松林を背にして、四人は思い思いの場所から湖を眺めていた。砂浜にミヤコ、その上の溶岩台地にツヤカ、アジポンとイケは二人を取り巻くように左右に分かれている。
昼間の暑さが嘘のようだった。風もないのにTシャツ一枚では肌寒く感じる。もう一枚何か羽織ってくればよかったとミヤコは思った。手を伸ばせば水面に届く。砂はひんやりとして、急いた心を鎮めてくれる。
「そうかぁ。明日にはもう、行っちゃうんだね」
遠くまで見渡しても湖岸にはほとんど灯りがなく、湖と山との境がよくわからない。
「ミヤコちゃんたちはいつまでいるの?」
「明後日まで」
「なんだ。俺たちとあんま変わんないじゃん」
「でも不思議ね。この湖が何だか懐かしくて、まるで故郷に帰ってきたみたい」
「都会で暮らしてると、こういう景色を求める心が強くなるのかもな」
「でも、ミヤコちゃんのその気持ちは、きっと、この町が良い町だってことの証明なんだと思うよ」
「そうだな。いろんな人に会えたし、喜んでもらえたし、自分たちも楽しかったし、来たことが無駄じゃなかったって思う」
「俺、前から思ってたんだけどさ」
体育座りをしたイケが、手にした小枝をくるくると弄ぶ。
「世の中にはいろんな価値があるだろ。で、何に重きを置くかは人によりけりじゃん?」
「うん」
「多くの人は金が一番だって思ってるかもしれないけど、でも俺は違うと思う。俺、一番の宝はやっぱり人だと思うんだよね」
「金はそもそも持ってないけどな」
アジポンが相変わらず的確なツッコミを入れる。
「そうそう、駅の待合室で寝たの、何回もあった」
「食べるもの買う金なくて、トマト畑かなんかに忍び込んだこともあった」
「それ、泥棒じゃないの?」
「野生のトマトだったということにしておこう」
「でさ、話は戻るけど、結局は人なんだって思うんだよね。まあ、俺個人の意見だから、ツヤカやアジポンも同じかどうかはわかんないけど。でも、俺、やっぱり人好きだもん。大切にしたいと思うもん」
何も言わないところを見るとツヤカとアジポンも異論がないのだろう。ミヤコも基本的には同意見だ。
「あたしもそう。いろんな人と知り合いになれたらなって思ってる。だから、こないだも旅芸人に混ざりたいなんて言ったんだ」
足元に転がっていた小さな石を拾い、ミヤコは湖に放り投げた。
「でもね、その台詞、撤回する」
水面に波紋が広がっていく。
「あの後、いろいろと考えてみたのよ」
ミヤコの口調がほんの少し、憂いの色を帯び始める。
「旅芸人に混ざっていろんなところを廻ってみたいっていう気持ちは嘘じゃないわ。それは今も思ってる。だけど、だけどね」
そう言ってツヤカを見上げる。
「ツヤカくん、いつか言ったよね? いろんな人と友だちになりたいって。そのために旅をしてるって。でも、多くの人と知り合っても、その人たちのこと、全部覚えていられるのかな?」
語尾が震えている。声がかすれがちになる。
「旅を続ければ続けるほど、思い出が増えていくよね。でも、そうしたら、古い思い出はどんどん上書きされちゃうんじゃない? 上書きされて、いつしかなかったことになるんじゃない? ねえ、それって哀しくない? 哀しいと思わない? あたしは哀しいわ」
ミヤコの潤んだ瞳には、湖が揺れて揺れてたまらない。鎖骨の辺りが苦しくて、我慢ができない。
「それに、みんなの前ではいつも笑ってなきゃいけないでしょ? それって、辛くない? 別れることがわかってるのに、笑うなんてできる? あたしにはできない」
風が出てきた。ミヤコが両腕で肩を抱く。アジポンが身をすくめ、イケが鼻をすする。
「わかってたさ。俺の哲学がハリボテだってことは」
湖面にさざ波が立ち始めた。ツヤカは砂浜に降り、ミヤコの隣にしゃがんだ。
「多くの人と知り合いたいってのはホントさ。でも、それが旅を始めた理由じゃない。俺はただ、自分が何をしたらいいのかわかんなくて、このままじゃ、何ものにもなれないんじゃないかと不安で、そんな心の隙間を埋めるために旅に出たんだ。一種の現実逃避さ。今までカッコいいことを言ってきたけど、本当は他人のことなんかどうだっていい。自分の気持ちに折り合いがつけられればそれでいい。独りよがりなだけなんだ」
