれのお手伝い。こうやれば良いですよって」
「……じゃあ会社の社長さんよりスゴいってこと?」
「凄いっていうのは語弊があるかもね。ただ、知識だったり熱意は社長さんを当然上回らないとね」
「……」
「社長って凄いんだよ。自分の力で会社を大きくした人達なんだから。その人達にアドバイスをした時に『なるほど、そうしてみようか』って思ってもらう必要があるでしょう」
「確かに。……難しそうだな」
冬華が看護師さんについて、私に聞いてきた時。かなり昔のことだし……正直何を答えたのかは覚えていない。そして、そのことがきっかけで、冬華が看護師を目指し出したのかも、私には分からない。
だけれど……だけれどっていうわけじゃないけれど……
冬華の想いには、キチンと向き合わないといけない気がした。
「遠藤君。人生ってのはなあ。その時逃げたり適当に済ませたりするとな、必ずいつかもう一度その出来事がやってくるんだよ。……君が成長したのかを試すためにな」
コンサルタントをやっていた時の上司の言葉と声。急に私の脳裏に鮮やかに浮かんできた。



