オタクの好きは違うから

「ねー、湊士。急だけど明日水族館行かない?」

そんなふうに航希くんに言われたのは、6月の下旬に入った頃だった。
梅雨真っ最中というか、雨の多い時期だった。
僕は突然の提案に驚きながらも、当然のように頷いた。

「もちろん。でも、どうして水族館?」

「本当の上書き」

その言葉に、僕はドキッとした。
あの日水族館に行った帰り道に、「今度は本当の上書きしてあげる」って言われたんだ。
たぶん、水愛先輩と行ったあの水族館に行くって意味だと思う。
それはわかっていても、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ、航希くんとまた遊べることが嬉しく感じる。

「じゃ、じゃあ僕が水族館案内するね。航希くんは行ったことある?」

「いや、行ったことない。だから、湊士に頼む」

僕は「おっけー」と返事をした。
結構有名な水族館だけど、行ったことがないなんて意外だ。
その辺の女の子と行ってそうだし。
でも、ないというなら僕は初めてを取っちゃうってことだよね?
嬉しいかも。
と、考えていた時。

「あっ!?東歌航希!!」

自販機で飲み物を買ってくると出て行って、戻ってきたであろう梨仁が声をあげた。
もちろん、その後ろには氷翠が立っている。

「梨仁じゃん。元気?」

わざとらしくいう航希くんにイラついたのか、ふいっと顔を逸らした。
この4人ではこの間一緒に遊んだんだけど、その時に梨仁は航希くんになにか言われたのか敵視してるっぽいんだよね。
仲良くしてほしいんだけどなぁ。

「ほらほら、梨仁は怒ってないで。ご飯美味しくなくなっちゃうよ?これからお弁当食べるのに…」

氷翠に言われたので、しぶしぶという形で座った梨仁。
それを見てか、航希くんは僕に言った。

「それじゃ、俺はこの辺で行くね。湊士には後でラインするから」

「わかった!じゃあね!」

僕は笑顔で航希くんを見送った。
その後姿が見えなくなって、梨仁がつぶやいた。

「ほんとに雰囲気変わったよな、東歌。今まではもっとこう…クール、無気力!って感じだったっていうかさ」

「うーん。でも、湊士前だと、いつもこんな感じじゃなかった?」

「たしかに」

ふたりが言うように、雰囲気は変わったのかなって思ってる。
それに、最近は女の子と遊んでるのを見たことがない。
なんでも噂では、本命の子ができたらしい。
まあ、ただの噂なんだけどね?

「本命できたから?」

梨仁の言葉に、少しだけドキッとした。
本命…か。
なんかその言葉を聞くと、胸の奥におもりが乗っかったみたいに重くなる。
チクチクする感じもあって、なんかすごく嫌。
本命ができたら、もう僕のことなんか眼中になくなるかもしれない。
それは嫌。

「まあ、噂だしね。あんまり信じても仕方ないと思うけどね。それより〜、梨仁はいつになったら、航希くんと仲良くなってくれるの?僕と湊士の気持ちも考えてよね!」

氷翠は、まるで僕の傷ついた顔にでも気がついたように話をそらした。
でもそれはずっと思ってたことだし、僕もうんうんと頷く。

「い、いやそれは…。あ、あいつが悪いんだって!!」

「も〜、梨仁はそればっかり!」

いつもそう言って、具体的なことなんて答えてくれないの。
ひどいと思わない?

「と、とにかくふたりは気にしなくていいんだって!」

「ふ〜ん」

僕は疑いの目を向けてから、小さくため息ついた。
まっ、いいや。
本人が話さないなら、あんまり深く聞いちゃうのもよくないしね。

「あいつが湊士を奪うって言うから…」

なにかが動いていたこと、なにも気がつかなかったんだ。

***

「わ〜、やっぱりここの水族館大きいね!」

週末、言われた通り航希くんと水族館に来た。
最初は水愛先輩とのことを思い出して、逃げ出しちゃうかもしれないと思ってたけど。

「大丈夫?湊士」

隣で心配してくれている航希くんに、僕はニコッと笑いかけた。

「うん。もう大丈夫!早く中入ろ〜!!」

僕は航希くんの腕を引いて入場ゲートを抜けた。
興味ないものはバッサリなんだよね。
だから、もう大丈夫なのかも。
それから僕たちは展示を回った。
先月に行った水族館とはまた違って、すごくきれいでまさに神秘的な空間だった。
ちなみに、夜のイルカショーを見る予定があるよ。
最前列はヤバいんだよね〜。
あれ、めっちゃ水かかる。
そうして展示を一通り見て、僕たちは食事を食べることにした。
ここね、テーブルの下にも魚がいるの。
テーブルが水槽になってるんだよ!すごいよね〜。