アジポンが砂浜に降り、ポケットから線香花火を取り出す。イケも砂浜に降りる。一人一本ずつ配り終えると、アジポンは百円ライターで全員の花火に火を点けていった。
ジジジという独特の音が湖畔に響く。花火の先がだんだんと丸くなり、やがてパチパチと頼りない火花が蜘蛛の糸のように明滅し始める。
燃え尽きようとした時、空が一瞬明るくなった。
「あっ、流れ星!」
上を向いたミヤコが大きく指を差す。つられて三人も頭上を見上げる。
いつの間にか月は山の端に隠れ、黒くて広い空に無数の星々が瞬いていた。その真ん中に横たわるように、天の川が対岸の森へと注いでいる。
「見て! また飛んだわ」
ミヤコは砂浜に寝転がって声を弾ませる。それに呼応するかのように、一つ、また一つと流星がきらめく。
「すごい。すごく綺麗。あたし、こんなにたくさんの流れ星見るの、初めて」
ミヤコの頬を涙が伝う。流れゆく星を数えるかのように、一粒、また一粒とこぼれる。
「ペルセウス座流星群。そんなのが確か、今頃だったよな」
ツヤカもミヤコの隣に寝転がった。
流れる星の一つ一つに、これまで出会った人たちの顔が重なっていく。ダンスに興じる高校生。ホースを手に頭を掻く喫茶店の兄ちゃん。民宿のおばさん。肝試しに怖がる子供たち。
いつしか、それらはすべてミヤコの顔になっていく。ふくれるミヤコ、はしゃぎながら駆け寄ってくるミヤコ、退屈そうにラケットを振り回すミヤコ、半べそのミヤコ。何人ものミヤコが、一瞬だけ輝いては残像を刻む。
その時、誰からともなく歓声が上がった。
とりわけ大きな閃光がひらりと夜空を横切ったかと思うと、その後には、天空の端から端まで届くような、長く太い光跡が残っていた。
あれが、ツヤカくん。
ミヤコは心の中で呟いた。
アジポンとイケも姿勢を崩し、二人を挟むように砂浜に寝そべった。線が一本多い川の字になって空を見上げる。
流星が、雨になった。漆黒の闇を彩る無数の光の雨となって、樹海に沈む湖畔の集落に降り注いでいく。
誰も何も言わなかった。言葉などいらなかった。時が経つのも忘れ、四人は止むことのない流星雨をいつまでも見つめていた。
昼間の暑さが嘘のようだった。風もないのにTシャツ一枚では肌寒く感じる。もう一枚何か羽織ってくればよかったとミヤコは思った。手を伸ばせば水面に届く。砂はひんやりとして、急いた心を鎮めてくれる。
「そうかぁ。明日にはもう、行っちゃうんだね」
遠くまで見渡しても湖岸にはほとんど灯りがなく、湖と山との境がよくわからない。
「ミヤコちゃんたちはいつまでいるの?」
「明後日まで」
「なんだ。俺たちとあんま変わんないじゃん」
「でも不思議ね。この湖が何だか懐かしくて、まるで故郷に帰ってきたみたい」
「都会で暮らしてると、こういう景色を求める心が強くなるのかもな」
「でも、ミヤコちゃんのその気持ちは、きっと、この町が良い町だってことの証明なんだと思うよ」
「そうだな。いろんな人に会えたし、喜んでもらえたし、自分たちも楽しかったし、来たことが無駄じゃなかったって思う」
「俺、前から思ってたんだけどさ」
体育座りをしたイケが、手にした小枝をくるくると弄ぶ。
「世の中にはいろんな価値があるだろ。で、何に重きを置くかは人によりけりじゃん?」
「うん」
「多くの人は金が一番だって思ってるかもしれないけど、でも俺は違うと思う。俺、一番の宝はやっぱり人だと思うんだよね」
「金はそもそも持ってないけどな」
アジポンが相変わらず的確なツッコミを入れる。
「そうそう、駅の待合室で寝たの、何回もあった」
「食べるもの買う金なくて、トマト畑かなんかに忍び込んだこともあった」
「それ、泥棒じゃないの?」
「野生のトマトだったということにしておこう」
「でさ、話は戻るけど、結局は人なんだって思うんだよね。まあ、俺個人の意見だから、ツヤカやアジポンも同じかどうかはわかんないけど。でも、俺、やっぱり人好きだもん。大切にしたいと思うもん」
何も言わないところを見るとツヤカとアジポンも異論がないのだろう。ミヤコも基本的には同意見だ。
「あたしもそう。いろんな人と知り合いになれたらなって思ってる。だから、こないだも旅芸人に混ざりたいなんて言ったんだ」
