今日の最後のイベントは夕食のカレー作りだった。町営キャンプ場の一角に飯盒炊爨用の炊事場があり、野外で調理ができるのだ。
建屋隣の空き地では、アジポンが子供たちに薪割りを教えていた。
大きな木の切り株を土台にして、短く切り揃えられた丸太を斧で割っていく。アジポンの試技の後、子供たちが見よう見まねでやってみるが、なかなか上手くできない。
まず、丸太の芯に斧を命中させるのが難しい。小ぶりとはいえ、相応の重さがある斧を真っ直ぐに振り下ろすのは、非力な子供にとってハードルが高い。どうしてもふらついてしまい、端に当てて丸太を弾き飛ばしてしまったり、空振りしてしまったりする。運よく芯に当たっても、力が足りないため丸太に斧が食い込んだ状態で抜けなくなってしまう。
それでも、何度か繰り返すうちに数人はコツをつかんできた。半分に割った丸太をさらに半分に、そのまた半分にと刻んでいき、薄い板状にまで仕上げる。
ある程度の薪が溜まったら炊事場に運ぶ。大きな石を積み上げて造られたかまどがあるのだ。
「じゃあ、薪を組んでみよう。どうするのがいいと思う?」
アジポンの問いかけに最初に手を上げた子供が、井桁の形に薪を組んでいく。
「そうだね。それが基本の形。他には?」
後ろで見ていた子供が前に進み出て、互いに支え合うように薪を山型に立てていく。
「この下のスペースに葉っぱとか、すぐに燃えるものを置いたらいいんじゃない?」
「おう、それはいいアイディアだな。では、それも採用するとしよう」
「火はどうやって点けるの?」
「それは任せとけ」
そう言うと、アジポンは背中から筒の長い着火ライターを取り出した。
かまどから少し離れた調理台では、イケが子供たちと一緒に野菜を切っていた。
「皮はあんまり剥かなくていいよ。やり過ぎると食べるとこ、なくなるから」
「えー、だって、土ついてるじゃん」
「それは洗いが足りないんだろ」
子供たちの手つきは見るからに危なっかしく、母親たちはみなハラハラしている。イケは自分も作業をしつつ、一人一人に丁寧に目を配る。
「まず引け。引いて駄目なら、いったん包丁を抜け」
「押すときは慎重に、ゆっくりと」
「形は気にするな。どうせ腹の中に入れば同じだ」
じゃがいも、にんじん、玉ねぎが一通り切り終わった。季節の野菜としてオクラとナスも追加する。肉は難しいので母親たちに任せた。
「よーし、それじゃ炒めるぞ。まずはそこのガスコンロで」
「えっ、かまどじゃないの?」
「あっちは煮込み用だ」
火力が安定しないかまどで具材を炒めるのは難しい。火の粉が飛んでくる恐れもある。だから、下準備は別の火器で行う方がいい。かまどは二基使う予定で、一基は大鍋を二つ並べてカレーを煮込む。もう一基は人数分の飯盒を火にかけるのだ。
「ご飯は?」
「オッケーでーす」
水道のところから元気な声が返ってきた。米を敷き適量の水を張った飯盒が、流し台の上に列をなして並んでいる。
「こっちも、いつでもいいぜ」
アジポンが親指を立てる。まだ日は高かったが、働いたのでお腹はペコペコだ。早めの晩御飯に異論のあろうはずがない。
「では、始めますか」
イケとアジポンがそれぞれ大鍋をかまどに載せる。隣では母親たちが飯盒を規則正しく並べている。あとは火を点けて待つだけだ。薪の補給は子供たちの役割とした。火加減を見ながら、アジポンが追加投入の指示を出すのだ。
「楽しみだね」
「きっとおいしいよ」
「お代わり、何杯しようかなあ」
生き生きとしているのは子供たちだけではない。母親たちも、アジポンやイケまでも、満足げな表情を浮かべていた。ただ一人、ここにはいないツヤカを除いては。
開け放した窓の縁にもたれ、ミヤコは手にしたスマホを眺めていた。
何度もメッセンジャーアプリの画面を開いては、二言三言を入力し、すぐに削除する。本当にその文言でいいのか、真意が伝わるのか、いくら試行錯誤を重ねても一向に自信が持てない。さっきからただの一度も送信していない。
送ったら送ったで、もし返信が来なかったらどうしようとも不安になる。だったら送らない方がよいのではないか? みすみす憂いの種を撒くこともないのでは? 思い浮かぶのは後ろ向きな考えばかりだ。
ハイキングの時の「うそ!」というみゆきの一言が心に深く突き刺さっていた。
その気になれば電話はできる。メールやSNSで連絡を取り合うこともできる。でも、二度と会えないような付き合い方をして、それでも友だちと言えるのだろうか。違う空の下、別々の環境に囲まれて、それでもいつまでも互いのことを忘れずにいられるのだろうか。遠距離恋愛の恋人同士ならともかく、知り合ったばかりですぐに別れるような一瞬の関係が、次の約束すらできない浮草のような間柄が、長い人生の中でかけがえのない宝物になりうるのだろうか。
もう会えないの? バス停での別れが生涯の別れになってしまうの? あたしはそれで本当に納得がいくの?
