チョコレートフィクション

カラオケの翌日、朝八時。俺は宣言通り器を迎えに来ていた。
器の家はよくあるファミリー用マンションだ。ここの401号室に住んでいるのだと、器は言っていた。
「ほんとに迎えに来てくれたんだ。おはよ、一景」
既にマンションの出入口にいた器は、俺を見るとひらひらと手を振って挨拶してくる。
「おはよ、器」
近寄れば、つられたようにもう一度「おはよ」と返された。
気がつけば残暑は終わり、風が吹けば肌寒さすら感じる季節になってきた。気温に合わせてか、器は長袖シャツの上に上着を羽織っている。
「朝、まだ食べてなくて。パン食べていい?」
器はスクールバッグから惣菜パンを取り出すと、返事を待たずに食べ始めた。
ついでにペットボトルを取り出して差し出してきたので、キャップを開けてやる。
「一景ってば、わかってるね」
「いいから、食べながら喋るな」
紅茶を飲みつつ、パンを齧る器。その隣を歩きながら学校へ向かった。
器の家から学校までは歩いて二十分ほど。電車があるのでその気になればもっと早く行けるが、この時間の電車は混んでいるので乗らないそうだ。
「それ、美味い?」
器が食べているパンは有名メーカーの新作だ。気になってパンを覗き込むと、器がにやりと笑う。
「いいよ、食べても。間接キスしとく?」
「しない」
「直接キスしたいって? いいじゃん、もっと人通りが多いところついたらやろう」
なんでこんなに最悪な提案が出来るのだろうか。
「お前、家で食べないのか? 朝食」
適当に話をすり替える。器は唇を舐めてパン屑を取った。
「俺の両親、あんまり帰ってこないんだよね。料理もしない感じだから家で食べる意味ないって言うか」
「え」
一気に雲行きが怪しくなった。深堀りせずに軽く流すことに決め、動揺を見せないよう言葉を整える。
「な、なるほど。忙しい両親なんだな」
「違うよ。俺がいると気まずいから、帰りたくないんだ」
紅茶を飲む音が聞こえた。器はなんてことのないように言っているが、俺はそれどころではない。
俺の歩くペースが落ちたのに気が付いたのか、器がこちらを見た。
そして、俺を見て笑う。嬉しそうに。
「……俺ってさ、両親に似てないんだよね。両親と血は繋がってるんだけど隔世遺伝? みたいなのでさ。だから両親は似てない俺を挟んで浮気を疑ったり、疑われたりでずっと揉めてて」
声がぽんと弾む。澄んだ青空に良く似合う声だ。
けれど内容は痛々しいもので、軽やかに話される度目を背けたくなるような光景が脳裏に浮かぶ。
「一応検査で容疑は晴れたけど、散々ギスったから両親の関係はめちゃくちゃになっちゃった。離婚しようって話も出たけど、俺のことはどっちも引き取りたくないみたい。だから離婚せずにいて、家に帰らないようにしてる。さすがに罪悪感あるみたいで、生活費は二人からたくさん貰ってるけど」
器が俺を見て笑っている。にやにやした笑いではなく、楽しそうな笑みだった。
「一景が同情してくれた。ラッキー」
どうしてそんなことが言えるのか分からない。
器とある程度親しくなっても彼の中身は深淵そのもので、まるで、同じ人間じゃないみたいだ。
「はぁ……」
悲しみと同時に頭痛がした気がして、こめかみをおさえる。「人気の多い所まで来たけど、キスする?」と言い出す器をどついた。
「もう、そんな話するなよ」
器がに、と笑みを深める。
「一景って優しいね。大好き」
「……」
軽く睨みつければ、器は反省してない笑みを浮かべ、わざとらしく話題を変える。
「ね、一景、もしかして俺のアカウントフォローした? 新しいアカウントで」
「した。監視用に作ったんだ。ブロックするなよ」
「してないよぉ。でも、やっぱり一景のアカウントだったんだ」
器がプロフィールもアイコンもないアカウントをスマホに表示する。アカウント名は監視用。昨日俺が作ったアカウントだ。
「シンプルでかわいいね、名前」
「その名前にかわいさ、ないだろ」
「そう? 俺は気に気に入ってるよ。俺の事見ててくれるんだなって思うから」
器は俺のアカウントにフォローを飛ばし、笑った。
「もっと見てて、一景」


教室に到着すると、クラスメイトたちが少し驚いてこちらを見た。
「一緒に来たんだ。さっすが教授」
誰かがそう囁く。感心したその声色に少し呆れてしまった。
