不思議だった。
大分には帰ってしまったけれど、ひろ子おばちゃんは「栄ケ丘高校なんて、スゴいじゃん!」と言ってくれた。家に帰るまでのスーパーに寄ると、レジで「あら、栄ケ丘の制服ねえ。スゴいねえ」と言ってくれる。
私がスゴいんじゃない。
『栄ケ丘に行っている私』がスゴいらしい。
(まあ……確かにそうか)
誰も『私』の内面は知らない。見てくれない。外観から『私』を作るしかないのかと思うようになった。そしてしばらくすると、模試の痛みも日々の生活の中へと消えて行っていた。
意外とみんな、勉強の話をしない。塾に行ってる、行ってないの話は出るけれど、それ以上突っ込んだ話になることはあまりない。
休み時間は至るところから笑い声が聞こえる。これが栄ケ丘が人気がある理由の一つらしい。
……でも、ここ数年は地域のトップ校のわりに大学への進学実績は年々下がってきているらしい。「まあ、そうだよねえ……だって毎日楽しいからね」とみんなの笑顔を見るたびに、一人思うようになり始めていた。
「愛梨、塾に行くようになったんだよね。確か」
昇降口で千景とばったり会って、久しぶりに2人だけで帰ることにした。丘の上にある高校だから夏場は本当に地獄だったけれど、秋の涼し気な風が吹き込むと、単純なもので「この学校にして良かった」と感じる。
「らしいね。この前『体験行かない?』って誘われたよ、私」
「へえ、冬華のこと誘ってたんだ。寂しいのかな。1人だと」
「どうだろうね。横浜駅にあるって行ってたよ」
千景も塾には行っていない。愛梨とは同じクラスだから深い話もよくするけれど、千景はクラスが分かれてからは、あまり深い話ができなくなっていた。
「千景はさ、大学とかどこ受けるか決めてるの?」
「え? いや……とりあえず文系に行こうかなくらいかな」
「そうだよねえ……それくらいだよねえ」
秋。まだ1年生だけれど、文系を専門に勉強するのか理系を専門に勉強するのか決めないといけない。プリントの学校提出が来週と迫っていた。
「冬華は? 看護師だったよね」
「……うん、そうねえ……」
「え? 歯切れ悪いね。変えるの?」
「そういうわけじゃないんだけどさ……」
別に変えたいわけじゃない。でも『決めてしまうこと』が怖いというか……後に戻れない、恐怖に似た感覚が私の中はある。
看護師になるためのルートも、その中の一つだった。
10分ほど歩くと、小学校の前に到着する。それを左に曲がると駅まではずっと下り坂。ようやくボーナスタイムがやってくる。
「でもさ、栄ケ丘ってみんな頭良いよね」
「冬華もそう思う? うちのクラスもヤバい人多いんだよね」
千景のクラス。確か『睡眠学習ができる人』がいるらしいと、噂で流れてきた。……しかも3人。
「あー……あれ? 睡眠学習の人でしょ? 噂で聞いた」
「そうそう! マジでスゴいんだから」
「何? 睡眠学習って。寝ながら勉強してるってこと?」
言葉の響きが、すでに面白い。
「授業中、ずっと寝てるんだよ。でさ……先生が起こすじゃん?」
「まあ、そうだよね。いっつも?」
「基本、数学と英語の時間寝てるね。起こされてさ、先生が聞くのよ」
「ああ、『ほら寝てるとできないだろ』的な?」
「そうそう。でね、全部答えるんだよ。寝てた内容の部分」
一瞬言葉に詰まってしまった。どうせ予習してるんだろうなあと、タネは簡単ではあるのに……。
「え? 全部答えるの?」
「そう。ヤバいよね。数学の難しい問題も英語も。1問も間違えないんだよ。むしろ怖いもん」
「ひゃあー……」
「げえ」とか「ひゃあ」とか……もう文章にならない。勉強以外にも、ここは一芸に秀でている人が多すぎる。
『やらないとできない』私にとっては、自信を失うには十分過ぎる環境だった。だから、スーパーで制服を見て褒められるのは、胸がいつも痛い。笑顔で私を褒めないで欲しい。
「私は自分の限界を知ったよ」
千景がこぼした一言が、私の胸の奥にズンと響いた。
「……分かるなあー……」
「でしょ? 冬華もやっぱりそんな感じ?」
「なんかさ……上手く言えないけど、栄ケ丘に入れるなら、次は自動的に東大に行けます、みたいな? そんくらいに考えてたな」
「それ。ホントそれ」
栄ケ丘は楽しい。本当にみんな仲が良いし、大切な友達もできた。
……でもなんだろう。その代わりに諦めることも増えた気がする。
(違う高校に行ってたら、また違ったのかなあ)
人生をやり直すことなんてできないけれど、やっぱり毎日坂を上るたびに、私は考えてしまう。
