流星群

「イケくんは怒った!」

 とイケが怒った。普段から赤い顔が一段と赤くなっている。

 物置代わりにも使われているこの納戸が、ツヤカたちの居候部屋だった。掃除機や石油ストーブなどの備品と並んで、三人分の布団が片隅に積まれている。

「どうして俺の知らない間にみんなでスイカを食べたんだ? スイカは俺の大好物だってこと、知ってるだろ?」
「まーまーまーまー」

 いきり顔で詰め寄ってくるイケを宥めようと、ツヤカは両手のひらを前に向ける。

「どうなんだ? 弁明があるなら言ってみろ」
「まーまーまーまー」

 アジポンもツヤカと同じく、銃を突き付けられたかのように両手を上げる。まったく、朝からとんだ修羅場になったものだ。

「落ち着いて。まずは話し合おう。何事も話せばわかる」
「じゃあ、自分が同じ目に遭ったら、おまえらは落ち着いて話をするのか? え? 想像してみろ。アジポン、仮におまえがトンビだったとして、目の前で油揚げを攫われたら、どうする?」
「その例えはよくわからんが」
「じゃあ、ツヤカ。猫のおまえが目の前で小判を持っていかれたらどうする?」
「逆じゃないのか、それ? ていうか、逆にすらなってなくないか?」
「とにかく、それだけ俺は怒ってるんだ!」

 話が支離滅裂なのはいつものことだが、イケがこんなに長いこと食い下がってくるのは珍しい。確かに、寝ている間に本来なら自分に回ってくるはずだった大好物を横取りされたら、しばらくは腹の虫が収まらないだろう。気持ちはわかる。

「わかった。わかりました。ご立腹のほど、しかと承りました」
「じゃあ、どう落とし前、つけてくれんだよ」

 ツヤカとアジポンはイケに背を向けると、ひそひそ声で相談を始めた。アジポンの提案を聞いていたツヤカが、それだっ、と言って振り返る。そして、揉み手をしながらイケに近づくと、召使のようにお辞儀をしながら言った。

「では、お詫びのしるしに、本日はイケ様をこの世の竜宮城にご案内いたしましょう」



「暑い夏なんて、大嫌いよ!」

 勇ましくも駄々っ子なそれが、ミヤコのこの夏の宣言だった。テニスコートにも陽炎が立ち昇っている。

「いったい何なの、この暑さは? まったく、太陽って人は、思いやりとか優しさを持ち合せていないのかしら? 人に嫌われることを平気でして、よくもまあ何十億年も生きてこれたものね。感心しちゃうわ」

「ちょっと、自分だけベンチに座って、何ぶつぶつ言ってんのよ?」

 見上げると、淑子が難しい顔で仁王立ちしていた。

「ミヤコちゃん、あなた、冬にも似たようなこと言ってなかった? 冷たい風は性格悪いとか」
「だってぇ、ひどすぎると思わない? あたしたち、せっかく爽やかにテニスをしようとしてるのに、太陽が邪魔する」
「単に練習をサボりたいだけじゃないの」

 呆れ顔もそこそこに、淑子は滑り込むようにミヤコに身を寄せてきた。

「ネ、ネ、それよりさ」

 さらに顔を寄せてくる。

「その後はどうなの? 上手くいってる?」
「え?」
「とぼけてんじゃないわよ、浦里センパイのこと」

 ミヤコがポカンと口を開ける。何を言われているのか、ピンと来ていないらしい。

 二人の前で、右から左、左から右へと、何度もボールが行き交う。こんな炎天下でも、他のメンバーは真面目に練習をしているのだ。

「あんた、昨日からずっと機嫌良さそうだったじゃない? やっぱり浦里センパイと何かいいことあったんでしょう?」
「そうかあ、そういうふうに見える?」

 ようやく淑子が言わんとしているところがわかった。と同時に、ちょっと意地悪したい気持ちが湧き上がってくる。思わせぶりに科をつくりながらミヤコは言った。

「いいことはあったかもしれないな。浦里さんじゃないけど。それでね、その謎を解く鍵は旅芸人なの」
「旅芸人?」
「そ、旅芸人」

 淑子は横を向いて、訝しげに考えを巡らす。旅芸人の一座の誰かに沼ったとか? もともと惚れっぽい子だし、ヲタクっぽいところもあるからなあ。男の子に対する免疫がないってのも考えものよね。だけど、旅芸人なんて、今、この町に来てるのかしら? どこを見ても、のぼり一本立ってなかったような気がするけど。

