「帰るぞ、器」
放課後になった瞬間、荷物をまとめて器に声をかけた。器はスクールバッグに荷物を放り込みながら振り返る。
「帰るって、家まで送ってくれるってこと?」
「送る」
「わ、ほんとに送ってくれるんだ。でもさ、そのあとは見張ってなくていいの? 放課後なんて俺がいちばん自由で危ない時間だと思うけど」
器が自身の胸に手を当てる。その口元に浮かぶ笑みは挑発的で楽しげだ。誘惑じみた視線で見つめられ、ため息が出る。
「……じゃあ自習室、行こう。時間いっぱいみっちり自習するぞ」
「自習室は話せないじゃん。一景の家は?」
器を睨みつけた。彼は両手をあげて降参を示す。
「わかったわかった。自習行こっか」
「俺の家はお前がまともになったらな」
「あはは」
二人で自習室に向かい、手近な席を確保して座る。英語の教科書を広げれば、器も英語の問題集を広げた。教科を合わせてくれる気遣いにこっそり感謝する。
「じゃ、やるか」
「おっけー」
参考書や教科書を参照しながら二人で問題集の英文を読んでいく。しかし発展問題に差し掛かったところで、ペースが落ちた。
知らない単語や知らないスラングが続出し、なかなか読み進められない。恐らくスーパーマーケットに行きたがる外国人を案内する話なのだが、言い回しが異様に難しかった。
「ここ、結構難しいな……」
英語は苦手じゃないだが、ここまで詰まったのは久しぶりだ。
単語や言葉遣いの意味を調べながらノートに書き留め、ゆっくりと翻訳していく。
「…………」
そこで器が無言で俺に手を伸ばしてきた。警戒して手を引っこめるが、彼は気にせず俺のノートにペン先を走らせる。
『飽きた』
そして、そう書いた。器は完全に俺を見ており、ノートや問題集には一瞥もやらない。
『勉強しろ』
仕方ないので彼のノートにそう書いてやる。しかし器は全くやる気がないようで、自身のノートをトントンと叩くとそこに一言書き足した。
『俺の名前書いて』
『なんでだよ』
『一景に名前、書いて欲しいから』
それは理由になっていない気がする。
書いたら勉強するよな、という意味を込めて彼を見た。器はにやにや笑っている。
「はぁ……」
書かないと進まなさそうなので、彼のノートに『蝶番 器』と書いてやる。器はその文字を物珍しそうに眺め、人差し指で軽く撫でる。
「ふふ」
彼の口から笑い声が漏れた。その隣に『勉強しろ』と書いてやれば、器は勉強に戻っていく。
俺ももう一度ノートに向かった。 ノートに書かれた器の文字が、何となく視界の端でちらついた。
自習室は午後六時まで。俺たちは時間ギリギリまで自習室に居座り、その後は一緒に帰った。一応器を家まで送ったのだが、その道中彼は
「泊まっていってよ。夜がいちばん危ないのにさぁ。ねーねーねーねー」
とうるさかった。本当にうるさかったので夜、ビデオ通話をするという話でまとめた。
「一景の都合がいいタイミングでかけてきてね。俺、待ってるから」
通話の約束をした途端ご機嫌になった器が、笑いながらそう言っていたのを覚えている。
「あいつ、やっぱり面倒すぎるな……」
自宅に帰り、夕食をたべ、風呂に入り、ベッドに倒れ込む。シーツの感触を味わいながら一人ぼやいた。
器を見張ると決めたことについては後悔していない。見張りひとつで彼が身体を粗末にしないと言うなら、それは俺にとってもメリットだ。
問題は見張られる側の器がどう思うかだが、彼は見張りを喜んでいるように見える。
器は俺が好きだから一緒にいられると喜ぶ。俺に構われると喜ぶ。
それはよくわかるが、ここまで好かれて執着される理由は分からなかった。俺が好みだからで、ここまで行くのだろうか。
通話してやらないとと思うものの、余計な考えがちらついてしまう。
次に思い出したのは今朝の話、彼の家庭環境の話だった。
生まれた瞬間から不和の種として扱われるのはどんな気持ちなのか。それはきっと、俺には推し測れないものだ。
そして器はその過去を笑って語り、俺の同情を引く道具にできる。
それが悲しくて、心の隅を引っ掻き続けた。
彼と話すようになってから心が乱され続けている。それは嫌な感覚ではないものの、この悲しみだけは受け入れ難い。
逃げるように枕へ額を押し付けた。緩やかな眠気が込み上げてきて、眠る前に通話しなくてはとスマホを握った。
