「懐かしいな、この公園」
「え? ひろ子おばちゃんも来てたの?」
「お姉の付き添いでね。夏はけっこう来てたかな」
公園の奥にプールがあった。私はあまり泳ぐのが好きではなかったけれど、お姉ちゃんに付き添って、よくこの公園には来ていた。
「へえ……ママ、泳ぐの好きだったんだ」
「まあ、文武両道。小さい頃からスゴかったね」
ベンチの上に無造作に落ちている緑色の葉っぱ。手で払っていると、遥か昔の子供の時の記憶が蘇ってくる。
「ねえ、おばちゃん? 聞きたいことがあるんだよね」
「ん? 私で答えられることなら。久し振りだしね」
「ママのことなんだよ」
私を散歩に連れ出した理由が、何となく分かったような気がした。
「お姉ちゃんのことか。何が知りたいの」
「気のせいかも知れないんだけどさ、体調悪いのかなって思う時があって」
「……」
「おばちゃん、何か知らないかなって思ったんだよね」
足を組んだまま、私は動けなくなってしまった。
もちろん、知っている。
でも、どこまで話せば良いのか。お姉ちゃんは「2人に言っていない」って言っていたし。
(何だよ。こりゃ困ったぞ)
九州に移住する前の職場。部下と上司の板挟みで苦しかった記憶が、急に思い出されて、何だか胸の奥がキュっと苦しくなった。
☆
「……体調悪そうな時があるってこと?」
夏っちゃんはどこまで気付いているのだろう。とりあえず夏っちゃんの話を聞こうと思った。
「上手く言えないんだけどね。たまに自分の部屋に閉じこもっちゃうんだよ」
「閉じこもるんだ」
「うん。聞いたわけじゃないんだけど。何かね」
「何か感じるんだ。夏っちゃん的には」
「そう。そんな感じ」
特に夏っちゃんは、周りをよく見ている。表面的なこともだけれど、感情の揺れを無意識のうちに本人がキャッチしているようにも思える。
(上手く言葉にできないんだろうなあ)
とても感受性の高い子だなとずっと思っていたけれど、やっぱり私の感覚は正しかったらしい。
「そうだなあ」
「え? 何か知ってるの?」
「ママには内緒だよ。私が今から話すこと」
私の方にぐっと顔を向けて、大きく目を見開いた夏っちゃんの顔。
私は一生、忘れることはないと思う。
「どこから話をしようかなあ」
「……」
じっと私の言葉を待つ夏ちゃん。
ふと高校生のお姉ちゃんが真顔で勉強をしているところが、急に思い出された。何十年振りの後ろ姿だろう。
「ママさ、高校生の頃めっちゃ勉強できたんだよ」
「……」
「で、難しい大学を目指してたんだけどさ。ちょっと厳しかったみたいで」
「……そうなんだ」
急に悲しそうな目をしている。まだ私が言いたいことも分かっていないだろうに。
「けっきょく私立の大学に行くんだけどね。だいぶ学費のこと気にしてたかな」
「……そっか」
「でね、卒業後はコンサルティング会社に入社したんだよ」
「コンサルティング会社……?」
「うん。簡単にいうと、他の会社が上手く行くようにお手伝いするんだよね」
「へえ……」
あの頃のお姉ちゃんは、鬼気迫る感じで、近寄り難かった。私はあまりお姉ちゃんのことが好きではなかった。
「物凄く仕事もできてさ。『エース』って呼ばれてたよ。周りから」
「そうなの?」
「うん」
「ママから聞いたってこと?」
本当に賢い子だなと私は思った。
「いや、違うよ」
「じゃあ、何で……」
どうしようかと思い、一旦間が空いてしまう。小さくため息をついた。
「私もさ、同じ会社だったからだよ。お姉ちゃんと」
「ずっと近くで見てたから。憧れてたからね」
こぼれ落ちることはなかったけれど、不思議と涙がまぶたにたまる。声が震えないように、平静を保つので精一杯だった。
「そうなんだ……おばちゃんとママ、同じ会社だったんだ」
「そう。でも私は耐えられなかった。それで会社を辞めて、九州に行ったんだよ。逃げたんだよ私は」
「……ごめんね」
はっとした。しゃべり過ぎた私に夏っちゃんは謝ってくれている。信じられなくて、思わずほほが緩む。
「ははっ、別に良いよ」
「……うん」
「でもお姉ちゃんはずっと仕事を続けてたね。5年前まで」
「あ、5年前って……」
「そう。ママが離婚した時」
考え込むように、夏っちゃんは黙ってしまった。きっと彼女の目の前には、5年前のお姉ちゃんと冬ちゃんが出てきているんだろう。
「そっか。それまで私が起きたら、もう仕事で家にいなかったもん」
「スゴいハードなんだよ。それを5年前までやってたからね。本当にスゴいよ」
「……」
「で、仕事は辞めたけど、体調もあんまり良くなかったみたいだね」
「やっぱそうなんだ」
「詳しくは聞いてないけどね。でも大丈夫って言ってたよ」
「本当?」
「うん。じゃないと私、もっと心配してると思わない?」
「確かに! おばちゃんが笑ってるから……酷くはないってことか」
これが私の精一杯だ。
何度も何度も頭の中で繰り返した。
「この表現で良かったかな」って。
緊張が解けたのか、夏ちゃんもホッとしたように、胸を撫で下ろしていた――。
