青春とやらに君と道連れ

「あら。どこか出かけるの? 今日はバイト休みだったわよね」
「あー……」

 円城寺(えんじょうじ)とコンビニで出くわした翌日。11時を過ぎた頃、靴を履いていたところで母親に声をかけられた。もしも訊かれたらバイトと答えるつもりだったのに。先手を取られてしまった。

「えーっと……友だち? と遊ぶ約束があって?」

 円城寺は決して友だちではない。かと言って、バカ正直に“共犯者”に会いに、なんて言ったら母は倒れてしまうかも。嘘をつくのも気分はよくないが、適当に友だちだと言ってさっさと外へ出よう。そう思ったのだけれど。

「えっ、友だち!? 本当に!?」

 はずんだような母の高い声が、オレの背中にぶつかった。思わず振り返れば、その目には涙が浮かんでいるようにさえ見える。

「そっかあ、誕生日に友だちと約束……ふふ、すごくいいね」

 どうしよう、すごく気まずい。この場を切り抜けるための咄嗟の嘘で、喜ばせてしまったみたいだ。オレから友だちというワードが一切出ないことで、ずっと心配をかけていたのかもしれない。

「っ、行ってきます!」
「あ、永遠(とわ)!」

 ここはもう逃げるしかない。今度こそドアノブを捻る。けれど体を半分出したところで、またしても呼び止められてしまった。

「もう、なに?」

「夜にはケーキがあるけど、遅くなっても平気だからね。お友だちとの予定を優先して。楽しんでおいで」
「……ん、わかった」

 にこやかに手を振る母に手を振り返し、今度こそ外へ出る。灼熱の夏にいつもなら愚痴を零すところだけど、今日ばかりは救われた気持ちになった。


「ふ、それで友だちって嘘ついたんだ?」
「だって……そうするしかないだろ」
「たしかに、共犯者に会いに行きますーなんて言えないよな。でもその瞬間の雨森(あめもり)くんの顔見たかったわ。すげー面白そう」
「他人事だと思って……」

 円城寺と合流した瞬間も、どうやらオレは母とのやり取りを引きずっていたらしい。開口一番どうしたのなんて訊かれてしまったから、先ほどの出来事を渋々披露したわけだけれど。笑われてしまったから、腹が立つ。こんなことになるなら、買い出ししたジュースの中にレモンの炭酸もこっそり含めておけばよかった。

「それで喜ばれちゃったわけか。雨森くんのお母さん、心配してたんだろうな」
「ん……罪悪感」

 待ち合わせたのは円城寺の最寄り駅で、家まで歩いて10分ほどかかるらしい。アスファルトからゆらゆらと上がる熱気が、進んでも進んでも消えない。そこにため息を乗せたら、いよいよぐにゃりと沈んでしまいそうだ。

 そうは思っても、飲みこめない憂鬱をはあ、と吐いた時。オレの視界に、円城寺の顔がどアップで映りこんできた。

「うおっ」
「でもまあ、嘘とも言えないんじゃない?」
「え?」
「俺と雨森くんの間では、共犯者ではなかったとしてもさ。こうして夏休みにわざわざ会って、片方の家で誕生日パーティーしようとしてて。他人から見ればそんなの、友だちでしかないだろ」
「それはそうかもだけど……」
「共犯者って関係が、逆に俺たちだけのものなんだよ。雨森くんのお母さんだけじゃなく、他の人には友だちって思わせておけばいい。だからそんな苦しくならなくてよくない?」
「んー、たしかに?」
「はは、半信半疑って感じ」

 円城寺はもっともらしく言うけれど、正直なところいまいち納得はできない。でも、オレを励まそうとしているのだろうことだけは分かった。

 ついつい弱音を吐いてしまった。転校で友だちを作るのはやめただなんて、そんなことまで昨夜さらけ出したからだろうか。母への罪悪感の次は、円城寺に対して居た堪れなさを覚える。

 ままならないなと思ったところで、

「ついた。ここ」

 と円城寺が立ち止まった。いつの間にか、大通りからひとつ中の道へ入っていたようだ。

「おお、一軒家だ」

 生まれてこの方アパートを転々としているからか、一軒家にちょっとした憧れがある。門壁があり、中は玄関の前まで飛び石が並んでいる。向かって左手には縁側が見える、立派な平屋だ。

「雨森くーん。行くぞー」

 ついぼーっと眺めていたようで、アプローチのなかほどで円城寺がこちらを振り返っていた。慌てて駆け寄ろうとしたけれど、オレの足は急ブレーキをかけてしまった。門柱にかけられた表札が目に入ったからだ。

