オタクの好きは違うから

「——先生、みなと先生」

僕はハッとした。
風坂さんに名前をなんども呼ばれていたのだろうが、全く気がつかなかった。

「大丈夫ですか?お疲れのようですが…」

「あ、ああ…うん。ちょっとね」

夏休みも折り返しとなったところで、僕は風坂さんと来月載せる話の編集をする予定を立てていた。
それが今日というわけだ。
だけど当然集中なんてできるはずもなく、このザマ。

「今日はやめにしましょう。てきとうな編集されても困りますし。だから、とりあえず話を聞きましょうか」

風坂さんはそう言って、僕の手に握られたペンを取り上げた。
僕が集中できてない時はこうやって話を聞いてくれる。
でも、今回ばかりはなにも言えない。

「あの、僕…」

言葉を続けようとしたところで、ふと思った。
そう言えば風坂さんとは中学2年生の時から知り合いなんだった。
当然僕の“本性”も知っているわけで、別に話してもいいんじゃないかと。
そう思った。
だけど言葉が出てきてくれなくて、固まってしまった。
すると、風坂さんは言った。

「東歌組若頭、東歌航希のことでしょ?」

「えっ?」

僕は思わず顔をあげた。
東歌組…若頭…?

「あれ、知らなかったんだ。少し前にあいつの本家に連れていかれてたじゃん」

風坂さんが、いつもと違う。
こんなに怖い人ではなかったのに。
なぜか、恐怖を感じる。

「この際だから、俺のことも話してあげるよ。俺は風坂組の若頭で、あいつは敵ってわけ。俺はあいつを恨んでるんだよ」

「どう…して」

僕の質問に、風坂さんはニッと口角を上げた。
その瞳にはなにも映っていない、
いや、闇が深すぎてなにも感じ取れないのだ。

「あいつの親父、東歌総帥は俺の親父を殺した。でも、総帥はもういない。なら、航希に復讐するしかないんだ」

ゾクッとした。
なにかが壊れてしまっているような気がしてならない。
元から、どこか黒いオーラを感じていたけど、そんなものじゃない。

「俺たちヤクザの世界じゃそんなもんさ。負の連鎖ばっか。俺もその連鎖の中にいる。だから、俺があいつに復讐するのだって当たり前さ」

風坂さんは笑っていた。
——怖い。
ずっと信頼していた人がヤクザで、しかもこんなに怖い人だったなんて。
逃げ出せない。
そう思っていた時、ふと風坂さんの表情が戻った。

「湊士はあいつのことが好きなんでしょ?でも、フラれちゃった。でも、君たちは両思いさ。じゃあなんでフラれたんだろう?」

「どういうことですか…?両思いって、なんでそんなこと…」

「あいつをずーっと見てきたからわかるんだ」

風坂さんは僕の腕をギュッとつかんだ。

「湊士に向ける表情は友情じゃない、恋情だってね。でも、俺があいつにトラウマを植えつけちゃったから、ごめんね?」

トラウマ…風坂さんが…植えつけた?
話の内容がいまいち読めないけど、それでもこれだけはわかる。
あの日航希くんが「ごめん」って言ったのも全部、この人のせいだって。
なんで、どうして。
ずっと信頼してたし、だから自分をさらけ出せた人なのに。

——裏切られた?

まるで闇の底に落とされた気分だった。

「あーあ、傷ついちゃった?ごめんって。最初から利用してたんだよね、湊士のこと。航希と出会わせて、そうしてこうなるのを待ってたんだ」

相変わらず、にこにこと笑いながら言う。
利用、されてたんだ。
ただ純粋に信じた人に裏切られるって、こんな苦しいことなんだ。

「どうしてっ…利用なんか…」

「どうして?それって、君が言えるの?」

「え…」

「いやだってさ、君も自分を偽って好きな子堕としてんじゃん。同じでしょ?」

僕は——俺は言葉を失った。
そうだ、なんも違わない。
俺はそうやって嘘ばっかついて、今の風坂さんみたいなことをやってたんだ。
責めることなんて、できやしない。

——俺が腐る理由としては、もう十分だった。

「じゃあさ、俺と“ゲーム”しようよ」

「ゲーム…?」

「そ。勝敗は単純、湊士が俺に堕ちたら俺の勝ち。俺が湊士に堕ちたら湊士の勝ち。湊士が勝ったら、俺はもう金輪際航希に近づかない。それと、航希と仲直りできるようにしてあげる」