雑念を追い払うかのように、ぶんぶんと大きくかぶりを振る。
「会わなきゃ」
唇を真一文字に結ぶと、ミヤコはスマホを強く握り直した。
玄関の上がり框に腰掛け、ミヤコは靴の紐を結んでいた。通りかかった浦里が、意外なものでも発見したかのような表情で足を止める。
「あれ? もう花火の準備? さすがに気が早過ぎるんじゃないの? 晩御飯、終わったばっかりだし」
「いえ。出かけるんです」
「え?」
「花火は皆さんで楽しんでください。たくさん買ってきましたから」
そう言うと、ミヤコは後ろを振り返りもせずさっさと玄関から出て行った。声をかける間もない。浦里は言われた言葉の意味がわからず、呆然と立ち尽くしていた。
通りがかった淑子が背後から明るい声をかけてきた。
「あ、センパイ。楽しみですね、花火」
街灯はない。辺り一面が闇に沈んでいる。湖岸に沿ったガードレールだけが、この道をどのように進めばよいのかを教えてくれる。
民宿で借りたママチャリに乗り、ミヤコは夜の周遊道路を疾駆していた。
「やだやだやだやだやだーっ」
対向車も歩行者もいないのをいいことに、昨日から心の奥に閉じ込めていた言葉を吐き出す。向かい風に髪がくしゃくしゃになるが、そんなことはどうでもいい。行かなければという使命感にも似た強い思いだけがミヤコにペダルを漕がせていた。
「さよならだって、きちんと言えてないんだからーっ!」
全力の叫びがこだまとなって闇に消えていく。
縁側に腰掛け、ツヤカは手にしたスマホを眺めていた。
民宿には誰もいない。アジポンやイケはキャンプ場で、子供たちとカレーパーティーの真っ只中だ。おばさんはさしたる仕事もないらしく、ずっと自室に引っ込んでいる。松林から聞こえてくる虫の音はもう秋のそれだ。
ミヤコから送られてきたメッセージに返信してからというもの、ツヤカはずっとここで物思いにふけっていた。これまでのこと、これからのこと、様々な思いが頭を駆け巡る。浮かんでは消える泡のようで、どうにもとりとめがない。
ミヤコからのメッセージはたった一言。それに対する自分の返事も一言だけだ。だが、互いに意図は伝わったはずだ。少なくとも、ミヤコが短い言葉に込めた気持ちは、自分としては充分に汲み取ったつもりだった。
アジポンとイケが戻ってきたら誘ってみよう。彼らもきっと、ノーとは言わない。
だいぶ痛みが治まった腰をさすりながら、ツヤカは床に手をついて立ち上がった。
溶岩台地に囲まれた砂浜では学生たちが花火に興じていた。女子だけでなく男子からもはしゃいだ歓声が上がる。
人気があるのは、火力が強く、燃えている間に変幻自在に色が変わるタイプだ。大量に仕入れたので一人で何本も遊ぶことができる。両手に持って二刀流を気取る者もいる。
まだ火を点けていない一本を手に、淑子はキョロキョロと周囲を見回していた。
「あの娘ったら、まったく、どこ行っちゃったのかしら」
視線の先に浦里がいた。手持ち無沙汰な様子で、離れたところに一人佇んでいる。
「せっかくのチャンスだってのに」
砂浜にはロケット花火が置かれていた。取り囲んでいる数人からカウントダウンの声が上がる。ゼロの合図とともに打ち上げられたそれは、ヒュルヒュルと音を立てながら上昇し、空中で大きな火花を散らす。
「あたしだったら、絶対、告白しちゃうけどな」
立て続けに打ち上がる花火にみんなが気を取られている隙が狙い目なのよ。こっそりと二人で抜け出せるんだから。そんなシチュエーションをイメージしながら、淑子は手持ちの花火に火を点けた。
一台のママチャリが、けたたましく砂利を蹴散らしながら中庭に滑り込んできた。縁側に出ていた子供たちが何事かと一斉に目を向ける。
「あっ、おねえちゃん」
「おねえちゃん、また来てくれたんだ」
駆け寄ってくる子供たちの向こうに目指す相手がいた。ツヤカは何も言わずに目配せをすると、アジポンとイケを促して敷地の外に出た。
「ゴメンね。今日はまたちょっと別の用事なんだ」
申し訳程度に子供たちに手を振ると、ミヤコは急いでツヤカたちの後を追った。
建屋隣の空き地では、アジポンが子供たちに薪割りを教えていた。
大きな木の切り株を土台にして、短く切り揃えられた丸太を斧で割っていく。アジポンの試技の後、子供たちが見よう見まねでやってみるが、なかなか上手くできない。
