「ミヤコっ、ミヤコちゃんっ、今日のコンパ出る? 出るよねー」
けたたましい声が階段を上がってきた。スポーツタオルを振り回しながら、淑子がどかどかと部屋に入り込んでくる。
開け放した窓の縁にもたれ、ミヤコは夜の湖を眺めていた。日はとうに暮れ、山の木々が闇に包まれている。対岸に沿っているはずの道路は走る車も少なく、輪郭がよくわからない。月の光だけが辺りを照らしている。
合宿に来てからというもの、夕食後のこのひとときがミヤコのお気に入りだった。深く静まり返った水面を見ていると、それだけで気分が落ち着く。そよぐ風が、昼の間に蓄積された熱をどこかに運び去っていく。
「早く行こ。みんな待ってるよ」
淑子はTシャツにホットパンツだ。程よく肉の付いた太ももが小麦色に焼けている。
「まあ、あられもないカッコウ」
「どっちが」
ミニスカートから畳の上に投げ出されたミヤコの太ももはピンクに染まっている。色白なので、太陽に当たるとすぐに肌が赤くなってしまうのだ。
「そんなに毎晩コンパばかりで、みんな、よくからだがもつのね」
「毎晩って、まだ二日目じゃないの」
「あたし、今日はなんだか疲れちゃった」
ミヤコは両脚を伸ばしたまま、ゆっくりと前屈を始めた。腰から上半身にかけて、徐々にからだを倒していく。何の抵抗もなく、ペタンと胸が太ももについた。
「あんなにやるとは思わなかったな。そりゃ合宿っていうからさ、いつもの練習よりか、ちょっとはキツイかなって覚悟はしてたんだけど」
前屈のまま、顔だけを淑子に向ける。
「あたし、もともと運動苦手でしょ? こんなに長い時間、からだを動かしたことなんかないから、バテちゃって。早く終わんないかなぁって、ずっと考えてたくらい」
「虚弱ねー」
淑子は呆れ顔で、立ったまま腕組みをしている。
ミヤコは上半身を起こすと、今度は両腕を垂直に上げ、背筋をピンと伸ばす。そのまま再びからだを倒していく。両脚は伸びたままで、深呼吸をしても膝が浮くことはない。
「浦里センパイがね」
淑子が思わせぶりに口角を上げる。
「ミヤコを連れて来いって」
「え?」
「ミヤコを連れて来いって、浦里センパイが言ってたの」
淑子はミヤコのそばに寄ってきてしゃがみ込む。
「あんた、昨日もすぐに寝ちゃったでしょう? 今日は少しぐらい参加しなきゃダメよ。浦里センパイ、楽しみに待ってんだから」
「浦里さんが? あたしを?」
「そう。わざわざあたしに呼びに行かせるくらいなんだから。チャンスじゃない? センパイ、今、あんたに興味が向いてんのよ。上手くやれば、合宿が終わるまでに何とかなるかもよ」
「何とかなるって、どういう意味よ?」
「もうっ、鈍感ねえ。あんた、何のためにうちのサークル入ったのよ?」
「……テニス」
ミヤコは小声で呟いた。
「嘘つきっ」
淑子は平手でぴしゃりとミヤコの太ももを叩く。ただでさえ赤い肌に、手のひらの跡がくっきりと刻まれる。強引に腕を引っ張ると、ミヤコを無理やり立たせた。
「とにかく行こっ。パーッと騒いでぐっすり眠れば、疲れなんてすぐに取れちゃうわよ」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ」
ミヤコは後ろ向きで転びそうになりながら、淑子に連れられて行った。
大広間は既に充分過ぎるほど盛り上がっていた。サークルのメンバーが、学年や年齢の壁を超えて、思い思いの場所に陣取り、自由気ままに杯を酌み交わしている。
いつもとは違う雰囲気に呑まれて動けないでいるミヤコを見つけた浦里が、こっちだ、とばかりに缶ビールを掲げる。
「失礼します」
人込みをかき分けてやってきたミヤコは、遠慮がちに浦里の隣に座った。いつもよりも心臓の鼓動を感じる。緊張しているのかもしれない。
「ビールでいいかな? それともチューハイ?」
「いえ、あの、あたし、まだ未成年なんで」
「おーい、誰か、ノンアル持ってきてくれ」
すぐに、どこからともなく何種類かの缶が目の前のテーブルに並べられる。少し悩んでから、ミヤコはノンアルのグレフルサワーを手に取った。
