隣の席のキミとひみつの合図   ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


《新学期の匂いと大好きな親友》
「ねえ乃愛、ひまり! 今年の体育祭、
うちのクラスが絶対優勝だよ。
だって足の速いやつらがさ──」


耳元でパッと弾けた太陽みたいな声に、
私はハッと我に返った。
目の前では、長めのポニーテールの髪を
揺らした結衣が、机に身を乗り出して
小さな拳を熱っぽく握りしめている。


「結衣、声が大きいよ。
ほら、もうすぐ先生来ちゃうから」


その隣で、ひまりが「はい、お茶」と
水筒のキャップを差し出しながら、
穏やかな笑顔でノートを開いていた。


新学期が始まって数日の教室は、
どうしてこんなに落ち着かない
匂いがするんだろう。


まだ床に残るツンとしたワックスの匂いと、
少し硬くて身体に馴染まない新しい制服の匂い。


そして、窓から差し込むうららかな春の光を
かき消すような、男子たちの容赦なく
大きな笑い声。


クラスが新しくなって、
まだお互いの距離を測りかねているような、
どこかそわそわとしたザワめきが
教室中に満ちていた。


私は、基本的には男子とも女子とも
普通に話せる。話しかけられれば
ちゃんと笑顔で答えられるし、
クラスメイトとしてみんなのことは好きだ。


だけど、自分から進んでその賑やかな
輪の中に「ねえねえ!」とぐいぐい
入っていくのは、どうしても苦手だった。


特に、体格も声も大きくなってきた男子を
目の前にすると、なんだか急に言葉が
うまく出てこなくなって、
胸の奥が少しだけ緊張でキュッと
強張ってしまう。


だからこそ、いつも強引なくらいに
私を引っ張ってくれる結衣と、
何も言わなくても私の歩幅に合わせてくれる
優しいひまりの二人と過ごす
この窓際の席だけが、
私にとって、唯一、深く息を吸い込める
大切な居場所──特等席だった。


「……それにしても、乃愛って本当に
優しいよね。困ってる人、
絶対放っておかないもん」


結衣が私の顔を覗き込んで、
嬉しそうにしみじみと言う。


「え? 何が?」


「さっきだよ。後ろの席の男子が筆箱落とした
とき。周りの男子は笑ってからかってたのに、
乃愛だけサッとしゃがんで、
遠くまで転がったペン拾ってあげてたじゃん。
私、見てたんだから」


「ううん、そんなこと……。ただ、
私の足元に転がってきたから、
渡しただけだよ」


思い返して恥ずかしさで少し頬を染める。


「そこが乃愛のいいところだよ。
でも、ちょっと緊張してたでしょ?」


お見通しといった様子で優しく
私の手を包み込んでくれた。


「うん……。男子って、まだちょっと
距離感が分からなくて緊張しちゃうから。
話すの、まだ慣れなくて」


そう言って視線を少し外す私に、
結衣が頼もしく胸をたたく。


「大丈夫! 男子がなんか言ってきたら、
この私が追い払ってあげるから!」


「ふふ、結衣が味方なら百人力だね」


ひまりと顔を見合わせて笑うと、
手のひらから伝わる二人の温かさに、
胸のトゲトゲした緊張がすっと
丸くなっていくのを感じた。


──こんなにも愛おしくて安心できる日常。
このままずっと、この居心地のいい
三人の世界に守られていたい。
本気でそう思っていた。


前方のドアが勢いよく開き、
「おはよー!」と元気な声が教室に
飛び込んでくる、その瞬間までは——。





《クラスの人気者》
前方のドアが勢いよく開く。


「おはよー!」


と、突き抜けるように元気な声が
教室に飛び込んできた。
羽瀬琉生(はせ るい)くん──。


サッカー部の大きなエナメルバッグを肩に
かけ、クシャッと前髪を揺らして笑う姿に、
教室の少しそわそわしていた空気が、
一瞬でパッと明るくなる。


彼が教室に入ってきた瞬間、
待ってましたとばかりに、
クラスのあちこちから歓迎の声が弾けた。


「あ、羽瀬! ちょうどいいところに来た、
宿題の数学やったか? 答え見せて!」


後ろの席の男子が、課題のノートを
ひらひらと振りながら声を上げる。


「お、マジ? それ俺も混ぜてー!」


廊下側にいた別の男子も嬉しそうに声を上げ、
少し離れた場所から琉生を呼ぶ。
男子たちが楽しげに琉生を呼び止める。


「おー、いいよ」と、彼が笑いながら
歩き出そうとした、その時だった。


「ちょっと男子、朝からうるさい。
羽瀬くんが困ってるじゃん」


2人の間に割り込むようにして、
教室の真ん中にいた女子グループが、
すっと琉生を取り囲むように集まった。


男子たちの声を遮るようにして、中心にいる
女子が華やかな笑顔で琉生を見上げる。


「羽瀬くん、昨日の部活のシュート、
めっちゃヤバかったって聞いたよ!」


「え、マジで? あんなのただのまぐれだって。
キーパーが勝手に逆サイドに
動いてくれただけだからさ」


女子たちに一瞬で包囲されても、
琉生は嫌な顔ひとつせず、
少し照れくさそうにクシャッと頭をかいた。


気取らない、どこまでも裏表のない
真っ直ぐな笑顔。


彼は、クラスのリーダーとして
全員の先頭に立って仕切るような、
いわゆる『絶対的な中心人物』ではない。


けれど、どんなに周りが盛り上がっていても、
絶対に誰かの悪口や陰口を言わない人だった。


「っていうかさ、隣のクラスのさっきの奴、
ちょっとムカつかない?」


別のタイミングで男子の一人がそんな風に
愚痴をこぼしたときも、琉生くんは。


「あはは、まああいつも朝からバタバタして
余裕なかったんじゃね? それよりさ、
今日の体育、外晴れて良かったな!」


と、誰も傷つけないように、それでいて
自然に、クラスの空気をカラリと明るい方へ
引っ張っていってしまう。


男子からの無茶振りにも、
女子からの黄色い声にも、
彼はいつだって同じ「羽瀬琉生」
のままで応える。


彼がそこにいるだけで誰もが安心できるような
嘘のない温かい雰囲気をまとった人。


それが、彼のクラスでの立ち位置だった。
窓際から、そんな賑やかな輪を少し離れた
場所から盗み見ていた私の胸の奥が、
ドクン、と小さく跳ねた。


(羽瀬くんは、やっぱり
キラキラしてるな……)


男子が苦手で、いつもなら大きな声で話す
男の子からは一歩引いてしまうはずなのに。
なぜか彼の笑顔だけは、もっと見ていたい、
ずっと目で追っていたいと
思ってしまう自分がいた──。