それ…は、いい話だとは思う。
このままじゃどうやったって元の関係にすら戻れない、だから風坂さんの助けがあれば…。
でも。

「あの、俺が負けたら…?」

すると、風坂さんは笑って言った。

「湊士が一生俺の言いなり。あ、ちなみに。ゲーム中は湊士は俺の彼氏になってもらうから。それにさ、航希への恋心、なくせるかもしれないよ?どう?やる?」

俺は惚れっぽいし、負ける確率の方が高いと思う。
それに、一時的でも風坂さんの恋人にならなきゃいけない。

——でももう、どうでもいっか。

そんな考えが、浮かんでしまった。
もう、航希くんへの気持ちは捨てた方が楽になれるんだ。

***

「ねぇ…あれって…」

「うそ、湊士くん?」

「いやいや、雰囲気違いすぎ…。どうしちゃったんだろ…」

今日から新学期。
俺はいつものように廊下を歩き、自分のクラスまで移動する。
いつもは人に話しかけられるけど、今日は話しかけられるどころか避けられてる。
そりゃそうだ。
だって——。
ガラッ。
教室の扉を開けてすぐに梨仁と氷翠の姿が目に入った。
だけど俺は挨拶をすることもなく、自分の席に座った。
それから我に返ったかのように、梨仁が話しかけてきた。

「湊士…!?お前…どうしたんだよ!?」

「梨仁、うるさい」

俺はふたりをギロッと睨んだ。
“俺以外の奴と必要最低限以外喋んな。あとはいつも通りでいいよ〜”。
深とはそういう約束をした。
“いつも通り”と言えば、好きなタイプを演じること。
だから雰囲気もガラッと変えた。
髪色は黒髪に戻し、耳には久しぶりに2・3個ほどピアスをつけ、制服は着崩した。
“不良”。
これが深のタイプだった。

「うるさい…って、答えてくれてもいいじゃねぇかよ!?」

「知らね」

梨仁も氷翠も高校からの友達だから、俺の本性を知らない。
当然の反応だな。

「湊士…本当にどうしたの?なにかあったなら——」

「お前らが俺を知らなかっただけ。ただそれだけのことだろ」

それはそう言って氷翠を突き放した。
ふたりは傷ついた顔をしていた。
もう、戻れない。
だけどこれでいい。
最低な俺は、もう何も望んじゃいけないから。
梨仁が口を開こうとした時、チャイムとともに先生が入ってきて強制的に席に座らせられた。
正直、助かったと思った。
ホームルームが終われば、もうこんなピリピリする必要もない。
だって——。

「じゃ、みんな席ついたね。今日は教育実習生を紹介する。入ってきて」

その瞬間ドアが開いて、“教育実習生”が入ってきた。
教卓のところで立ち止まり、俺たちに挨拶をした。
「初めまして、風坂深です。担当教科は体育です。3週間よろしく」
風坂組の権力で教育実習の話を無理やり成立させたらしい。
まあ、それを知ってるのは理事長だけらしいが。
たかが俺とのゲームのため。
でも、俺にとっても好都合だからこれでいい。
航希と自然に距離が取れるし。

「それじゃ、風坂先生に教室案内を……」

担任が話している間に、深は俺のとこまで歩いてきて目の前で立ち止まった。
そして、いつものようににっこり笑って。

「湊士、久しぶり。今日の昼暇?」

それも同じように笑った。

「暇じゃねぇって言っても無理やり連れてくんだろ。聞くなよ、深」

「ははー、よ〜くわかってんじゃん。てことでよろしく」

教室がザワッとうるさくなった。
俺と深が知り合いだなんて、誰も予想してなかったんだろう。
そのあと深と俺が質問攻めにあっていたのは言うまでもないだろう。

***

「湊士ー、行ける?」

「ああ、うん。てか、後で食堂行っていい?今日弁当ない」

「あ、そうなん?おっけー」

昼休み、いつもは氷翠と梨仁、航希とお弁当を食べるが、今日からはそんなわけにはいかない。
ふたりと縁を切ることが深の望みなら、そうするだけだから。
そのくらいはしないとこの“ゲーム”には勝てないだろうから。
そして、俺が席を立ち上がった時。