「きれいだね」

「うん」

航希くんの言葉に頷く。
ここで水愛先輩とご飯食べたっけ。
でも、やっぱり過去なんだなぁって思う。

「それじゃ、この後どうする?まだイルカショーまで時間あるよな?」

「うーん。あ、じゃあ今度は逆回りしてみる?」

「いいじゃん。食べ終わったら行こっか」

「うん!」

僕は頷いた。
航希くんはもう食べ終わってて、僕はちょっと急いで食べた。
ていうか、見つめられすぎて緊張するんだけど…!!
スマホを見るでも、水槽を見るでもなく、ずっと僕の顔を見てる。

「え、えと…あんまり見つめられると恥ずかしい…です」

さすがにちょっとドキドキしすぎて心臓がもたないから、ひかえめにそう告げてみる。
すると、ほんの少し口角を上げて手を伸ばしてきた。
えっ…?
僕はちょっと驚いて、目をつぶってしまう。
すると、僕の口元に指が触れた。
でも、すぐに離れていく。
不思議に思って僕はゆっくりと目を開ける。
航希くんは自分の指を舐める仕草をしていた。
その仕草に思わずドキッとする。

「急ぎすぎ。ゆっくり食べて」

その言葉で、僕は食べカスをつけてしまっていることに気がついた。
は、恥ずかしすぎる…!!
僕は顔が熱くなるのを感じて、視線をそらした。
そんな僕を見てか、航希くんはクスッと笑った。

***

「湊士、そろそろイルカショーの時間」

「ん?ああ、もうそんな時間かぁ」

僕は見ていた展示から視線を外した。
時間を確認してみると、もう30分前になっていた。
時間が経つのって早いや。
そうして僕たちはイルカショーの場所に移動して、席を決めることにした。
後ろの席はもうずいぶんと埋まってしまっている。
とりあえず、真ん中ら辺に座ればいいかな。
そう思っていると、突然航希くんが僕の腕を引いてきた。

「あと2、3列くらい前いこ」

「えっ、でも濡れちゃうかもよ?」

「ちょっと濡れるくらいがちょうどいいじゃん」

少し楽しそうに言う航希くんが珍しくて、僕は思わず固まってしまった。
そうして連れて行かれて、5列目まで来てしまった。
もっと後ろの予定だったのに…。
でも、まあいっか。
そう思って、僕は航希くんと一緒に座った。
そうしてしばらくして、イルカショーが始まった。
夜の部っていうのもあってか、ライトとかすごくきれいだった。

「きれい…だね」

僕の声は、歓声の中に消えていった。
久しぶりに世界が輝いて見えた。
キラキラ、キラキラ、水しぶきが光って見えて、心が躍った。
チラッと航希くんを見ると、航希くんもまた景色に見惚れていた。
人間とイルカが一体化してるみたいで、素敵なショーが見れたんだ。
いつのまにかショーは終わって、パッと明かりがついた。
そして最後の演技として、さっきまでくぐれなかった高さの輪をイルカがくぐってみせた。
おおっ…!!と思った瞬間、イルカが水の中に落ちていって波が現れた。

「えっ…」

そう声をあげた時にはもう遅くて、僕と航希くんは水をかぶっていた。
なにせイルカが僕たちの近くに落ちたから波の大きさがすごかったんだ。
僕と航希くんはお互いに見合った。
それから、僕は声をあげた。

「っぷ、あはは!!ちょっとじゃなかったんだけどー!めっちゃ濡れたし!!」

僕は笑った。
さっきまでいい雰囲気っていうか、感動の気分だったんだけど全部ぶち壊しだし。
でも、こういうの好き。
なんていうか、楽しい。
僕が笑ったのに対して航希くんは——。

「ふっ」

笑いをこらえて、同じように笑った。

***

僕たちは水族館の入り口まで一緒に歩いた。
お互いに何も言葉を発しないけど、それでも気まずさは全くなかった。
そんな中で、僕は考えていた。
最近“本当の自分”が出てしまっているような気がする。
父さんしか見せたことのない、“自分”。
でも、それを見せるのは俺は嫌いだったはずなんだ。
たとえどれだけ親しい相手でも、偽りの自分で接した。
それが真面目キャラであり、よくあせった時に出てしまう敬語口調がそれなのだ。
真面目キャラであれば、大抵は好印象なのだから。
でも、さっきはその真面目キャラすら出てこなかった。
素で笑ってしまった。
どうしてなのか?