「器……お前、どれだけ問題児だと思われてるんだ。ちょっと仲良くしただけでこれだぞ」
「心外だなー、ちょっとサボってただけなのに。やっぱ進学校ってみんな真面目なんだね」
けら、と器が笑った。うちは入学時に内申点も考慮されるはずなのだが、この素行でどうやって入ってきたのだろうか。
「内申点は大事だけど、結局は成績重視だからね。ある程度良ければ入れるんだよ。ここ、家から一番近いし」
「心を読むな」
「流れでわかっちゃった」
きゃらきゃら笑う器を席に座らせておく。
遠くから向風と砥石がこちらを眺めていたので手招きしたら、向風がすごい勢いで逃げていった。
「……はぁ……」
器に対するイメージは、俺が思うより深刻なのかもしれない。
そうこうしている間に朝のホームルームが始まり、そのまま授業が始まる。
さすがの器も授業中に教室を出ていくことはないだろうと、授業に集中する。
そして三時間目のホームルームになると、文化祭実行委員が黒板の前に立った。
「では、これから文化祭について話し合います」
「えぇ~~」
文化祭という言葉にクラスメイトたちがやる気のない声をあげる。
せっかくの一大イベントに対してこんなにもやる気がないのは、クラスの出し物が展示だと決まっているからだ。
一年生と二年生は方眼紙に研究内容を書き込み、それを多目的ホールで展示する。しかも研究テーマは自由に決められず、学校側が用意したものから選ぶ形式だ。
今年のテーマは「街の歴史」や「学習のまとめ」などなど。やる気が出ないのも当然である。
逆に部活での出し物は自由度が高いので、文化祭自体は盛り上がるのだが。
「はい、今年のテーマですが……」
だらだらと話し合い、展示のテーマは「一学期を振り返って」になった。
それから軽く誰が文章を作成するか、誰が下書きを担当するかを決める。多少人数の偏りは発生したが交渉で持ち直し、チーム分けもすぐに終わった。
俺は文章作成のチームに振り分けられた。器も同じチームだ。一週間後までに作ったデータを別のチームに提出する、と決めればこれで本当に全てが終わる。
しかし、授業時間はあと十分あった。なんとなく自由解散みたいな空気になり、みんなは各々好きなことをやり始める。
「自習でもするか……」
十分といえど貴重な時間だ。ノートを取り出したものの、気が変わった。ノートを戻し、代わりに椅子を持って器の席へと向かう。
器はスマホを見ており、俺に気がつくとスマホの画面を向けてくる。
「見張りに来たの? これ、ただのショート動画だよ。DMとか、悪い投稿とかしてないって」
「様子見に来たのは確かだけど、そこまで疑ってるわけじゃない」
画面にあったのは間違いなくショート動画閲覧画面だった。器はスマホをスクールバッグに放り込む。
「それより一景って、ディベート部入ってたよね。文化祭は何するが決まってる?」
「公開討論。まだ決定じゃないけどほぼ確実にそうらしい」
「わぁ、つっまんなさそう」
かなり嫌そうな顔をされた。
「そんなのサボって俺とデートしようよ」
「しない」
「じゃあデートよりもう一段階上のこと」
「しつこいぞ、お前」
何度目かも分からない誘いをかわし続けていると、昼休みを告げるチャイムがなった。
器がパンを取り出し、袋を開ける。
「今日はパンか?」
彼は昼を学食で済ませることが多い。学食は弁当持ち込み可能なので一緒に食べる時は学食に行くのが決まりなのだが、昼がパンならここで食べる流れになりそうだ。
「そうそう。高タンパク低カロリー食物繊維ぎっしりの特別なパン」
「見たことないパッケージだと思ったら、そういう類のか……」
器は凝ったパッケージをがさがさ弄る。俺は弁当を取ってきてから、蓋を開けた。
弁当には母さんが作ってくれたおかずが詰まっている。おにぎりと味噌汁は別添えだ。
「一景の弁当、美味しそう。あーんして? 俺、そのイカリングがいいな」
「黙ってパン食ってろ」
「俺の栄養も管理してよー」
パンを齧る器を尻目にブロッコリーのおかかあえを食べる。美味しい。しかし、同時に朝の話がちらついた。
器から料理の話は聞いたことがない。もし器が料理をしないタイプで、その上両親がほぼ帰らないというのなら、彼の栄養面はどうなっているのだろうか?