「ん? 内田(うちだ)? なあ円城寺く……」

 首を傾げつつ尋ねようとしたが、円城寺の姿が見えない。もう家の中に入ったのだろうか。置いていくなんて、意地悪なヤツだ。玄関へ数歩を駆けると、扉の向こうではなく左手のほうから声が聞こえてきた。

「雨森くん、そっちじゃなくてこっちなー」
「え?」

 見ると母屋とは別に小さな建物があって、円城寺はそこの扉前でオレを手招いている。不思議に思いつつ近づくと、

「俺の部屋はここな。そっちはじいちゃんとばあちゃんち」
「じいちゃんち? ああ、だから表札が円城寺じゃなかったんだ」
「ああ、そうそう。母親の実家だからな。とりあえず入って、暑いし」
「う、うん。えっと、お邪魔します」

 表札の謎は解決したけれど、頭の中はまだクエスチョンマークでいっぱいだ。ここが部屋とはどういうことなのかとか、そもそもなんでおじいちゃんの家に部屋を持っているのだろうとか。けれど、目の前に広がる光景に疑問たちは一瞬で消え去ってしまった。

「わ、すご……」

 入ってすぐオレの視界に飛びこんできたのは、目の前の壁一面の本棚だった。びっしりと本が詰まっている。おまけに玄関横の壁には、スニーカーが何足も飾られている。いくらかかっているのか、オレには見当もつかない。

「やっぱりびっくりする?」
「うん、かなり。本も靴もすごいね」
「昔から本が好きでさ。意外?」
「いや、ちょっと納得かも。昨日今日話しただけだけど」
「マジか。でも親には、本ばっかり読んで……って呆れられてたけどな。スニーカーはまだバレてないけど」
「へえ……」

 6帖はありそうな部屋にはラグマットが敷かれていて、その上には洒落たローテーブル。そして驚いたことに、奥にはベッドがあった。そのそばにはちいさな冷蔵庫まで置いてあることに気づく。そういえば入った瞬間から涼しい。エアコンも完備されているということか。

「ここ、寝泊まりもできるんだね」
「寝泊まりできるっていうか、住んでるからな。ここが俺の家」
「住んでる? あ、俺の部屋って、そういうこと?」
「そういうこと。まあそこ座ってよ」
「う、うん……」

 円城寺から促されるままに、ラグへと腰を下ろす。買ってきた飲みものをテーブルに置かせてもらったら、指の内側にはビニールの跡がくっきりとついていた。

「簡単に言うと、親は中学の頃に海外に引っ越して、俺は日本に残った。英語得意じゃないし。ここは元々あった離れで、好きに使っていいってじいちゃんが言ってくれて。最初は本を置くだけだったんだけど、ここで寝られるようにしちゃった」
「そうなんだ……」
「あ、これ内緒な。学校のヤツらは、普通に親と住んでるって思ってるし」
「分かった。別に言う相手もいないから、安心して」
「ん、じゃあ準備するから待ってて。あっちから色々持ってくる」
「あ、オレも手伝う」
「さんきゅ。でも一往復で済むから平気」
「そっか、分かった」

 ウインクまで残して部屋を出る円城寺を、オレはどこかぼんやりとしながら見送る。

 円城寺はずいぶんサラリと教えてくれたが、正直驚いた。高校二年生ですでに親とは住んでいない、祖父母の家の離れで暮らしている、だなんて。

 円城寺には円城寺の苦労がもちろんあるだろうが、胸に閃くものをまっすぐに言葉にするなら、羨ましい以外にない。円城寺はすでに手にしているのだ、オレが逃亡資金を必死に貯めながら欲しているものを。自分の意志で、自分のあるべき場所を選択できている。言わばここは、円城寺の城というわけだ。

 大きな本棚を見上げながらいいな、なんて言葉が思わずこぼれた。その声に、

「雨森くーん、開けてー」

 と外から響く円城寺の声が重なってきた。

「っ。はーい」

 一瞬ドキッとしたけれど、聞こえたはずもないよなと深呼吸で心を落ち着ける。

 扉を開けると、円城寺の両腕にはいくつかの袋がぶら下がっていた。その両手の先では、ケーキと思われる箱を抱えている。大荷物だ。

「うわ、大変そう」
「な。普通に手伝ってもらえばよかったわ。デリバリーで頼んだんだけどさ、この量だからあっちの冷蔵庫借りてたんだよ」

 箱をそっと受け取り、扉が閉まらないように支える。円城寺は中へと入り、さっそくテーブルの上に持ってきたものを広げていく。どこに隠し持っていたのか紙製の尖った帽子も出てきて、拒否する間もなく被せられてしまった。