まず、丸太の芯に斧を命中させるのが難しい。小ぶりとはいえ、相応の重さがある斧を真っ直ぐに振り下ろすのは、非力な子供にとってハードルが高い。どうしてもふらついてしまい、端に当てて丸太を弾き飛ばしてしまったり、空振りしてしまったりする。運よく芯に当たっても、力が足りないため丸太に斧が食い込んだ状態で抜けなくなってしまう。
それでも、何度か繰り返すうちに数人はコツをつかんできた。半分に割った丸太をさらに半分に、そのまた半分にと刻んでいき、薄い板状にまで仕上げる。
ある程度の薪が溜まったら炊事場に運ぶ。大きな石を積み上げて造られたかまどがあるのだ。
「じゃあ、薪を組んでみよう。どうするのがいいと思う?」
アジポンの問いかけに最初に手を上げた子供が、井桁の形に薪を組んでいく。
「そうだね。それが基本の形。他には?」
後ろで見ていた子供が前に進み出て、互いに支え合うように薪を山型に立てていく。
「この下のスペースに葉っぱとか、すぐに燃えるものを置いたらいいんじゃない?」
「おう、それはいいアイディアだな。では、それも採用するとしよう」
「火はどうやって点けるの?」
「それは任せとけ」
そう言うと、アジポンは背中から筒の長い着火ライターを取り出した。
かまどから少し離れた調理台では、イケが子供たちと一緒に野菜を切っていた。
「皮はあんまり剥かなくていいよ。やり過ぎると食べるとこ、なくなるから」
「えー、だって、土ついてるじゃん」
「それは洗いが足りないんだろ」
子供たちの手つきは見るからに危なっかしく、母親たちはみなハラハラしている。イケは自分も作業をしつつ、一人一人に丁寧に目を配る。
「まず引け。引いて駄目なら、いったん包丁を抜け」
「押すときは慎重に、ゆっくりと」
「形は気にするな。どうせ腹の中に入れば同じだ」
じゃがいも、にんじん、玉ねぎが一通り切り終わった。季節の野菜としてオクラとナスも追加する。肉は難しいので母親たちに任せた。
「よーし、それじゃ炒めるぞ。まずはそこのガスコンロで」
「えっ、かまどじゃないの?」
「あっちは煮込み用だ」
火力が安定しないかまどで具材を炒めるのは難しい。火の粉が飛んでくる恐れもある。だから、下準備は別の火器で行う方がいい。かまどは二基使う予定で、一基は大鍋を二つ並べてカレーを煮込む。もう一基は人数分の飯盒を火にかけるのだ。
「ご飯は?」
「オッケーでーす」
水道のところから元気な声が返ってきた。米を敷き適量の水を張った飯盒が、流し台の上に列をなして並んでいる。
「こっちも、いつでもいいぜ」
アジポンが親指を立てる。まだ日は高かったが、働いたのでお腹はペコペコだ。早めの晩御飯に異論のあろうはずがない。
「では、始めますか」
イケとアジポンがそれぞれ大鍋をかまどに載せる。隣では母親たちが飯盒を規則正しく並べている。あとは火を点けて待つだけだ。薪の補給は子供たちの役割とした。火加減を見ながら、アジポンが追加投入の指示を出すのだ。
「楽しみだね」
「きっとおいしいよ」
「お代わり、何杯しようかなあ」
生き生きとしているのは子供たちだけではない。母親たちも、アジポンやイケまでも、満足げな表情を浮かべていた。ただ一人、ここにはいないツヤカを除いては。
開け放した窓の縁にもたれ、ミヤコは手にしたスマホを眺めていた。
何度もメッセンジャーアプリの画面を開いては、二言三言を入力し、すぐに削除する。本当にその文言でいいのか、真意が伝わるのか、いくら試行錯誤を重ねても一向に自信が持てない。さっきからただの一度も送信していない。
送ったら送ったで、もし返信が来なかったらどうしようとも不安になる。だったら送らない方がよいのではないか? みすみす憂いの種を撒くこともないのでは? 思い浮かぶのは後ろ向きな考えばかりだ。
ハイキングの時の「うそ!」というみゆきの一言が心に深く突き刺さっていた。
その気になれば電話はできる。メールやSNSで連絡を取り合うこともできる。でも、二度と会えないような付き合い方をして、それでも友だちと言えるのだろうか。違う空の下、別々の環境に囲まれて、それでもいつまでも互いのことを忘れずにいられるのだろうか。遠距離恋愛の恋人同士ならともかく、知り合ったばかりですぐに別れるような一瞬の関係が、次の約束すらできない浮草のような間柄が、長い人生の中でかけがえのない宝物になりうるのだろうか。
もう会えないの? バス停での別れが生涯の別れになってしまうの? あたしはそれで本当に納得がいくの?