「よーし、それじゃ午前の練習はそろそろ終わりだ。試合をしてるところを除いて、あとはランニング」

 キャプテンの声に呼応して、あちこちから返事が上がる。ミヤコと淑子は立ち上がり、コートの周りを軽くジョギングし始めた。ミヤコはタッビゲーニンッ、タッビゲーニンッと、リズムを取りながらスキップするように跳ねている。淑子は首を捻るばかりだ。

 整理体操が終わり、ベンチに戻ってタオルで汗を拭いていたミヤコにキャプテンが声をかけてきた。

「ミヤコちゃん、午後の当番だったよね? ちょっと早目にコートに来て、ネットとか、見といてくれないかな?」
「あっ、はーい」

 正午を知らせるサイレンが役場の方から聞こえてくる。照りつける陽射しを受けて、草の匂いがむせ返るようだ。早目にコートに来てカブト虫でも探していようかな、とミヤコは思った。



 イケを後ろに乗せたツヤカと単独のアジポン。二台の自転車が湖岸の周遊道路を走っていた。民宿には全部で三台の自転車があるのだが、すべて借りてしまうのはさすがに申し訳ないと思ったのだ。

「おい、いつになったら着くんだ?」
「もうしばらくお待ちください、ご主人様」

 ペダルを漕ぐツヤカの額から止めどなく汗が流れ落ちる。イケは筋肉質なのか、見た目の印象よりも重い。スポーツジムのエアロバイクで負荷を過大に設定してしまったようなものだ。筋トレやダイエットには効果的だろうが、真夏の最中にやることではない。

 昨日、水をかけられた喫茶店が見えてきた。そういえば、お詫びに客としてきた時にはサービスしてくれると言っていたな。ここらで一休みしていくのも悪くない。

「アイスコーヒーでも飲んでいこうか?」
「ああ、けっこう来たしな」

 ツヤカの提案にアジポンが賛同する。しかし、問題はイケだった。

「そうぉ? ツヤカくんたちのおごりなのぉ? 嬉しいなぁ。女王様はケーキも食べようかなぁ。あ、その前に、ちょっと小腹が空いたから、ナポリタンとかピザトーストとかも頼もうかなぁ」

 調子に乗るイケに、ツヤカは苦虫を噛み潰したような表情になる。いくらお詫びでも、常識の範囲というものがある。無限にオーダーしそうな奴を連れては行けない。

「前言撤回。目的地を目指そう」

 さほど起伏はないものの、地形に沿ってカーブが連続する。対向車は全然来ない。後ろから来る車もない。ツヤカたちはセンターラインの辺りまで膨らんで走っていた。

「いえーい、快適、快適。景色を独り占めしてるようで、気持ちがいいなあ」

 イケはさらに調子に乗っている。

 今日も湖上はウインドサーフィンの花盛りだ。吹き抜ける風。きらめく波。背景の青い山々。絵面としては涼しさを感じさせるが、実際には最も気温が上がる昼下がりだ。

 昨日とは打って変わった苦行のサイクリングだな。したたる汗を手の甲で拭いながら、ツヤカは思った。



 テニスコートが見えてきた。あれだ、とツヤカが指を差す。

「あれ? 誰もいないぞ」

 三面とも人の気配はまるでなく、閑散としている。路肩に自転車を停め、三人は金網に近寄って行った。

「乙姫たちは玉手箱とともに消えたか」
「おかしいな。毎日ここでやってるって言ってたのに」

 道路に沿って少し先まで歩いてみるが、テニスコートはおろか、建物の軒先にも人影が見当たらない。

「あの、あれじゃない? お昼時だから、みんな昼メシ食ってんじゃない?」
「さすがにもう食べ終わってる時間だろ」
「なんだよ、よりによって、陽射しの一番強い時間帯に来ちまったじゃん」
「焼くか?」

 アジポンの煽りを受けて、イケがボディビルダーのようなポーズをとる。そんな二人のやりとりを無視し、ツヤカはベンチの方に回り込んで行った。テニスコートの奥には路地があり、その先は民家だ。遅れて、アジポンとイケも続く。

 角を曲がったところで、路地の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。こちらの存在に気づいたのか、小走りに駆け寄ってくる。

