シュレディンガーの三重奏

1階は食事をするリビングと小さな和室、そしてトイレにお風呂。2階はおばちゃんの仕事場らしい。「お風呂は好きな時に入って良いけど、窓は少し開けておいてね」とおばちゃんに言われた。

……外で遊んで帰ってくる、猫ちゃん達の通り道になっているらしい。

3匹の猫ちゃん達は、リビングや畳の部屋でゴロンと寝ている。大きな窓から入る夕日を浴びて、とても気持ちが良さそうに。「この子達と一緒にのんびりしてて」。そう言い残すと、台所に晩御飯を作りに行ってしまった。

(うわあ、毛……ふっさふさじゃん)

「こんにちは! ……名前、なんていうの?」
『にゃああぁ~……』

くああと大きなあくびをしながら同時に鳴いて、思わず私は笑ってしまった。自分の体をぺろぺろと舐めて、耳の後ろをけりけりと掻いている。ぼんやりとしているのか思っていたら、みんなそれぞれにせわしなさそうにしていた。

「左からぺぺ、もも、もっちーだよ」
タオルで手を拭きながら和室にやってきたひろ子おばちゃん。

「もっちーは、一番重たいから。お餅みたいでしょ」
おばちゃんにアゴを撫でられているもっちーは、目をうっとりさせていた。

「冬ちゃんも今日はこの子達から色々と学ぶと良いよ」
「……はは、そうだね」
「この子達は自分にとって心地良いことは何かなって、いつも探してるよ。そんな考え方をしてみても良いんじゃないの? 損得勘定抜きにしてさ」
「損得感情か」
「そうだよ。『やってみたいな』って思ったことに素直に従ってみると、また色々見えてくると思うよ」

☆

夕ご飯は私の知らないものばかりだった。家の周りに生えている野草の天ぷらって言っていた。名前もいくつか教えてもらったけれど、まったく覚えることができなかった。

「これ、買ってきたんじゃないんだ」
箸を持ったまま、まじまじと天ぷらを見つめる私に「今日は全部手作りだよ」と教えてくれた。

「すっごいねえ……買い物しなくて良いじゃん」
「毎日ってわけじゃないけどね。こっちに来てから興味が出てきたんだよ。この味噌汁。味噌も手作りだよ」

ちょっと茶色が濃い。一口飲んでみると、家の味噌と違って甘味が少ない。でもなんだかとっても優しい味がした。

「おばちゃんてさ、何の仕事してるの? ここで」
「ん? システムエンジニアだね。まあ簡単に言えば、お客さんのホームページ作ったり、パソコンでプログラム組んだりしてるよ。便利屋さんみたいなもんだね」
「プログラム……難しそうだな。じゃあ理系の大学出てるの?」
「いや? 大学は文系だよ。そもそもあまり理系とか文系とか、関係ないよ」

「うん、まあまあかな」と言いながら、味噌汁に口をつけた。「文系も理系も関係ない」初めて聞いた表現に、私はなんて答えて良いか分からなかった。

「この前冬ちゃんの家に行った時、夏っちゃんには言ったんだけどね」

箸の動きを止めて、軽く腕を組みながらゆっくりと話始めた。私の脳裏には、ボロボロのアパートに来てくれたあの日が浮かぶ。

「え? 何を言ったの?」
「元々さ、大学を出てから冬ちゃんのママと同じ会社に入ってるんだよ」
「え? お母さんと?」
「そう。大学出てから2年間だけだけどね」
「へえ……そうだったんだ」

「なんであいつにだけ教えてるんだろう」と軽い嫉妬が心の中に渦まいていることに気が付く。でも……不思議とこの環境にいると、そんなことはどうでも良くなった。

「ママは凄かったよ。とにかく仕事ができた。能力も高いしさ、コミュニケーション能力も高いしさ」
「へえ……ママにもそんな時期があったんだ」
「そうだよ。社内のエースだったんだから。でもさ」

『にゃあ』と言いながら、話をしているおばちゃんの膝の上にももちゃんがぴょんと乗ってきた。「あら、あんたも話聞きたい?」と優しく頭を撫でる。

「私には目標もないし。夢もなかったから。2年で辞めちゃった」
「……そっか」
「で、それまで縁もゆかりもなかった九州に一人で来たんだよ」
「自分でやろうって思ったの?」
「いや? そんな度胸もなかったよ当時は。逃げたかったんだと思う。遠くに。とにかく誰もいない所に行きたかった。一人になりたかったんだよ。あの時は」
「……」

窓から見える暗闇に、じっと視線を向けながらおばちゃんは話をしてくれた。まるで当時を思い出すかのように。気がつけばももちゃんはキラキラと輝くような瞳で、おばちゃんをじっと見つめている。

「冬ちゃんは、私とお姉ちゃんの後輩なんだよ。知ってた?」
「……後輩? え?」
「そうだよ。私もママも。栄ケ丘高校の卒業生」

そういうとひろ子おばちゃんは、ももちゃんに「ねー、そうだもんねー」と優しく語りかけ、ももちゃんも『にゃー!』と大きく返事をしていた。