シュレディンガーの三重奏

「あれ? 冬華全然食べないじゃん。食べないならちょうだいよ。唐揚げ」
「……別に。良いけど」
「え? マジ? サンキュー!」

基本的に晩ご飯はみんなで一緒に食べる。私の部活はそんなに遅くはならないし。

(……はあ)

千景の話は本当っぽい。

記述の模擬テストだったから、あくまで自己採点しかできないけど……「満点らしいぞ」って男子が騒いでた。

(あのテストで100点近く取る人、いるんだ……)

きっと私は、取れていても50点くらいだと思う。

いや、半分もいかないかも。

愛梨や千景には言えなかったけど……どんなに勉強したとしても、70点とか80点なんて取れる気がしない。

「最近、あんまり食べないね」
「……え?」
「先週くらいから。どっか体調でも悪い?」

お母さんが気にするのも分かる。ぼんやりしてしまって、なぜだか不思議と食欲もあんまり湧いてこない。

「別に……普通だよ。ただ食欲がないだけ」
「そう。それなら良いけど」

お母さんはそう言うと、笑い声が流れてくるテレビに視線を戻した。

「何? ダイエット中とか?」

唐揚げを頬張りながら、空気の読めない声が横から飛んでくる。

「違うよ」
「じゃ、部活でお菓子の食べ過ぎじゃない? 作ってるんでしょ?」
「……うるさい。お前」

なんでいつも能天気なことばっかり言うんだろう。

「何にも考えてないくせに」と思うと、余計にイライラしてしまった。

「『お前』って何よ。冬華より年上なんだけど」
「お前はお前じゃん」
「ねえ、ママ! こいつ、わたしのこと『お前』って言う」

泣きそうな声でお母さんに助け船を出す。

(何よ。調子良いんだから……)

ちらりと視線をお母さんに向けると、蚊の鳴くような声で「そう」とだけ言った。

「ママってば」
「もう……何よ。もうちょっとしっかりしなさいよ、夏穂も」
「ええ……? わたし、ちゃんとしてるって」
「あんまりそういう風には見えないけどね」

口元を緩めながらしゃべっているお母さんを見ると、何だか私はホッとした。

「そういえば、冬華この前……模試があるって言ってたね」
急に思い出したかのように、お母さんが言う。私は一瞬だけ心臓がぎゅうと潰されるような感覚になった。

「え?」
「何かそんなこと、言ってなかったっけ?」
「ああ、先週あった。できなかったけど」
「そう」

そうだった。良い結果を出して、自慢したかったんだった。

お母さんにドヤ顔で「模試があるんだ」って言ってしまってた。

「へえ、模試か。どうだったの? できなかったの?」

私は「できなかった」と言ったのに。なんでこいつはお母さんもいる前で、何度も言わせるんだろう。

「志望校とかも書くんでしょ? どこ書いた?」
「今回できなかったから。……どうせD判定とかだよ」
「ねえって、どこにしたのよ」
「何度もしつこいなあ……」

きっとこいつは何も考えてないんだと思った。純粋に興味があって、聞いてるだけっぽい。

「とりあえず、横浜市立大学と保健福祉大」
「そっか。冬華、確か看護師になるって言ってもんねえ」
「……」

思わず口をつぐんでしまう。一瞬だけお母さんの視線が私に向いた気がした。

「まだ時間あるから。頑張れば」
「……え?」

リモコンを手に取り、お母さんがボリュームを下げる。さっきまで笑い声に包まれていた台所が、一気に静かになった。

「え、何よ。どうして下げたの」
「ん? まあ」
ちょっと不満げなあいつに、お母さんが優しく諭すように答えた。

「3年生の教科って、あんまりいらないから。受験に」
目線をテレビに向けたまま、声だけが私に向かって届いた。

「……まあ」
「3年生になった時、1年生の科目をもう一回勉強できるから」
「うん」
「だから今は、基礎をちゃんとやっとけば良いと思うよ」
「……」

もしかしたら、お母さんは私が食欲がない理由に気が付いたのかも知れない。

なんでそんなに詳しく知っているのか、とても不思議だった。