「え? ひろ子おばちゃんも来てたの?」
「お姉の付き添いでね。夏はけっこう来てたかな」
公園の奥にプールがあった。私はあまり泳ぐのが好きではなかったけれど、お姉ちゃんに付き添って、よくこの公園には来ていた。
「へえ……ママ、泳ぐの好きだったんだ」
「まあ、文武両道。小さい頃からスゴかったね」
ベンチの上に無造作に落ちている緑色の葉っぱ。手で払っていると、遥か昔の子供の時の記憶が蘇ってくる。
「ねえ、おばちゃん? 聞きたいことがあるんだよね」
「ん? 私で答えられることなら。久し振りだしね」
「ママのことなんだよ」
私を散歩に連れ出した理由が、何となく分かったような気がした。
「お姉ちゃんのことか。何が知りたいの」
「気のせいかも知れないんだけどさ、体調悪いのかなって思う時があって」
「……」
「おばちゃん、何か知らないかなって思ったんだよね」
足を組んだまま、私は動けなくなってしまった。
もちろん、知っている。
でも、どこまで話せば良いのか。お姉ちゃんは「2人に言っていない」って言っていたし。
(何だよ。こりゃ困ったぞ)
九州に移住する前の職場。部下と上司の板挟みで苦しかった記憶が、急に思い出されて、何だか胸の奥がキュっと苦しくなった。
☆
「……体調悪そうな時があるってこと?」
夏っちゃんはどこまで気付いているのだろう。とりあえず夏っちゃんの話を聞こうと思った。
「上手く言えないんだけどね。たまに自分の部屋に閉じこもっちゃうんだよ」
「閉じこもるんだ」
「うん。聞いたわけじゃないんだけど。何かね」
「何か感じるんだ。夏っちゃん的には」
「そう。そんな感じ」
特に夏っちゃんは、周りをよく見ている。表面的なこともだけれど、感情の揺れを無意識のうちに本人がキャッチしているようにも思える。
(上手く言葉にできないんだろうなあ)
とても感受性の高い子だなとずっと思っていたけれど、やっぱり私の感覚は正しかったらしい。
「そうだなあ」
「え? 何か知ってるの?」
「ママには内緒だよ。私が今から話すこと」
私の方にぐっと顔を向けて、大きく目を見開いた夏っちゃんの顔。
私は一生、忘れることはないと思う。
「どこから話をしようかなあ」
「……」
じっと私の言葉を待つ夏ちゃん。
ふと高校生のお姉ちゃんが真顔で勉強をしているところが、急に思い出された。何十年振りの後ろ姿だろう。
「ママさ、高校生の頃めっちゃ勉強できたんだよ」
「……」
「で、難しい大学を目指してたんだけどさ。ちょっと厳しかったみたいで」
「……そうなんだ」
急に悲しそうな目をしている。まだ私が言いたいことも分かっていないだろうに。
「けっきょく私立の大学に行くんだけどね。だいぶ学費のこと気にしてたかな」
「……そっか」
「でね、卒業後はコンサルティング会社に入社したんだよ」
「コンサルティング会社……?」
「うん。簡単にいうと、他の会社が上手く行くようにお手伝いするんだよね」
「へえ……」
あの頃のお姉ちゃんは、鬼気迫る感じで、近寄り難かった。私はあまりお姉ちゃんのことが好きではなかった。
「物凄く仕事もできてさ。『エース』って呼ばれてたよ。周りから」
「そうなの?」
「うん」
「ママから聞いたってこと?」
本当に賢い子だなと私は思った。
「いや、違うよ」
「じゃあ、何で……」
どうしようかと思い、一旦間が空いてしまう。小さくため息をついた。
「私もさ、同じ会社だったからだよ。お姉ちゃんと」
「ずっと近くで見てたから。憧れてたからね」
こぼれ落ちることはなかったけれど、不思議と涙がまぶたにたまる。声が震えないように、平静を保つので精一杯だった。
「そうなんだ……おばちゃんとママ、同じ会社だったんだ」
「そう。でも私は耐えられなかった。それで会社を辞めて、九州に行ったんだよ。逃げたんだよ私は」
「……ごめんね」
はっとした。しゃべり過ぎた私に夏っちゃんは謝ってくれている。信じられなくて、思わずほほが緩む。
「ははっ、別に良いよ」
「……うん」
「でもお姉ちゃんはずっと仕事を続けてたね。5年前まで」
「あ、5年前って……」
「そう。ママが離婚した時」
考え込むように、夏っちゃんは黙ってしまった。きっと彼女の目の前には、5年前のお姉ちゃんと冬ちゃんが出てきているんだろう。
「そっか。それまで私が起きたら、もう仕事で家にいなかったもん」
「スゴいハードなんだよ。それを5年前までやってたからね。本当にスゴいよ」
「……」
「で、仕事は辞めたけど、体調もあんまり良くなかったみたいだね」
「やっぱそうなんだ」
「詳しくは聞いてないけどね。でも大丈夫って言ってたよ」
「本当?」
「うん。じゃないと私、もっと心配してると思わない?」
「確かに! おばちゃんが笑ってるから……酷くはないってことか」
これが私の精一杯だ。
何度も何度も頭の中で繰り返した。
「この表現で良かったかな」って。
緊張が解けたのか、夏ちゃんもホッとしたように、胸を撫で下ろしていた――。