おずおずと少量を含むと、口の中一杯に苦みが広がった。思わず顔をしかめたミヤコを見て、浦里が声を上げて笑う。
「お酒じゃないのに」
「すみません。こういうの飲むの、初めてで」
「それじゃ、改めて乾杯」
アルミ缶同士を音もなく重ねると、ようやくミヤコは一息をついた。
改めて周囲を見渡してみる。昼間とは違う表情をした人々がそこにはいた。気難しそうで近寄りがたかった先輩が頬を崩し、ツンと澄ましていた同級生がお茶目に笑っている。これまで見ることのなかった側面を知ることで、ほんのちょっぴりだが、彼らとの距離が縮まっていく気がした。
「どうだった、今日の練習? キツかった?」
新しい缶ビールを開けながら、浦里が話しかけてきた。
「ええ、まあ」
「遠慮しないで、正直に言っていいよ」
「あの、あたし、いつもちゃらんぽらんにしか練習してなかったから、随分と歯ごたえがありました。でも大丈夫です。あのくらいじゃ、まだまだ」
「そう? 良かった。けっこう疲れてるように見えたんで、ちょっと気になってたんだ」
「すみません。ご心配をおかけしてしまって」
本当は限界だったなんて言えない。見栄を張っていることは自覚しているが、浦里の前では少しでも良い顔を見せたい。だが、そう思うと逆にドキドキが高まってしまう。
「センパイ、あの、あたし、赤くなってません?」
「なってるなってる。真っ赤で、まるでお猿さんみたいだ。飲んでもないのに」
「やだなあ。恥ずかしい」
「恥ずかしがることなんかないよ。ここにいるのはみんな酔っ払いなんだから。気にする奴なんかいないって」
席の移動も絶えない。民宿を丸ごと借り切っているので、宴に時間制限はない。勢い、各人の行動も大胆になる。両手にビール瓶とコップを持ち、彷徨うように歩いている者がいるかと思えば、畳の上で大の字になって鼾をかいている者がいる。飲むことだけに集中し、自分の周りにいくつもボトルを並べている者もいる。時に爆笑が沸き起こり、大声が飛び交う。
気がつくと、ミヤコの前にも空き缶がいくつか並んでいた。頬が紅潮しているのが自分でもわかる。暑くてたまらない。どうにかして火照りを冷ましたかった。
「センパイ、外行きませんか? 湖、見に行きましょうよ」
ミヤコは浦里の手を取って立ち上がろうとしたが、足元が覚束ない。すかさず、浦里が腰に腕を回して支える。ミヤコは抱きかかえられるような格好になった。
「湖はいいけど、ミヤコちゃん、足、大丈夫?」
「平気ですよ。ぜーんぜん平気。このままダンスのステップだって踏めるんだから」
ノンアルだったよな? それとも、どこかで間違えてアルコール入りになってたか? 浦里は記憶を辿ってみるが、いかんせん自分も相当飲んでいる。思い出せるはずもない。
大広間から出ていくミヤコと浦里を見つけた淑子は、目が合うと悪戯っ子のようにウインクを送ってきた。口元が「上手くやんなさいよ」と告げている。それを見て、ミヤコも声には出さず「ばか」と返した。
庭先の松林を抜けると、そこはもう湖だった。
迫り出した溶岩台地に直接腰を下ろす。薄い布地越しに伝わる、ひんやりとした感触が心地よい。木々の間を通して、背中から大広間の明かりが漏れ伝わってくるが、意外にも喧騒はほとんど聞こえない。微かな風が頬を撫でていく。
「涼しいね」
すぐ隣の、猫の額ほどに小さな砂浜に浦里はしゃがんでいた。
「山の夜って、夏じゃないみたいですね」
「都会より一足も二足も早く秋が来るからね」
取り立てて何かをしたいとは思わなかった。淑子はいろいろと煽ってくるが、こうして二人で同じ時を過ごせるだけでミヤコは幸せだった。浦里もそう感じているのか、互いに何も喋らないまま、波ひとつ立たない水面を見つめている。
やがて、離れた対岸に人の気配が現れた。若い男女のはしゃぐ声が聞こえてくる。どうやら高校生のようだ。ミヤコは反射的に指を差す。
「センパイ、ほら、向こう。花火をしに来たんじゃないかな」