——そんなの、答えはひとつだろ。

「湊士?」

名前を呼ばれて、ドクンッと心臓が跳ねた。
嫌な跳ね方だった。
その声を、僕は知ってる。
勢いよく振り返った時に見たものは、思い出したくない記憶にあった、水愛先輩の顔だった。
その横には、あの時水愛先輩の隣に立っていた男がいた。

「やっぱり湊士くんだ!雰囲気変わりすぎて、違うかもってあせっちゃった」

僕は言葉を発せなかった。
なんで、ここに。
嫌だ、思い出したくない。
少し前に進んだはずなのに、進んだはずの足はまた一歩下がる。
振り出しに戻っただけだ。

「ていうか〜、ほんと変わりすぎ。やっぱ、あの噂本当だったんだ」

「う、噂…?」

驚いて、初めて声が出た。
そして水愛先輩は口角を上げて、俺をあざわらうように言った。

「好きになった子の好きなタイプ演じて堕としてはフッてを繰り返してるって噂。湊士くんの元カノにも聞いたんだもーん、絶対ほんと!で?今度は男の子に手を出しちゃったの?」

本当のことだったから、なにも言えない。
やめて、って言いたい。
航希くんに聞かれたくないのに、止めることもできず固まるしかない。

「湊士くんって嘘ばっか。だから私に浮気されたんじゃない?湊士くんのことなんか、誰も好きにならないって」

「あっ…え…と……っ…!!」

ついにいたたまれなくなって、僕は走った。
全てから、逃げたくて。
誰の声も耳に入らぬまま、僕は走った。
知られたくなかった、知ってほしくなかった。
醜い俺を、汚い俺を、最低な俺を、惨めな俺を。
こんな、嫌だ。
航希くんはどう思ったかな。
嫌われても仕方ない、俺がこんなに汚いやつだから仕方ない。
こんなに涙が出るほど嫌なのは、その理由がわかってしまったことも嫌だ。
きれいな自分だけを見てほしいだとか、嫌われたくないだとか、そういうのって。

——航希くんを好きなんだと自覚するしかなかった。

***

航希は、湊士が走っていくのをあえて止めなかった。
そして最後の仕上げをすべく、水愛に聞いた。

「なんで、浮気なんかしたんですか」

その声に水愛は航希に視線を移し、ふっと笑って言った。

「なんでって、飽きたから。重すぎるんだよね、湊士くんって。なんでも尽くしたがり、その反面甘えてきたりして。そういう関係、望んでなかったし。あと真面目すぎっていうか…律儀すぎる?みたいな。なんか思ってたのと違った。私は刺激がほしいんだよね。普通のカップルとか、嫌なわけ」

航希はこの女を少し狂っているのだと認識した。
だか、航希は感謝した。
なぜなら、水愛がいるおかげでこの計画は成り立ったのだから。

「そうですか」

「…なんか、もっと聞かれると思ったんだけど。てか、怒ったりしなくていいんだ?」

少しむすっとした様子の水愛。
それに対して、航希は笑みを浮かべた。
その笑みに、水愛はなにか変なものを感じた。

「怒る?誰に?俺はむしろ感謝してますよ。これで湊士は俺に本性を隠す必要がなくなった。これであとは俺が少しずつ本性を暴いていくだけ。湊士の泣き顔も見れたし、今日は計画通りの成果が得られましたからね。ああ、あと。湊士をフッてくれてありがとうございました。おかげで俺が湊士をもらえるんで」

「は…?」

意味わかんない、とでも言うように水愛が声を漏らした。
狂ってる、こいつは確実に狂ってる。
本能的に「怖い」と感じ取ったのだ。

「あんた、おかしいよ…」

水愛はやっとの思いでその言葉を発したが、再び黙り込んでしまう。
なぜなら、航希がまた口角を上げたからだった。

「もうそんなこと自覚してるよ?だいたい、それで元カレにはフラれてるし」

「えっ…あんた、ゲイだったの?」

「ああ、そうだよ。でも湊士に気がつかれないように、女遊びしてたんだ。湊士のことを、これからどこにもいかないように縛りつけないと。俺以外誰も湊士を見ちゃダメなんだ。俺だけの湊士なんだから。だから、水愛、あんたも湊士になんかしたら、どうなるかわかるよね?」

「ッチ」

水愛には、舌打ちをしてその場を去るのが限界だった。
——なんなのあいつ、メンヘラ?サイコパス?まじでキモい。
そう心の中で強がっても、恐怖は拭えなかった。
湊士はもう、逃げられないのかもしれない。