流星群

 客が去ってしまうと、民宿村はセミの合唱に支配される。いつまでも終わることのない鳴き声が、強烈な陽射しとともに小さな集落に降り注ぐ。動くものはどこにもない。時間までもが止まっているかのようだ。

 うだるような暑さの中、ツヤカは民宿の自転車を借りてサイクリングに出かけた。山間の午後だ。アジポンとイケは風通しの良い大広間で大の字になって昼寝をしている。

 何もこんな時間をわざわざ選ばなくてもいいのにねえ。おばさんが呆れ顔で見送ってくれた。

 ツヤカは出歩くのが好きだった。同じものを眺めているより、次から次へと移り変わる景色の中に身を置いている方が何かと落ち着くのだ。飽きっぽいというより好奇心が旺盛なタイプなのだと自己分析をしている。

 だから、ちょっとした暇ができるとフラッとどこかへ行ってみる。当てなどない。気の向くまま、風の向くままだ。

 湖岸に沿った周遊道路を行く。左は木々の茂る山肌が間近まで迫り出している。バスのように大きな車が来ると相当に圧迫感を覚えるが、走っているのは小型車ばかりだ。そもそも、交通量自体があまり多くはない。追い抜いていく車はみなセンターラインを越え、対向車線に大きくはみ出している。

 風で飛んでしまわないように、麦わら帽子を片手で押さえながらペダルを漕ぐ。

 水上ではウインドサーフィンがいくつか、涼しげに帆を広げていた。湖を巡る遊覧船もここまでは来ないので、波に煽られる心配がなく、自然の風だけを頼りにセイルすることができる。そのため、愛好者の間ではちょっとした穴場スポットになっているのだ。

 小洒落た外観の喫茶店が見えてきた。休憩でもしていこうかと思案していると、ふいに全身に水飛沫を浴びせられた。避ける間もない。ツヤカは思わず自転車を停めた。

「すみません。大丈夫ですか?」

 店の入口で、ホースを持ったエプロン姿の男が申し訳なさそうに佇んでいた。打ち水をしていたのだろう。ホースの先からはまだ水が流れ出している。まさか、こんな暑い最中に車以外の通行人があるなど、想像もしていなかったに違いない。

「タオル、持ってきましょうか?」

 男はようやく水を止め、ホースを傍らの地面に置く。ツヤカは大きく微笑むと、親指を立てた拳を男に向かって突き出した。

「ちょうど、水でも被りたい気分だったんで」
「いや、でも」
「彼らの疑似体験ができたようなもんだから」

 そう言って湖上のウインドサーファーたちに目を向ける。中には転覆しているボードもあり、水面に投げ出されているサーファーはTシャツもびしょ濡れになっているのだが、どこか晴れ晴れとした顔をしている。

「むしろ、お礼を言いたいくらいです」
「そんな、申し訳ない。あの、何か、僕にできることは?」
「じゃあ、今度、客として来た時にサービスしてくれたら、嬉しいかな」
「まあ、それくらいなら、いつでも」

 それでも男は居心地が悪そうだったが、ツヤカはにこやかに手を振って、再びペダルに足を掛けた。とんだアクシデントではあったが、かえって気分転換になる。起こったことはすべて良いこと。これもまた、ツヤカの哲学だ。

 蒸発する水が風とともに髪から熱を奪っていく。灼けるような背中とは対照的に、頭がクールダウンされていく。

 湖畔のサイクリングは思いの外、爽快だった。



 街に入るとすぐ、道路に面して緑色の金網が並んでいるのが見えてきた。町営のテニスコートだ。若い男女の入り混じった歓声が聞こえてくる。

 路肩に自転車を停めると、ツヤカは金網に近寄って行った。三面あるコートは手前から順に、自由練習、サーブ練習、練習試合といった割り振りになっている。自由練習コートにいるのは初心者らしく、ラケットを振る様子もどこか覚束ない。

 ふと、見覚えのある姿が目に留まった。昨日、駅前でニワトリのマスクを被ったイケに驚いてしゃがみ込んでしまった娘だ。今日は黄色いTシャツに黄色のスコートを合わせている。小柄なので、ヒマワリというよりはマリーゴールドのようだ。

 ミヤコは他の女子たちとともにラリー練習をしていた。といっても、ストロークひとつ満足に打てないのでなかなか続かない。空振りをしては逸らしたボールを拾いに行くことの繰り返しだ。そのうち、目を離した隙にコート脇のベンチへと下がってしまった。

 ツヤカは少し迷ったが、金網を回り込んで近づいてみることにした。

 ベンチに腰を下ろしたミヤコは、タオルで顔の汗を拭きながら、サーブ練習のコートを熱心に見ている。視線の先にいる男子が打ち込むサーブは、かなりの確率でコートの隅に決まっていた。上級者であることは一目瞭然だった。