「おい湊士!お前、そいつと行くのかよ。……東歌は?」

梨仁か。
深も見てるし、ここは派手に避けないと。

「しらねぇよ。てか、なんで航希といる必要あんの?」

「は…?お前なに言って…」

「だって俺、深と付き合ってるから」

俺の言葉に、ふたりとも黙り込んでしまった。
特に梨仁には航希のことが好きだと言ってあって、だから好きでもない奴と付き合っているという事実に驚いているのだろう。

「それ…で、いいのかよっ…」

「俺が決めたことだから、口出しすんな」

そう言うと、梨仁はもうなにも言えなくなった。
そうして深に肩を抱かれ。

「そういうことだから。じゃあね」

俺たちはその場を後にした。

***

その後は校舎を全部回って、一通りの説明をした。
終わってから食堂で急ぎめにご飯を食べて、もう昼休みも終わりを告げようとしていた。
深は次の授業の準備で職員室に戻った。
俺は妙に人気のない場所を選んで教室に向かった。
深がいないと周りの目を気にするから。
これ、結構疲れるな。

「はぁ…」

俺は思わずため息をついた。
自分でやると決めたのに、こんなに疲れて初日からちょっと嫌になってる。
そして、もう一度ため息をついた。

——その時。

ガラッ。
左横にある教室から航希が出てきた。
俺は驚いて一瞬固まる。
けれど深の言葉を思い出し、なにも言わず通り過ぎた。
いつもだったら話しかけてるのに。
自分でやっといて辛くなって、俺は下唇を噛んだ。
と、その時、俺は腕を思いっきり引っ張られた。
驚いて振り返ると、そこには航希が不機嫌な様子で立っていた。

「なに、そのカッコ」

俺は息を呑んだ。
あの日梨仁に向けられていた冷たい視線が、今俺に向けられている。
なにに怒っているのかはわからず。
けれど、頭の中で突き放さねばと思い。
俺はつかまれた手を振り解いた。

「航希にはもう関係ないだろ?俺のことに口出しすんなよ」

やるならば、とことんやろう。
俺はもう航希への気持ちは消すと決意したのだから。
辛い気持ちは全て心の奥底に押し込んで、そう言い放った。
すると、航希は俺を空き教室に連れ込んで、俺を壁に押しつけた。
ドンッと鈍い痛みが走って、思わず表情を歪める。
そして次の瞬間、唇が重なった。
あの時のような優しいキスじゃなくて、まるで全部喰われるような荒いキス。

——力が抜けて、抵抗できない。

その時、俺の足が耐えられなくなって床に座り込んでしまった。
それから真っ直ぐに見つめられて、俺は言葉を失った。

「関係ないってなんだよ。ほんと…嫉妬でおかしくなる」

「っ…!」

その言葉に俺はハッとして、航希を押しのけた。

「なんだよ…それ…!じゃあ、昨日の“ごめん”って言った意味は!?もう…意味わかんねぇよ!!」

「…意味わかんねぇのは湊士だろ。あいつと付き合ってんの?」

その言葉に息を呑んだ。
もう、知ってたんだ。
だから引き留めて、俺を空き教室に押し込んだってわけか。
どうせ言ったのは氷翠とかだろう。

「そう…だよ。俺今、深と付き合ってるから」

「っ…、あいつはやめとけ…!あいつは…!」

「ヤクザだからって?」

その言葉に、航希は固まった。
知らないとでも思ったのだろうか。
なんだよそれ。
もう、言葉が止まらなかった。

「そんなのもう知ってるし。てか、危ないっていうなら航希もじゃない?だって、東歌組の若頭なんでしょ?深と変わんないじゃん。てかさ、今更なんなの?俺が誰と付き合おうが航希には関係ないんだって!!お前なんか大っ嫌いだよ…!!」

そこまで言って、俺はハッとした。
こんなこと、いうつもりなかった。
でももう遅くて。
航希は、傷ついた顔をして視線をそらした。

「……ごめん」

そう言って、教室を出ていった。
なんだよ、ごめんって。
なんだっていうんだよ…。

「好きになっちゃったんだもん…!!」

ボロボロと、涙が、溢れて、溢れて、止まらなくて、悲しくて——。
どこまでも闇に堕ちていく気がした。
好きになってしまったから。
好きになっちゃったから。
好きになったせい。
恋なんて嫌い、大嫌いだ。
こんな辛い思い、したくなかった。
そう思い深く深く沈んでしまいそうになった時、後ろでドアが開いた音がした。

「湊士?」

勢いよく振り返った先に、梨仁がいて。
もう、取り繕うことなんかできなくて。
なにも言えぬままただ泣き続けた。
もう俺のことなんか嫌いになったのだろうと思っていた梨仁が、俺を優しく抱きしめてただ背中をさすってくれた。

「大丈夫。泣けるだけ泣いて」

その言葉にまた涙が溢れ、俺はみっともなく泣き腫らした。

***

「落ち着いた…?」

しばらくして泣き止んで、俺にそう聞いてきた梨仁。
俺は返事をせずチラッと時計を見た。
もう5限目も終わろうとしている。
梨仁はどうしてここにきたんだろう。
そんな疑問が、ふと頭の中に浮かんできた。

