神戸異人館の手紙屋さん

◇◇◇


「……さん、お姉さん、大丈夫ですか?」

 不意に体が揺さぶられる感覚があり、汐里は目を覚ました。すると、そこには自分の顔を心配そうに覗き込む大学生くらいの青年がいた。Tシャツにジーンズ、リュックとラフな格好で、くっきりした二重まぶたの瞳が汐里のことを見つめている。

「え、あ、大丈夫ですけど……あれ?」

 ふと周りを見渡すと、汐里は公園のベンチに座っていたようだった。空は茜色で、訪問先の会社から帰っていた時の色と同じ。スマホ画面を確認してみても、日付も時間も変わっていなかった。

「寝ちゃうくらい気持ちのいい風が吹いてますけど、公園で寝るのは危ないですよ。この辺り、夜になると、ひと気も少なくなりますから」

 大学生風の彼は「気を付けてくださいね」と続けて、にこりと笑いかけてくれたが、汐里の頭は混乱していた。

(さっきまで洋館でお茶してたはずなのに……)

 周りを見渡してみても、先ほど見かけたような美麗な洋館は見当たらない。

「あの、この辺りに『喫茶みなと便り』ってお店あるの知りませんか? 青と白の洋館なんですけど……」
「俺、この辺りで働いてますけど、そんなお店は聞いたことないなぁ」

 腕組みをして首を傾げる青年に、汐里は慌てて「変なこと聞いてすみません!」と返した。それから青年は、再度「お気をつけて」と汐里を気遣い立ち去っていった。その背中を見送りながら、汐里は自分の身に何が起こったのだろうと考えていた。

(やっぱり夢、だったのかな……)

 歩くたびに軋む床、窓の外から聞こえた波の音、ふわりと香ったインクの香り。その全てがリアルに思い出せたが、先ほどの青年が言うようにスマホで「喫茶みなと便り」と検索してみても、そんな店はどこにも出てこなかった。

 見上げると、茜色に染まった空が汐里のことを見下ろしている。

「……おばあちゃんが、私に見せてくれた夢だったのかな」

 あの洋館での出来事は確かに夢だったかもしれないが、それでも今の汐里にたくさんの気づきを与えてくれるものだった。

「……今度の休みは、買い物にでも出かけてみようか」

 ふと口元を緩めた汐里は、そんなことを呟いた。

 体が多少疲れていても、外に出てみよう。前からやりたいと思っていたことを、やってみる時間を作ってみよう。ほんの少し自分の行動を変えるだけで、それは実現できることだから。

『おばあちゃんに誇れるような、そんな私になってみせるから』

 何より汐里は、祖母への手紙にそう書いた。その時の決意を胸に、また頑張ろうとそう思えた。

「よし!」

 気合の入った声が夕方の公園に響く。来た時よりも元気になった汐里は、それから北野の坂を下り、帰路へとついたのだった。