足元に転がっていた小さな石を拾い、ミヤコは湖に放り投げた。
「でもね、その台詞、撤回する」
水面に波紋が広がっていく。
「あの後、いろいろと考えてみたのよ」
ミヤコの口調がほんの少し、憂いの色を帯び始める。
「旅芸人に混ざっていろんなところを廻ってみたいっていう気持ちは嘘じゃないわ。それは今も思ってる。だけど、だけどね」
そう言ってツヤカを見上げる。
「ツヤカくん、いつか言ったよね? いろんな人と友だちになりたいって。そのために旅をしてるって。でも、多くの人と知り合っても、その人たちのこと、全部覚えていられるのかな?」
語尾が震えている。声がかすれがちになる。
「旅を続ければ続けるほど、思い出が増えていくよね。でも、そうしたら、古い思い出はどんどん上書きされちゃうんじゃない? 上書きされて、いつしかなかったことになるんじゃない? ねえ、それって哀しくない? 哀しいと思わない? あたしは哀しいわ」
ミヤコの潤んだ瞳には、湖が揺れて揺れてたまらない。鎖骨の辺りが苦しくて、我慢ができない。
「それに、みんなの前ではいつも笑ってなきゃいけないでしょ? それって、辛くない? 別れることがわかってるのに、笑うなんてできる? あたしにはできない」
風が出てきた。ミヤコが両腕で肩を抱く。アジポンが身をすくめ、イケが鼻をすする。
「わかってたさ。俺の哲学がハリボテだってことは」
湖面にさざ波が立ち始めた。ツヤカは砂浜に降り、ミヤコの隣にしゃがんだ。
「多くの人と知り合いたいってのはホントさ。でも、それが旅を始めた理由じゃない。俺はただ、自分が何をしたらいいのかわかんなくて、このままじゃ、何ものにもなれないんじゃないかと不安で、そんな心の隙間を埋めるために旅に出たんだ。一種の現実逃避さ。今までカッコいいことを言ってきたけど、本当は他人のことなんかどうだっていい。自分の気持ちに折り合いがつけられればそれでいい。独りよがりなだけなんだ」
アジポンが砂浜に降り、ポケットから線香花火を取り出す。イケも砂浜に降りる。一人一本ずつ配り終えると、アジポンは百円ライターで全員の花火に火を点けていった。
ジジジという独特の音が湖畔に響く。花火の先がだんだんと丸くなり、やがてパチパチと頼りない火花が蜘蛛の糸のように明滅し始める。
燃え尽きようとした時、空が一瞬明るくなった。
「あっ、流れ星!」
上を向いたミヤコが大きく指を差す。つられて三人も頭上を見上げる。
いつの間にか月は山の端に隠れ、黒くて広い空に無数の星々が瞬いていた。その真ん中に横たわるように、天の川が対岸の森へと注いでいる。
「見て! また飛んだわ」
ミヤコは砂浜に寝転がって声を弾ませる。それに呼応するかのように、一つ、また一つと流星がきらめく。
「すごい。すごく綺麗。あたし、こんなにたくさんの流れ星見るの、初めて」
ミヤコの頬を涙が伝う。流れゆく星を数えるかのように、一粒、また一粒とこぼれる。
「ペルセウス座流星群。そんなのが確か、今頃だったよな」
ツヤカもミヤコの隣に寝転がった。
流れる星の一つ一つに、これまで出会った人たちの顔が重なっていく。ダンスに興じる高校生。ホースを手に頭を掻く喫茶店の兄ちゃん。民宿のおばさん。肝試しに怖がる子供たち。
いつしか、それらはすべてミヤコの顔になっていく。ふくれるミヤコ、はしゃぎながら駆け寄ってくるミヤコ、退屈そうにラケットを振り回すミヤコ、半べそのミヤコ。何人ものミヤコが、一瞬だけ輝いては残像を刻む。
その時、誰からともなく歓声が上がった。
とりわけ大きな閃光がひらりと夜空を横切ったかと思うと、その後には、天空の端から端まで届くような、長く太い光跡が残っていた。
あれが、ツヤカくん。
ミヤコは心の中で呟いた。
アジポンとイケも姿勢を崩し、二人を挟むように砂浜に寝そべった。線が一本多い川の字になって空を見上げる。
流星が、雨になった。漆黒の闇を彩る無数の光の雨となって、樹海に沈む湖畔の集落に降り注いでいく。
誰も何も言わなかった。言葉などいらなかった。時が経つのも忘れ、四人は止むことのない流星雨をいつまでも見つめていた。