大分には帰ってしまったけれど、ひろ子おばちゃんは「栄ケ丘高校なんて、スゴいじゃん!」と言ってくれた。家に帰るまでのスーパーに寄ると、レジで「あら、栄ケ丘の制服ねえ。スゴいねえ」と言ってくれる。
私がスゴいんじゃない。
『栄ケ丘に行っている私』がスゴいらしい。
(まあ……確かにそうか)
誰も『私』の内面は知らない。見てくれない。外観から『私』を作るしかないのかと思うようになった。そしてしばらくすると、模試の痛みも日々の生活の中へと消えて行っていた。
意外とみんな、勉強の話をしない。塾に行ってる、行ってないの話は出るけれど、それ以上突っ込んだ話になることはあまりない。
休み時間は至るところから笑い声が聞こえる。これが栄ケ丘が人気がある理由の一つらしい。
……でも、ここ数年は地域のトップ校のわりに大学への進学実績は年々下がってきているらしい。「まあ、そうだよねえ……だって毎日楽しいからね」とみんなの笑顔を見るたびに、一人思うようになり始めていた。
「愛梨、塾に行くようになったんだよね。確か」
昇降口で千景とばったり会って、久しぶりに2人だけで帰ることにした。丘の上にある高校だから夏場は本当に地獄だったけれど、秋の涼し気な風が吹き込むと、単純なもので「この学校にして良かった」と感じる。
「らしいね。この前『体験行かない?』って誘われたよ、私」
「へえ、冬華のこと誘ってたんだ。寂しいのかな。1人だと」
「どうだろうね。横浜駅にあるって行ってたよ」
千景も塾には行っていない。愛梨とは同じクラスだから深い話もよくするけれど、千景はクラスが分かれてからは、あまり深い話ができなくなっていた。
「千景はさ、大学とかどこ受けるか決めてるの?」
「え? いや……とりあえず文系に行こうかなくらいかな」
「そうだよねえ……それくらいだよねえ」
秋。まだ1年生だけれど、文系を専門に勉強するのか理系を専門に勉強するのか決めないといけない。プリントの学校提出が来週と迫っていた。
「冬華は? 看護師だったよね」
「……うん、そうねえ……」
「え? 歯切れ悪いね。変えるの?」
「そういうわけじゃないんだけどさ……」
別に変えたいわけじゃない。でも『決めてしまうこと』が怖いというか……後に戻れない、恐怖に似た感覚が私の中はある。
看護師になるためのルートも、その中の一つだった。
10分ほど歩くと、小学校の前に到着する。それを左に曲がると駅まではずっと下り坂。ようやくボーナスタイムがやってくる。
「でもさ、栄ケ丘ってみんな頭良いよね」
「冬華もそう思う? うちのクラスもヤバい人多いんだよね」
千景のクラス。確か『睡眠学習ができる人』がいるらしいと、噂で流れてきた。……しかも3人。
「あー……あれ? 睡眠学習の人でしょ? 噂で聞いた」
「そうそう! マジでスゴいんだから」
「何? 睡眠学習って。寝ながら勉強してるってこと?」
言葉の響きが、すでに面白い。
「授業中、ずっと寝てるんだよ。でさ……先生が起こすじゃん?」
「まあ、そうだよね。いっつも?」
「基本、数学と英語の時間寝てるね。起こされてさ、先生が聞くのよ」
「ああ、『ほら寝てるとできないだろ』的な?」
「そうそう。でね、全部答えるんだよ。寝てた内容の部分」
一瞬言葉に詰まってしまった。どうせ予習してるんだろうなあと、タネは簡単ではあるのに……。
「え? 全部答えるの?」
「そう。ヤバいよね。数学の難しい問題も英語も。1問も間違えないんだよ。むしろ怖いもん」
「ひゃあー……」
「げえ」とか「ひゃあ」とか……もう文章にならない。勉強以外にも、ここは一芸に秀でている人が多すぎる。
『やらないとできない』私にとっては、自信を失うには十分過ぎる環境だった。だから、スーパーで制服を見て褒められるのは、胸がいつも痛い。笑顔で私を褒めないで欲しい。
「私は自分の限界を知ったよ」
千景がこぼした一言が、私の胸の奥にズンと響いた。
「……分かるなあー……」
「でしょ? 冬華もやっぱりそんな感じ?」
「なんかさ……上手く言えないけど、栄ケ丘に入れるなら、次は自動的に東大に行けます、みたいな? そんくらいに考えてたな」
「それ。ホントそれ」
栄ケ丘は楽しい。本当にみんな仲が良いし、大切な友達もできた。
……でもなんだろう。その代わりに諦めることも増えた気がする。
(違う高校に行ってたら、また違ったのかなあ)
人生をやり直すことなんてできないけれど、やっぱり毎日坂を上るたびに、私は考えてしまう。