 それにしても、だ。目の前に広がる光景に、オレは呆気にとられてしまう。

「……ねえ、なんか豪華すぎない?」
「そう? でも誕生日だし。しかもふたり分の」
「それはそうだけど……」

 テーブルの真ん中にはホールのバースデーケーキ。それからローストビーフが乗ったシャレたサラダ、骨つきのチキン。溢れんばかりの具が挟まったサンドイッチに、寿司まで出てきた。テーブルにいよいよ乗り切らなくて、チキンとサンドイッチの皿はラグの上に置かれてしまった。

 一体いくら使ったのだろう。オレなんて、ジュースのペットボトルを三本買ってきただけだ。大きなものにしたとは言え、千円もかかっていない。

「円城寺くん、オレお金払う……」
「え、なんでそうなんの?」
「だってオレ、千円も使ってない」
「別にいいって。俺がそうしよって言ったんだし」
「そうだけど……円城寺くんって、なんのバイトしてるんだっけ」
「バイト? してない」
「してない!? え、じゃあこの豪華な料理は……」
「雨森くんってもしかして、俺の家のこと全然知らない感じ?」
「…………? 家のことって?」

 一体なんの話だろう。円城寺の言い方から察するに、学校では常識だったりするのだろうか。目立っている存在だとは言え、一個人の生徒のことなのに?

「まあ、これも簡単に言うとさ。父親が社長で家が金持ち、以上」

 首を傾げていると、円城寺はさらりとそう言ってのけた。

「金持ち……」
「そう。俺名義の口座にまとまった金が入ってて、それ自由に使っていいことになっててさ。まあつまり、こづかいってやつ」
「おこづかい……これが全部……」
「そういうこと」

 家が金持ちと言われてしまえば、全て納得がいく。つまり壁いっぱいの本もスニーカーも、この部屋のもの全部、そのお金で購入したということだろう。

 だからと言って、オレなんかとの突発的なパーティーのためにこのご馳走の量は尋常じゃない。控えめに言って、どうかしている。円城寺の口ぶりからして、彼にとってどんなに大したことのない金額だとしてもだ。

「もしかして、こういうの申し訳なかったりとかする?」
「そりゃあそうだよ……」
「へえ、珍しい。でもマジで気にしないで。俺が好きで買ってきたんだし」
「でも……」
「食べものだし返品不可。食べてくれたほうが俺も嬉しいし助かる。な?」
「う、うん……」

 申し訳なく思うのが珍しい? そんなことはないと思うけれど。とは言え返品不可という円城寺の意見はもっともだし、円城寺はこの話を早く終わらせたいように見える。オレは頷くしかなかった。

「よし! じゃあ雨森くんに、ジュースついでもらっちゃおうかな」

 それでも目を丸くしていたら、円城寺は大きなグラスをふたつ手渡してきた。半ば押しつけるようにそうするのが、まるでオレの驚きを断とうとするみたいだ。今更パーティーをやめるわけにもいかないのだから、与えられた任務を全うする他ない。

「えっと、なに飲む? サイダーとオレンジジュースと、紅茶も買ってみたけど」
「乾杯するならやっぱサイダーかな。炭酸がそれっぽい」
「たしかに」

 せっかくだからオレもそうすることにして、ふたつのグラスにサイダーを注ぐ。円城寺にひとつ手渡せば、ケーキに立てられたろうそくに火が灯された。

「本格的にやるんだ」
「せっかくだからね」

 グラスを手にすると、円城寺はなにか考えるように空中を見上げた。数秒して、よしと呟く。

「まずは雨森くん、お誕生日おめでとう」
「あ、うん。ありがとう。えっと、円城寺くんもおめでとう」
「ありがとー。じゃあ……“人生でいちばん楽しいらしい17歳”に、乾杯」
「へ……ふ、乾杯」

 あくまでも誕生日のお祝いなのに、たっぷりと皮肉の効いた音頭でつい笑ってしまった。でも、いいんじゃないかな。昨日初めて話したばかりのオレたちには、むしろぴったりだ。グラスを合わせて、ちょっと戸惑いつつも一緒にろうそくの火を吹き消した。

「なあ、マジ遠慮なしで食ってな。俺の好みで揃えたから、マジで全部おすすめ。でもまずはチキンとかどう?」
「じゃあ……いただきます」

 やっぱり申し訳ないなという気持ちと、同級生とふたりで食事という初めてのシチュエーションと。複雑な思いに動きをぎこちなくさせながら、チキンに手を伸ばした。正直、おすすめをしてくれて助かった。そうじゃなかったら、どれから食べればいいかすら大いに悩んだはずだ。

「うわ、うま……」
「だよな! スモークしてあるのが好きでさ」
「分かる……」

 円城寺は他のものも、どこが特に気に入っているかを説明しながら勧めてくれた。お世辞抜きで、全部おいしい。こんなに準備してもらった申し訳なさを、円城寺の笑顔が飛び越えさせていくくらいに。