「あ、ツヤカくんだ」

 ミヤコは初めて会った時のように両手でラケットを抱えていた。

「ツヤカくん、今日も来てくれたんだ」

 そこに、追いついたアジポンとイケがツヤカの背後からぬっと姿を見せる。

「あっ、あの時の人たち」
「今日はみんなで来てみたんだ。でも、誰もやってないね」
「今、お昼休みなの」
「休み時間なのに自主練に来たのか。今時の若者にしては珍しい、良い心がけだなぁ」

 感心するイケにミヤコはぎこちない笑顔で応える。何か誤解されているようだが、それはそれとして気にせず話題を切り替える。実は昨日の夜からずっと、次に会ったら聞いてみようと思っていたことがあるのだ。

「それよりさ、みんなって旅芸人なんでしょ?」
「まあ、そんなもんかな」
「今までどんなとこに行ったの?」
「えーと、網走と、長崎と、輪島。山陰の方の町にも行ったな。名前は覚えてないけど」
「輪島? お相撲さん? プロレス?」
「能登半島の方だよ」
「ふーん」
「てか、そんな古いネタ、どこで仕入れたの?」

 アジポンが的確にツッコミを入れる。輪島は昭和の時代に活躍した横綱で、引退後はプロレスラーに転身した。ミヤコが生まれる前の話だ。そんな昔のことをなぜ知っているのか気になるが、下手に掘り下げると話がどんどん横道に逸れていきかねない。ツヤカが本来の軌道に戻す。

「網走には確か春に行ったんだ。流氷が押し寄せてくる頃でさ。この流氷をひとつひとつ渡って行ったら北方領土に着くかな、なんて話をしてたら、土地の人に笑われたよ。俺は絶対行けると思ったんだよな。だって、ホントに氷がこうつながってんだぜ。日本庭園の飛び石みたいにさ」

「イケがアザラシのぬいぐるみ着て行ったらどうかって話なかったっけ? アザラシならロシアも疑わないだろうって」
「あ、イケくんって、このニワトリの人?」
「今日は被ってないよ。これは地顔」

 自分の指で頬を引っ張るイケを見て、ミヤコがクスッと笑う。

「イケっていえば、まだまだあるぜ。香川かどっかの田舎に行った時」
「ああ、あれか」
「何なに? ねえ、教えて」

「土地の人が信仰してる山があったんだ。だから悪戯半分で、御神体は熊のようなお化けダヌキだ、っていう噂を流してさ」
「とどめに、今晩、頂上の神社に御神体が出るっていう情報をバラまいた」
「わかった!」

 ミヤコが得意げにパチンと指を鳴らす。

「イケくんが御神体になったんでしょ?」

「待て待て。話にはまだ続きがある。その晩になって神社に行ったら、集まった人の多いこと多いこと」
「あれは恥ずかしかった。あんなに大勢の前でやるとは思わなかったからさ。でも、仕方がないので、覚悟を決めて出てった」

 経験者は語るとばかりに、イケは腕を組んでうんうんと何度も頷く。

「出来合いの着ぐるみに木の枝をつけて、な」
「それでどうなったの? ねえ、ねえ」

「確実にバレると思ったから、俺たちはイケを見捨てて逃げたんだ。拝みに来てた人たちの中に紛れ込んでさ。そしたら、みんな拝むんだよ。正座しちゃって、両手を合わせて、地面に頭をすりつけるようにして」
「立ってんのが俺たちだけになっちゃって、しょうがなく俺たちも正座してイケを拝んでしまった」
「何それー」

 からだをよじり、腹を抱えて笑うミヤコ。

「でもさ、イケくんって、動物の役ばっか、させられてない?」
「そんなことはない」

 イケはムキになって否定する。

「長崎に行った時は、ちゃんと人間の役をやったんだ」
「ホント? どんな役?」
「南蛮人」

 ミヤコは今度はしゃがみ込み、両手で地面をバンバンと叩いた。もう、笑い過ぎて声も出ない。息が絶え絶えになっている。

「あっ、みんな、来たみたいだよ」

 ツヤカに促されて振り返ると、サークルのメンバーが一人、また一人とコートの入口に集まり始めていた。ミヤコは慌てて立ち上がる。

「いけない。あたしが鍵を持って来たんだった。でも、続きのお話も聞かせてほしいな」
「じゃあ、夕方にまた来ようか?」
「いいの? それなら、あたしもまたコート当番に立候補しとくね」
「えっ、今って、早出の練習に来たんじゃなかったの?」

 そんなイケの問いに答えることなく、ミヤコは仲間たちに向かって駆け出していった。途中、何度か後ろを振り返って大きく手を振りながら。