「へぇ、青春だね」
しばらくして、まずはロケット花火が打ち上げられた。夜空が一瞬、パッと光る。それを合図に手持ちの花火にも火が点り始めた。オレンジや紅の火花が鮮やかに輝いているのが遠目にもわかる。ロケット花火は一定の間隔を置いて何発も立て続けに発射され、そのたびに歓声が上がる。
「いいねぇ。さすが、夏の風物詩だね」
置き型があるのか、地面からも火花が噴き出している。手持ち花火は青や緑のスパークに変わり、より一層明るい輝きを放っている。
「僕がまだずっと小さかった頃ね」
浦里は懐かしげに語り出した。
「花火をやってて火傷したことがあるんだよ」
しみじみとした口調に誘われ、ミヤコは対岸に向けていた視線を浦里に戻した。
「火花があまりに綺麗だったから、きっと、触りたくなっちゃったんだろうな、つい手を伸ばしちゃったんだ。そしたらパチパチって」
「うわー」
「他愛ない話なんだけど、でも、親にとっては一大事だったらしくてさ。それ以来、我が家は花火禁止」
「じゃあ、ずっとやってないんですか?」
「そう。もう十五年以上ご無沙汰。だから、ああいうのを見てるとね、なんだか羨ましいなぁって」
突然、キュンと胸が熱くなった。幼い浦里をイメージしたわけではないが、泣いている幼児が頭に浮かんできた。彼は火傷が痛いのではない。花火がお預けになったことが辛いのだ。そんなストーリーが勝手に紡がれていく。
衝動的に言葉が口をついて出た。
「センパイ、あたしたちも花火、やりましょう。合宿のどこかで、花火をたくさん買ってきて、ここで盛大にやりましょうよ。大きいのや小さいの、線香花火とか、ロケット花火とか、ネズミ花火とか。そうだ、中国製の派手なやつもいいなあ。あたし、好きだったんです。とにかく、いろんな種類の花火を買ってきて、みんなで」
思いの丈を吐き出すかのようにミヤコはまくし立てた。心なしか瞳が潤んでいる。
鮮烈に煌めいてはすぐに消えてしまう色彩とりどりの閃光。それが、ミヤコにはこの上もなく切なく感じられるのだった。
けたたましい声が階段を上がってきた。スポーツタオルを振り回しながら、淑子がどかどかと部屋に入り込んでくる。
開け放した窓の縁にもたれ、ミヤコは夜の湖を眺めていた。日はとうに暮れ、山の木々が闇に包まれている。対岸に沿っているはずの道路は走る車も少なく、輪郭がよくわからない。月の光だけが辺りを照らしている。
合宿に来てからというもの、夕食後のこのひとときがミヤコのお気に入りだった。深く静まり返った水面を見ていると、それだけで気分が落ち着く。そよぐ風が、昼の間に蓄積された熱をどこかに運び去っていく。
「早く行こ。みんな待ってるよ」
淑子はTシャツにホットパンツだ。程よく肉の付いた太ももが小麦色に焼けている。
「まあ、あられもないカッコウ」
「どっちが」
ミニスカートから畳の上に投げ出されたミヤコの太ももはピンクに染まっている。色白なので、太陽に当たるとすぐに肌が赤くなってしまうのだ。
「そんなに毎晩コンパばかりで、みんな、よくからだがもつのね」
「毎晩って、まだ二日目じゃないの」
「あたし、今日はなんだか疲れちゃった」
ミヤコは両脚を伸ばしたまま、ゆっくりと前屈を始めた。腰から上半身にかけて、徐々にからだを倒していく。何の抵抗もなく、ペタンと胸が太ももについた。
「あんなにやるとは思わなかったな。そりゃ合宿っていうからさ、いつもの練習よりか、ちょっとはキツイかなって覚悟はしてたんだけど」
前屈のまま、顔だけを淑子に向ける。
「あたし、もともと運動苦手でしょ? こんなに長い時間、からだを動かしたことなんかないから、バテちゃって。早く終わんないかなぁって、ずっと考えてたくらい」
「虚弱ねー」
淑子は呆れ顔で、立ったまま腕組みをしている。
ミヤコは上半身を起こすと、今度は両腕を垂直に上げ、背筋をピンと伸ばす。そのまま再びからだを倒していく。両脚は伸びたままで、深呼吸をしても膝が浮くことはない。
「浦里センパイがね」
淑子が思わせぶりに口角を上げる。