「どうして…ここに…?」

「え?あー…湊士と航希の姿が教室になかったから、もしかしたらって思って。サボってきちゃったんだよね」

なんだ、梨仁もそういうことするんだ。
そう冷静に思えた時、俺は初めて梨仁の肩から顔を離した。
俺が顔をつけていた場所は濡れていて、俺の涙だと気がつきあせった。

「ご、ごめん…肩…」

「ん?ああ、こんなの全然いいよ。気にすんなって。それより、なにがあったん?」

俺はその言葉にうつむいた。
言っても、梨仁に嫌われるだけ。
黙ってた方が——。

「おい、湊士」

「むぅ…!?」

突然頬をつかまれて、視線を無理やり合わせられた。
真っ直ぐ見つめられて、そらすことなんてできない。

「俺、湊士のことちゃんと知りたいんだって。湊士のこと、ほんと俺なんも知らなかったんだって知らされた気がした。でも、やっぱ好きなんだ。だから、ちゃんと教えて」

俺は固まった。
いいのか…?ここで信じて、また裏切られたら?
でも——。

「あのね、梨仁。俺…」

そうして俺は全てを話した。
両親が離婚していて、母親が不倫をしたことから普通の恋ができなくなったことから。
深や航希がヤクザで、さらにキスされて、そしていつも「ごめん」と言われることまで。
全部を話した。ただただなにも言わず真剣に聞いてくれるのが嬉しかった。
話し終えたのは、もう6限目も終わりに近づいた頃だった。

「なるほどなぁ。マジいろいろありすぎて、俺なら頭パンクしてるわ」

僕は苦笑した。
でも、やっぱり、そうだなって思う。
口にだしてみてわかった。
俺ってほんと、バカみたいなことしてるよなって。

「ほんと、わけわかんないよな。航希のことが好きなはずなのに、深と付き合ったり。その結果がこれとか…笑うわ」

俺ははっと鼻で笑った。
そんな俺に、突然梨仁が言った。

「俺、東歌って嫌い」

俺は驚いて視線を梨仁に向けた。

「ヘラヘラ笑ってるし、いつも湊士の中心にいるし、湊士のこと泣かせるし。だから、あんな奴嫌いになっちゃえばいいじゃん。あんな奴、湊士には必要ないよ。最低じゃん、東歌」

「そんなことない…!!」

俺は思わず声を荒げた。
ハッとして口を自分の手でふさぐ。
なんで…そんな言葉が…。
自分で驚いた。
でも、これだけはわかる。
梨仁に航希のことを“最低”って言われて嫌だった、どうしようもなく嫌で声をあげたんだと。

——そっか、わかった。

「好きになっちゃったんだもん、仕方ないじゃん…!!」

そうだ。
俺は本気で航希のことが好きなんだ。
他でもない“東歌航希”だから好きで、航希だからこんなにも必死で、苦しくて涙を流すんだ。
その時、梨仁がふっと笑って俺の頭を撫でた。

「うん、わかる。好きになったら諦めらんないし、そいつのことどうしようもなく好きだーって思っちゃうんだよな。俺がそうだし」

その言葉は俺に向けられていた。
梨仁は俺のことが好きなんだって、再確認させられた気がした。

「いいじゃん、間違えたって。俺もあんま上から目線なことは言えないけどさ。でも、恋ってそういうものだと思う。嬉しくて笑ったり、苦しくて泣いたり、嫉妬で怒ったり。全部ひっくるめて恋するってことだと思う。だけどさ、バッドエンドで終わんの嫌じゃん?だからさ、東歌とちゃんと向き合えよ。当たって砕けたら、俺がもらってやるし。な?」

じわっと、なにか温かいものが心に落ちた。
そっか、そうなのかな、間違えっていいのかな。

「あり…がと。俺、ちゃんと航希と話す」

「おう。…俺もさ、湊士がずっと苦しんでるより、好きな奴とくっついて幸せになってくれた方が嬉しいよ。もちろん、俺が湊士を幸せにしたいっていうのはあるけど。でも、俺じゃ湊士を幸せにさせてやれないみたいだから。だから、その代わり手伝わせて」

嬉しかった。
梨仁は本当にいい奴だ。
俺だったら絶対こんなこと言えない。
なのに、梨仁は当たり前かのように、そういう言葉を言ってくれる。

「ありがとう」

俺には、お礼を言うのが精一杯だった。
けれど、梨仁はとびきりの笑顔で笑ってくれた。