チョコレートフィクション

蝶番は歌が上手かった。
カラオケに来た瞬間は正直密室に二人きりというシチュエーションへの警戒があったものの、蝶番が歌い出すと「こいつ上手いな……」に思考を塗り替えられるくらいには上手かった。
「お前、なんでもできるんだな…….」
思わず感心しながらそういうと、蝶番がピースサインを作る。
「いえーい。俺ってば、上手い?」
「上手い」
「でも一景も悪くないじゃん。勝負しようよ、勝負」
氷なしアイスティーを飲みながら蝶番が笑う。
「対戦モードってあったか……? でも、あったらやろう。俺が勝つ」
「うん。あ、カラオケで得点出すコツみたいなのは知ってるけど……教えてあげよっか?」
「気になるけど、教えてもらう前に一回対戦したい」
前から思ってたが、こいつは生活に結びつくタイプの知恵を結構持ってる気がする。ちょっと意外だ。
歌い疲れた喉に烏龍茶を注ぐ。僅かな苦味が心地よい。
「あ、精密採点モードある。これ同じ曲なら対戦モードついてるって」
「やろう」
タブレットを弄っていた蝶番が「お友達同士で対戦しよう!」と書かれた画面を見せてきたので、それを受け取る。
「でも俺と一景、二人とも歌える曲ってある?」
「お前がさっき歌ってた曲、俺も歌える」
「じゃあそれ入れよう。あ、でも待って、普通に歌いたいのがあるから、それ先入れてもいい?」
手を伸ばして蝶番がタブレットを弄り、ショート動画で流行っている曲を入れる。すぐさま曲が始まり、蝶番は歌い出した。
流れるような歌声が響く。蝶番はご機嫌に笑っていた。
いつものチャシャ猫じみた薄っぺらい笑みではない。例の官能的な笑みでもない。ただの少年らしい、綺麗で純粋な笑み。
「はぁ……」
こうやって笑うなら、こいつは普通だ。どこにでもいる、至って普通で大切な友達。
こいつが余計なことさえしなきゃこんな風に警戒して、面倒なことをしなくていいのに。
そうすれば、普通の友達でいられる。俺だって心置き無く一緒にいられるのだ。
「……お前、いつもその感じでいろよ……」
なんとなくそう呟いた。歌声と音楽にかき消されると思っていたのに、彼は歌うのをやめてこちらを見る。サビが虚しく流れていった。
「何?」
「何も。歌えよ」
「一景との話の方が大事だけどー?」
分かりやすい猫なで声でそう言われ、鳥肌がたった。
「なんでもない。なんでもないって」
「なんでもなくないよ」
腕の鳥肌を強引に擦って消す。画面に歌詞が表示されては消えていく。
「さっきの、どういう意味?」
「……そんな深い意味じゃない。普通で、邪魔せず、余計なことせず、そうやって歌ってたらカラオケでも俺の家でも連れて行けるのになぁって。だから、ずっとその感じで頼めないか?」
「なるほどー」
にや、と蝶番が笑う。さっきの少年らしい笑みとは違う、凶悪な笑みだ。
「一景は無邪気でかわいい俺が好きってこと?」
揶揄いが透けて見える声だ。じろりと睨みつける。
「そうだ。ずっとあの感じでいてくれ」
開き直ってやれば、蝶番が「あはは」と笑った。
「そっか。そーゆーのが好みなんだ。無知系が好き? 俺、合わせようか?」
「合わせようとしてる時点でなんか違うだろ」
「繊細だなぁ」
そこで丁度曲が終わる。対戦モードを入れる前にドリンクを注いでこようと、烏龍茶を飲み干してから立ち上がった。ついでに蝶番のコップも持つ。
「ドリンクいれてくる。お前、アイスティーでいいか?」
「や、俺も烏龍茶がいいな。氷なし。別のお茶だけど、そのコップに注いでいいから」
「はいはい」
手を振って見送る彼を残し、ドリンクバーへ向かう。
そこには既に中学生くらいの男女が集まり、氷が出る機械のボタンを連打していた。
「やっぱ出てこない……。どうしよう」
ひそひそと話し合う彼らは、困っているようだ。
なのでカウンターから店員を呼び、氷を補充してもらった。
「ちょっと時間かかったな……」
一応店員を呼んだのは俺なので氷が補充されるまで見届けてきたが、時間がかかってしまった。
きちんと二人分の烏龍茶を用意して部屋へ向かう。なんとなく俺も氷なしにした。
「蝶番、お待たせ」
対戦モードの設定は終わったのか!蝶番はスマホを弄って待っていた。彼はスマホをテーブルにおいてドリンクを受け取る。
「一景、なんか遅くなかった?」
「ドリンクバーの氷がなくて困ってる人がいたから、店員に氷出してもらってた」
「この短時間で人助けしてたの? 善行なら責められないなー」
「責める気だったのかよ」
蝶番がタブレットを引き寄せる。その拍子に彼のスマホが床に落ちた。それはそのまま滑り、俺のつま先にあたる。
「おい、スマホ落ちたぞ」
俺はそれをなんの気なしに拾い上げた。
スマホにはSNSのDMが表示されっぱなしだった。人のスマホを見るのはまずいと思ったが、その内容に視線を止めてしまう。
『それじゃあ四万円で。19:30に駅前で待ってます』
DMにはそう書いてあり、蝶番のものと思われる太ももの写真が添付されていた。
その前のやり取りではどこのホテルで、いくらで、なんて話が続いている。
さすがの俺でも理解できた。これは、まずいものだ。
「蝶番!」
「何?」
自分の頬が引きつっているのが分かる。怒りや不安が混ざり合い、どんな風に声をあげればいいのかよく分からない。
蝶番は俺が握っているスマホを見て、その画面を見て、うっすらと笑った。
「あー、DM、開きっぱなしだっけ」
彼は「対戦してる場合じゃないかもね」とソファーに座り直す。ソファーが軋む音が嫌に深く耳に残った。
蝶番はろくでもない奴だ。それは最初からわかっていたはずだ。しかし、俺は彼と仲良くなってしまった。
だからこの先が奈落だとか深淵だとかそういう類のものだと分かっていても、足を踏み入れざるを得ない。
きっと蝶番も、それを分かってる。
「俺が他人でも、一景なら踏み込んだと思うけどね」
全てを見透かした言葉を呟いて、蝶番は笑みを深める。
「それじゃあこれからどうするか、話し合おっか。一景」
変な汗が滲んで、背中を伝っていった。