「ミヤコを連れて来いって」
「え?」
「ミヤコを連れて来いって、浦里センパイが言ってたの」
淑子はミヤコのそばに寄ってきてしゃがみ込む。
「あんた、昨日もすぐに寝ちゃったでしょう? 今日は少しぐらい参加しなきゃダメよ。浦里センパイ、楽しみに待ってんだから」
「浦里さんが? あたしを?」
「そう。わざわざあたしに呼びに行かせるくらいなんだから。チャンスじゃない? センパイ、今、あんたに興味が向いてんのよ。上手くやれば、合宿が終わるまでに何とかなるかもよ」
「何とかなるって、どういう意味よ?」
「もうっ、鈍感ねえ。あんた、何のためにうちのサークル入ったのよ?」
「……テニス」
ミヤコは小声で呟いた。
「嘘つきっ」
淑子は平手でぴしゃりとミヤコの太ももを叩く。ただでさえ赤い肌に、手のひらの跡がくっきりと刻まれる。強引に腕を引っ張ると、ミヤコを無理やり立たせた。
「とにかく行こっ。パーッと騒いでぐっすり眠れば、疲れなんてすぐに取れちゃうわよ」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ」
ミヤコは後ろ向きで転びそうになりながら、淑子に連れられて行った。
大広間は既に充分過ぎるほど盛り上がっていた。サークルのメンバーが、学年や年齢の壁を超えて、思い思いの場所に陣取り、自由気ままに杯を酌み交わしている。
いつもとは違う雰囲気に呑まれて動けないでいるミヤコを見つけた浦里が、こっちだ、とばかりに缶ビールを掲げる。
「失礼します」
人込みをかき分けてやってきたミヤコは、遠慮がちに浦里の隣に座った。いつもよりも心臓の鼓動を感じる。緊張しているのかもしれない。
「ビールでいいかな? それともチューハイ?」
「いえ、あの、あたし、まだ未成年なんで」
「おーい、誰か、ノンアル持ってきてくれ」
すぐに、どこからともなく何種類かの缶が目の前のテーブルに並べられる。少し悩んでから、ミヤコはノンアルのグレフルサワーを手に取った。
おずおずと少量を含むと、口の中一杯に苦みが広がった。思わず顔をしかめたミヤコを見て、浦里が声を上げて笑う。
「お酒じゃないのに」
「すみません。こういうの飲むの、初めてで」
「それじゃ、改めて乾杯」
アルミ缶同士を音もなく重ねると、ようやくミヤコは一息をついた。
改めて周囲を見渡してみる。昼間とは違う表情をした人々がそこにはいた。気難しそうで近寄りがたかった先輩が頬を崩し、ツンと澄ましていた同級生がお茶目に笑っている。これまで見ることのなかった側面を知ることで、ほんのちょっぴりだが、彼らとの距離が縮まっていく気がした。
「どうだった、今日の練習? キツかった?」
新しい缶ビールを開けながら、浦里が話しかけてきた。
「ええ、まあ」
「遠慮しないで、正直に言っていいよ」
「あの、あたし、いつもちゃらんぽらんにしか練習してなかったから、随分と歯ごたえがありました。でも大丈夫です。あのくらいじゃ、まだまだ」
「そう? 良かった。けっこう疲れてるように見えたんで、ちょっと気になってたんだ」
「すみません。ご心配をおかけしてしまって」
本当は限界だったなんて言えない。見栄を張っていることは自覚しているが、浦里の前では少しでも良い顔を見せたい。だが、そう思うと逆にドキドキが高まってしまう。
「センパイ、あの、あたし、赤くなってません?」
「なってるなってる。真っ赤で、まるでお猿さんみたいだ。飲んでもないのに」
「やだなあ。恥ずかしい」
「恥ずかしがることなんかないよ。ここにいるのはみんな酔っ払いなんだから。気にする奴なんかいないって」
席の移動も絶えない。民宿を丸ごと借り切っているので、宴に時間制限はない。勢い、各人の行動も大胆になる。両手にビール瓶とコップを持ち、彷徨うように歩いている者がいるかと思えば、畳の上で大の字になって鼾をかいている者がいる。飲むことだけに集中し、自分の周りにいくつもボトルを並べている者もいる。時に爆笑が沸き起こり、大声が飛び交う。