「お嬢さんっ」

 ツヤカは思い切って声をかけた。ミヤコは全然気づかない。聞こえていないのか。それならばと、一呼吸おいて今度は大きめに呼びかける。

「黄色いお嬢さんっ」

「あれぇっ?」

 ミヤコは立ち上がると小走りに金網に駆け寄ってきた。鳩が豆鉄砲を食らったかのように目を真ん丸くしている。

「どうしたの? よくこの場所がわかったのね」
「駅の方に行こうと思ってたら、たまたま通りかかったんだ。そしたら、どっかで見た娘がいるなと思って」
「そうなんだ? その節はどうも、って言ったらいいのかな?」

 昨日のことを根に持っているようには見えないが、どうにもバツが悪い。ツヤカは話題を変えることにした。

「その黄色い服、カッコいいね。よく似合ってるよ」
「そうかな」
「テニスって面白い? こんなに暑いのに、みんな、よくがんばってるよね」
「うん、暑いけど。とっても暑いんだけど」

 ラケットを両手で抱いたまま、ミヤコはサーブ練習のコートを振り返る。先ほどの男子が、またしても快音を残してコートの隅にサーブを決める。

「でも、面白いわよ」

 ツヤカは金網から離れ、コート全体を見渡す。総勢は二十人弱といったところか。見たところ、ほぼ同年代だ。

「大学のサークル?」
「そう。夏合宿なの」

 会話が途切れると暑さだけが意識されてくる。鳴り響くセミの声が、それに一層拍車をかける。さすがに耐えられなくなったのか、今度はミヤコから話を振ってきた。

「ねえ、そういえば、こないだも麦わら帽子を被ってたけど、いったい、何をやってる人たちなの?」
「旅芸人、みたいなもんかな」
「タビゲーニン?」
「そう。あちこちを旅しては、いろんな芸をやってみせるわけ」

 ミヤコは目をパチクリさせ、異星人を見るようにツヤカを眺め回す。

「じゃあ、あのニワトリの人も?」
「そう。それともう一人、ヘンテコなサングラスかけた奴がいたろ? その三人で全国を廻ってるんだ。ま、当世風『東海道中膝栗毛』ってとこだな」
「あ、あたし知ってる。あの『助さんも格さんも聞きなさい』っていうやつね」
「それは違う」

 ツヤカが即座に切って捨てる。ちょっと言い方が冷たかったかと反省するが、ミヤコは目を輝かせて、さらに身を乗り出してきた。

「芸ってどんなことやるの? お芝居とか?」
「芝居をやることもあるけど、それだけじゃない。肝試しの運営をしたり、花火の演出をしたり。俺は踊りを見せたりもするけどね。まあ、コンパ芸をショーアップさせたようなもんだよ。ちょっとしたパーティー屋って感じ?」
「そんなこと、誰にでもできるんじゃないの? それで職業になる?」
「その日のメシが食えればいいからさ。泊めてもらう代わりに民宿の手伝いしたり」
「ふーん」

「それに、誰にでもできそうだけど、実際にやってみると、なかなかできないんだよね。だから、見てくれる人たちに教えたりもする。芸をするっていうより、一緒になって遊んでるって言った方が正しいかもね」
「そんなので、お給料なんて、出る?」
「だから、ない。居候待遇」
「変わったこと、やってるのね」

 ミヤコはラケットを抱きしめたまま、小首をかしげて少し考える。

「ね、踊りってさ、どんな踊りやるの? まさか盆踊りじゃないでしょ?」
「盆踊りの演出をやったこともある」
「ホント?」

 いつの間にか、ミヤコは屈託のない笑顔になっていた。幼い子供にも似た純真さを感じさせる。人を疑ったりするようなこともないのではないか。なんとなく、この娘の前では自分も素でいられるような気がしてきた。

「昔、どっか外国の映画監督が言ってたことなんだけどさ」
「うん?」
「人生は祭りなんだって」
「へえ」

「好きなんだ、俺、そういう考え方。そんで、同じ祭りなら、演し物がたくさんあって、賑やかで、多くの人が楽しめるものがいいよね。だから俺たちも考えられるかぎりのいろんなことをやるわけさ」

「素敵ね。なんだか楽しそう」
「そうだね。でも、何が楽しいかって、旅先でいろんな人に出会えることほど楽しいことはないよ。今いる民宿のおばさんなんか、とっても優しいし。今日帰っていった高校生の連中とは夜遅くまで話してたし。世の中にはいろんな人がいて、いろんなことをやってるってのが、肌でわかるからさ」

 ほぼ初対面なのに、なんでこんなにすらすらと話しているんだろう。戸惑いつつ、でも悪くない、とツヤカは思った。

「俺、芸名がツヤカって言うんだ。よかったら覚えといて」
「あたし、サトウミヤコ。ミヤコって呼んで」
「ミヤコちゃんか。いいね。いい響きだ」
「うちのサークル、毎日ここで練習してるから、いつでも来てよ。そのうちにツヤカくんの踊りも見たいな」
「じゃ、せっかくだから、ミヤコちゃんに俺たちのモットーというか、キャッチフレーズというか、そいつを教えてあげるね」
「なあに? 教えて、教えて」

 バレエダンサーのように片足立ちでくるりと一回転すると、ツヤカは白鳥のように両手を広げてポーズを決めた。

「人生はパフォーマンス」