放課後になった瞬間、荷物をまとめて器に声をかけた。器はスクールバッグに荷物を放り込みながら振り返る。
「帰るって、家まで送ってくれるってこと?」
「送る」
「わ、ほんとに送ってくれるんだ。でもさ、そのあとは見張ってなくていいの? 放課後なんて俺がいちばん自由で危ない時間だと思うけど」
器が自身の胸に手を当てる。その口元に浮かぶ笑みは挑発的で楽しげだ。誘惑じみた視線で見つめられ、ため息が出る。
「……じゃあ自習室、行こう。時間いっぱいみっちり自習するぞ」
「自習室は話せないじゃん。一景の家は?」
器を睨みつけた。彼は両手をあげて降参を示す。
「わかったわかった。自習行こっか」
「俺の家はお前がまともになったらな」
「あはは」
二人で自習室に向かい、手近な席を確保して座る。英語の教科書を広げれば、器も英語の問題集を広げた。教科を合わせてくれる気遣いにこっそり感謝する。
「じゃ、やるか」
「おっけー」
参考書や教科書を参照しながら二人で問題集の英文を読んでいく。しかし発展問題に差し掛かったところで、ペースが落ちた。
知らない単語や知らないスラングが続出し、なかなか読み進められない。恐らくスーパーマーケットに行きたがる外国人を案内する話なのだが、言い回しが異様に難しかった。
「ここ、結構難しいな……」
英語は苦手じゃないだが、ここまで詰まったのは久しぶりだ。
単語や言葉遣いの意味を調べながらノートに書き留め、ゆっくりと翻訳していく。
「…………」
そこで器が無言で俺に手を伸ばしてきた。警戒して手を引っこめるが、彼は気にせず俺のノートにペン先を走らせる。
『飽きた』
そして、そう書いた。器は完全に俺を見ており、ノートや問題集には一瞥もやらない。
『勉強しろ』
仕方ないので彼のノートにそう書いてやる。しかし器は全くやる気がないようで、自身のノートをトントンと叩くとそこに一言書き足した。
『俺の名前書いて』
『なんでだよ』
『一景に名前、書いて欲しいから』
それは理由になっていない気がする。
書いたら勉強するよな、という意味を込めて彼を見た。器はにやにや笑っている。
「はぁ……」
書かないと進まなさそうなので、彼のノートに『蝶番 器』と書いてやる。器はその文字を物珍しそうに眺め、人差し指で軽く撫でる。
「ふふ」
彼の口から笑い声が漏れた。その隣に『勉強しろ』と書いてやれば、器は勉強に戻っていく。
俺ももう一度ノートに向かった。 ノートに書かれた器の文字が、何となく視界の端でちらついた。
自習室は午後六時まで。俺たちは時間ギリギリまで自習室に居座り、その後は一緒に帰った。一応器を家まで送ったのだが、その道中彼は
「泊まっていってよ。夜がいちばん危ないのにさぁ。ねーねーねーねー」
とうるさかった。本当にうるさかったので夜、ビデオ通話をするという話でまとめた。
「一景の都合がいいタイミングでかけてきてね。俺、待ってるから」
通話の約束をした途端ご機嫌になった器が、笑いながらそう言っていたのを覚えている。
「あいつ、やっぱり面倒すぎるな……」
自宅に帰り、夕食をたべ、風呂に入り、ベッドに倒れ込む。シーツの感触を味わいながら一人ぼやいた。
器を見張ると決めたことについては後悔していない。見張りひとつで彼が身体を粗末にしないと言うなら、それは俺にとってもメリットだ。
問題は見張られる側の器がどう思うかだが、彼は見張りを喜んでいるように見える。
器は俺が好きだから一緒にいられると喜ぶ。俺に構われると喜ぶ。
それはよくわかるが、ここまで好かれて執着される理由は分からなかった。俺が好みだからで、ここまで行くのだろうか。
通話してやらないとと思うものの、余計な考えがちらついてしまう。
次に思い出したのは今朝の話、彼の家庭環境の話だった。
生まれた瞬間から不和の種として扱われるのはどんな気持ちなのか。それはきっと、俺には推し測れないものだ。
そして器はその過去を笑って語り、俺の同情を引く道具にできる。
それが悲しくて、心の隅を引っ掻き続けた。
彼と話すようになってから心が乱され続けている。それは嫌な感覚ではないものの、この悲しみだけは受け入れ難い。
逃げるように枕へ額を押し付けた。緩やかな眠気が込み上げてきて、眠る前に通話しなくてはとスマホを握った。