気がつくと、ミヤコの前にも空き缶がいくつか並んでいた。頬が紅潮しているのが自分でもわかる。暑くてたまらない。どうにかして火照りを冷ましたかった。
「センパイ、外行きませんか? 湖、見に行きましょうよ」
ミヤコは浦里の手を取って立ち上がろうとしたが、足元が覚束ない。すかさず、浦里が腰に腕を回して支える。ミヤコは抱きかかえられるような格好になった。
「湖はいいけど、ミヤコちゃん、足、大丈夫?」
「平気ですよ。ぜーんぜん平気。このままダンスのステップだって踏めるんだから」
ノンアルだったよな? それとも、どこかで間違えてアルコール入りになってたか? 浦里は記憶を辿ってみるが、いかんせん自分も相当飲んでいる。思い出せるはずもない。
大広間から出ていくミヤコと浦里を見つけた淑子は、目が合うと悪戯っ子のようにウインクを送ってきた。口元が「上手くやんなさいよ」と告げている。それを見て、ミヤコも声には出さず「ばか」と返した。
庭先の松林を抜けると、そこはもう湖だった。
迫り出した溶岩台地に直接腰を下ろす。薄い布地越しに伝わる、ひんやりとした感触が心地よい。木々の間を通して、背中から大広間の明かりが漏れ伝わってくるが、意外にも喧騒はほとんど聞こえない。微かな風が頬を撫でていく。
「涼しいね」
すぐ隣の、猫の額ほどに小さな砂浜に浦里はしゃがんでいた。
「山の夜って、夏じゃないみたいですね」
「都会より一足も二足も早く秋が来るからね」
取り立てて何かをしたいとは思わなかった。淑子はいろいろと煽ってくるが、こうして二人で同じ時を過ごせるだけでミヤコは幸せだった。浦里もそう感じているのか、互いに何も喋らないまま、波ひとつ立たない水面を見つめている。
やがて、離れた対岸に人の気配が現れた。若い男女のはしゃぐ声が聞こえてくる。どうやら高校生のようだ。ミヤコは反射的に指を差す。
「センパイ、ほら、向こう。花火をしに来たんじゃないかな」
「へぇ、青春だね」
しばらくして、まずはロケット花火が打ち上げられた。夜空が一瞬、パッと光る。それを合図に手持ちの花火にも火が点り始めた。オレンジや紅の火花が鮮やかに輝いているのが遠目にもわかる。ロケット花火は一定の間隔を置いて何発も立て続けに発射され、そのたびに歓声が上がる。
「いいねぇ。さすが、夏の風物詩だね」
置き型があるのか、地面からも火花が噴き出している。手持ち花火は青や緑のスパークに変わり、より一層明るい輝きを放っている。
「僕がまだずっと小さかった頃ね」
浦里は懐かしげに語り出した。
「花火をやってて火傷したことがあるんだよ」
しみじみとした口調に誘われ、ミヤコは対岸に向けていた視線を浦里に戻した。
「火花があまりに綺麗だったから、きっと、触りたくなっちゃったんだろうな、つい手を伸ばしちゃったんだ。そしたらパチパチって」
「うわー」
「他愛ない話なんだけど、でも、親にとっては一大事だったらしくてさ。それ以来、我が家は花火禁止」
「じゃあ、ずっとやってないんですか?」
「そう。もう十五年以上ご無沙汰。だから、ああいうのを見てるとね、なんだか羨ましいなぁって」
突然、キュンと胸が熱くなった。幼い浦里をイメージしたわけではないが、泣いている幼児が頭に浮かんできた。彼は火傷が痛いのではない。花火がお預けになったことが辛いのだ。そんなストーリーが勝手に紡がれていく。
衝動的に言葉が口をついて出た。
「センパイ、あたしたちも花火、やりましょう。合宿のどこかで、花火をたくさん買ってきて、ここで盛大にやりましょうよ。大きいのや小さいの、線香花火とか、ロケット花火とか、ネズミ花火とか。そうだ、中国製の派手なやつもいいなあ。あたし、好きだったんです。とにかく、いろんな種類の花火を買ってきて、みんなで」
思いの丈を吐き出すかのようにミヤコはまくし立てた。心なしか瞳が潤んでいる。
鮮烈に煌めいてはすぐに消えてしまう色彩とりどりの閃光。それが、ミヤコにはこの上もなく切なく感じられるのだった。