雑念を追い払うかのように、ぶんぶんと大きくかぶりを振る。
「会わなきゃ」
唇を真一文字に結ぶと、ミヤコはスマホを強く握り直した。
玄関の上がり框に腰掛け、ミヤコは靴の紐を結んでいた。通りかかった浦里が、意外なものでも発見したかのような表情で足を止める。
「あれ? もう花火の準備? さすがに気が早過ぎるんじゃないの? 晩御飯、終わったばっかりだし」
「いえ。出かけるんです」
「え?」
「花火は皆さんで楽しんでください。たくさん買ってきましたから」
そう言うと、ミヤコは後ろを振り返りもせずさっさと玄関から出て行った。声をかける間もない。浦里は言われた言葉の意味がわからず、呆然と立ち尽くしていた。
通りがかった淑子が背後から明るい声をかけてきた。
「あ、センパイ。楽しみですね、花火」
街灯はない。辺り一面が闇に沈んでいる。湖岸に沿ったガードレールだけが、この道をどのように進めばよいのかを教えてくれる。
民宿で借りたママチャリに乗り、ミヤコは夜の周遊道路を疾駆していた。
「やだやだやだやだやだーっ」
対向車も歩行者もいないのをいいことに、昨日から心の奥に閉じ込めていた言葉を吐き出す。向かい風に髪がくしゃくしゃになるが、そんなことはどうでもいい。行かなければという使命感にも似た強い思いだけがミヤコにペダルを漕がせていた。
「さよならだって、きちんと言えてないんだからーっ!」
全力の叫びがこだまとなって闇に消えていく。
縁側に腰掛け、ツヤカは手にしたスマホを眺めていた。
民宿には誰もいない。アジポンやイケはキャンプ場で、子供たちとカレーパーティーの真っ只中だ。おばさんはさしたる仕事もないらしく、ずっと自室に引っ込んでいる。松林から聞こえてくる虫の音はもう秋のそれだ。
ミヤコから送られてきたメッセージに返信してからというもの、ツヤカはずっとここで物思いにふけっていた。これまでのこと、これからのこと、様々な思いが頭を駆け巡る。浮かんでは消える泡のようで、どうにもとりとめがない。
ミヤコからのメッセージはたった一言。それに対する自分の返事も一言だけだ。だが、互いに意図は伝わったはずだ。少なくとも、ミヤコが短い言葉に込めた気持ちは、自分としては充分に汲み取ったつもりだった。
アジポンとイケが戻ってきたら誘ってみよう。彼らもきっと、ノーとは言わない。
だいぶ痛みが治まった腰をさすりながら、ツヤカは床に手をついて立ち上がった。
溶岩台地に囲まれた砂浜では学生たちが花火に興じていた。女子だけでなく男子からもはしゃいだ歓声が上がる。
人気があるのは、火力が強く、燃えている間に変幻自在に色が変わるタイプだ。大量に仕入れたので一人で何本も遊ぶことができる。両手に持って二刀流を気取る者もいる。
まだ火を点けていない一本を手に、淑子はキョロキョロと周囲を見回していた。
「あの娘ったら、まったく、どこ行っちゃったのかしら」
視線の先に浦里がいた。手持ち無沙汰な様子で、離れたところに一人佇んでいる。
「せっかくのチャンスだってのに」
砂浜にはロケット花火が置かれていた。取り囲んでいる数人からカウントダウンの声が上がる。ゼロの合図とともに打ち上げられたそれは、ヒュルヒュルと音を立てながら上昇し、空中で大きな火花を散らす。
「あたしだったら、絶対、告白しちゃうけどな」
立て続けに打ち上がる花火にみんなが気を取られている隙が狙い目なのよ。こっそりと二人で抜け出せるんだから。そんなシチュエーションをイメージしながら、淑子は手持ちの花火に火を点けた。
一台のママチャリが、けたたましく砂利を蹴散らしながら中庭に滑り込んできた。縁側に出ていた子供たちが何事かと一斉に目を向ける。
「あっ、おねえちゃん」
「おねえちゃん、また来てくれたんだ」
駆け寄ってくる子供たちの向こうに目指す相手がいた。ツヤカは何も言わずに目配せをすると、アジポンとイケを促して敷地の外に出た。
「ゴメンね。今日はまたちょっと別の用事なんだ」
申し訳程度に子供たちに手を振ると、ミヤコは急いでツヤカたちの後を追った。