スーパーの惣菜もコンビニ弁当も美味しいが、栄養の偏りは避けられない。せっせと栄養食のパンを食べているのはせめてもの自己管理なのか……? と、だんだん心配になってきた。
「一景、何か顔色悪くなってきてない?」
呑気にパンをちぎる器。
俺は黙って弁当箱の蓋に卵焼き、いんげんの胡麻和え、イカリングを乗せて器に差し出した。
「……ここにあるのは食っていいぞ」
「え、いいの? ありがと、一景。はいこれ、お礼」
器はパンを一口分ちぎり、俺の口元に押し付けてくる。香ばしい匂いがした。
「…………」
とりあえず食べてみる。パンは栄養食とは思えないほど美味しかった。
「えい」
パンを押し付ける指で唇に触れられそうになる。避けた。
「あ、残念。それより俺、箸がないんだよね。だからあーんしてほしいな?」
「言うと思った」
すぐさまミニトマトにさしてあったピックを器に渡した卵焼きに刺した。
「あーあ、こっちも残念」
器が残念そうにピックで卵焼きを食べる。美味い、と笑うのでなら良かった、と答えておにぎりを頬張った。中の鮭がごろっとしていて美味い。
「あ、そうだ。一景は両親と仲、いい感じ?」
いんげんに刺しながら出された問い掛けに、思い切りむせる。
「ごほっ」
「大丈夫?」
「大丈夫……だ。っけほ、お前。朝、ああいう話をしておいて」
つい叱ろうと声が刺々しくなる。だが器は単純な好奇心をその顔に浮かべていた。
からかいでもなんでもなく、本気で聞いてきている。
「……ごめん。なんでもない」
途端に申し訳なくなる。器が不思議そうに首を傾げた。
「え、何? 今の謝る流れだった?」
「からかってるのかと思った。ごめん」
「あー、わかった。俺が自分の家と一景の家を比較して気まずくする一景にメロつくと思ったんだ。ふーん。いいアイデアだね。って言うか今、叱ってもらうチャンスだったんだ」
にや、と器が笑った。
「とにかく家族仲だろ。俺は仲、いいぞ」
これ以上この話に触れると絶対面倒なことになる。さっさと質問に答えた。
「おお、自分で言うんだ。でも納得」
器は続きを期待するように黙り込んだ。続きなんてなかったが、期待されるならと無理矢理引っ張り出して語る。
「うちの両親、互いのことが好きでさ。あんまり揉めないんだ。しかも子供がかわいいタイプでさ。俺も両親に期待されるの、満更でもないし……って感じ」
実際、俺の両親はかなりの溺愛気質だった。幼少期から俺が何かに挑戦して成功すれば「天才だ!」ともてはやし、俺が失敗すれば「挑戦することに価値がある」と微笑むタイプなのだ。
俺は比較的自尊心が高い方だと思うが、間違いなく両親の影響である。
正直あまりの溺愛っぷりに反抗したくなる瞬間もあったが、そうすると二人が俺に隠れてこっそり赤飯を炊き始めるのでやめた。
両親は間違いなく俺を愛している。それを後ろめたいとは思わない。
しかし器の前で語るのは、少し気まずかった。
「ふーん……」
器はつまらなさそうに目を細め、不機嫌さを示すように、イカリングへピックを突き刺す。
「俺もお前のこと、愛してるけどね」
その拗ねたような声色に、思わず持っていたおにぎりを取り落としそうになった。
「……お前、もしかして、俺の両親に張り合ってるのか?」
まさか、と思ってした質問に器はあっさり頷いてしまう。
「そうだよ」
「そ、そうか。…………そうか……」
ちょっと混乱しつつ黙っておにぎりを食べ終え、味噌汁を啜る。
「お前って、俺のこと好きなんだな……」
両親に張り合われたのは初めてだ。しみじみしながらそう言うと、器は食べ終わった蓋をこちらに差し出しながら口を開いた。
「一景って好かれ慣れてるよね」
「自覚はある」
「友達も売るほどいるし、先生から信頼されてるし、人気者だし」
「友達が多いことに対して『売るほどいる』って言うの、だいぶ良くないタイプの表現だと思うぞ」
さりげなく彼の機嫌を探る。さっきはつまらなさそうに目を細めていたが、今は表情が髪に隠れていてよく見えない。
嫉妬して急に怒り出したり、へそを曲げてサボり始めたらどうしよう。
そう思っていたら、器が顔を上げてこちらを見た。
「そういうところ、すごく好き」
器の瞳が見えた。惚れ込んだような瞳が熱っぽく揺れている。言葉がとろけるように甘く甘く響いた。
「げほっ!」
思わず味噌汁でむせる。器の表情はするりとほどけ、あっという間に例のにやにや笑いになってしまった。
「もしかして、ときめいた? 今押したら行けるかな」
「一言余計だ、一言……」
露骨な言葉に気持ちが冷めていく。器は笑ってパンを齧った。