チョコレートフィクション

普通の友達。自分からそう言うだけあって、次の日から蝶番は普通に接してきた。
「おはよ、一景」
普通に挨拶し、普通に笑いかけ、休み時間は時折喋りに来る。
周囲のクラスメイトたちはやはり驚いていたが「あいつは友達だ」と言えば「まぁお前なら蝶番と仲良くなれるか……」と納得していた。
前から思っていたが、俺への評価がどんどん過剰になっている気がする。恐らく向風辺りが尾ひれつけて吹聴している。
「じゃあ、自習でもするか」
蝶番はどんな誘いでも、例えばこんな誘いでも結構喜んでついてきた。
誰もいない放課後の教室で二人、机を付き合わせて勉強する。俺も蝶番も成績が良いので、進みはスムーズだ。
「ある程度までは教科書読むだけで全部わかるんだよね。でも資料集とか問題集とかの発展問題までいくと、わかんないのもあってさ」
蝶番がそんなことを言いながら、ノートに数式を書き込んでいく。俺も同じく計算問題に手をつけた。
「暇で仕方ない時はたまに勉強してるけど、面白くは無いよね。でも一景となら勉強も楽しいよ」
「それは光栄だけど、暇な時に勉強するってどうなんだ……? 趣味とか、ないのか?」
「趣味?」
蝶番は「何それ?」と言うみたいに首を傾げてしまった。
「ないのか、趣味」
「んー、セック」
「それは趣味じゃない!」
「じゃあ、ないなぁ」
酷い会話だ。
「でも趣味が楽しいことって言うなら、今は一景といることかな」
「気持ちは嬉しいけどそれ、俺がいないと成立しない趣味だよな……」
「一景のことを考えるのも楽しいよ。今何してるのかなって思うのも、幸せ」
「そ、そうか……。ありがとう……?」
「どういたしまして」
それから俺は逃げるようにノートへ向かい、蝶番も同じようにペンを握った。
俺は文系、蝶番は理系だったので得意分野が違い、教え合うとかなり捗った。
「ボーリング行くぞ」
今度は屋内アクティビティ施設、そのボーリングに誘ってみた。蝶番は「やったことないなー」と言いながらついてきた。
そしてやったことないなーと言いながら、平然とスペアを連続して出して見せた。1ゲーム目は俺の負けだった。
「何がやったことないだよ、だいぶ上手いぞ」
「こればっかりはセンスかな? 生まれつきの才能ってやつ? でも初めてなのは本当だって」
そう言いながら蝶番が俺に手を見せる。
「ほら見て。ボールの投げ方分かんなくて、突き指しちゃった」
ボーリングは1ゲームで切り上げ、蝶番の手当に時間を費やした。突き指は軽いもので、次の日には治っていた。
「ビュッフェ行くぞ!」
今度はビュッフェに誘った。しかもただのビュッフェではなく、高級ホテルのビュッフェである。
「え、行くのはいいけど……ここ、高校生が放課後に行くクオリティじゃなくない? あと制服で大丈夫? 叩き出されない?」
「母さんが期限切れそうなペアチケット貰って、友達と行ってきなさいってくれたんだよ。ドレスコードはないから安心しろ」
若干不安そうな表情でついてきた蝶番だったが、美味しそうな食事を前にするとせっせと食べ始めた。
俺も食べた。ローストビーフもピザもフライも全部美味しかった。
「うまー」
機嫌よく蝶番が皿を空にしていく。細身の割によく食う奴だ。
しかし、散々不安そうにしてた割にはやたらこの場に馴染んでいる。初めて来たとは思えない。
「お前、こういうところ慣れてるのか?」
「ん、まぁねー」
何気なく問いかけると、彼はジェラートを食べ進めつつにやりと笑う。
「でも友達と来たのは、初めてかも?」
含みを持った言い方だ。迂闊に言及すればまた余計なことをされそうで、適当に流そうと決める。
「お前がその気になれば、いくらでも友達作れそうだけどな」
「そうかな? 俺ってば美少年すぎて、距離取られがちなんだよね」
「顔の問題にするな。生活態度のせいだろ」
「あはは」
チョコレートのジェラートが彼の口の中で溶けて消えていく。
「でも普通の友達みたいなの、本当にいたことなかったからさ」
蝶番と目が合った。色素の薄い瞳がからかうように細められ、笑みを作った。
「これもこれで結構楽しいよ、一景」
ジェラートが溶けていく。甘い匂いがしていた。


そういう感じで、俺たちは普通に仲良くなっていった。俺の友達はみんな週五で活動する部活に入っているので、放課後の時間が合う蝶番が誘いやすかったのもあるだろう。
それに何より、蝶番が好意的で積極的なのが良かった。何を話しても、どこに誘っても楽しそうに振る舞うのだ。
お前が好きだからどこでも楽しいと言われると少し戸惑ってしまうが、言葉通りどこでも楽しんで貰えるのは嬉しかった。
蝶番が友達として適切な距離感を保ってたのも理由だろう。突然服を脱いだり、キスをしない彼は友人としてかなり理想的だった。
「一景、帰るなら一緒に帰ろ」
放課後、蝶番が俺の席に近寄ってくる。少しずつ見慣れてきたその光景に、俺は頷いた。
ちなみに砥石は部活でもうおらず、向風も追試を受けに行ったのでいない。
「そうだな、帰るか」
「今日はどっか行かないの?」
じ、と探るようにこちらを見てくる蝶番。俺も彼を見返し、少し考え、言った。
「じゃあ、行こう」
「どこへ?」
「俺の家」
その言葉に蝶番が少し驚いた顔をして、また笑った。
「……それって、勉強会?」
「そう。今日この教室、別の部活が使うから使えないんだよな。それに自習室は私語厳禁だから話せないだろ」
嫌ならいいけど、と言うと蝶番は「まさかぁ」と笑う。
「行こ。一景の家、気になるし」
「……そんな面白いものじゃないぞ」
「ベッドの下とか探っていい? あと鍵がかかる引き出しの中とか」
「絶対にやめろ」
きゃらきゃらと笑う蝶番を連れて帰路につく。俺の家までは電車で五駅、そんなに遠くない。ちょっと話している間についてしまった。
「おおー、普通の家だ」
住宅街に佇む一軒家、つまり俺の家。特に代わり映えのないそれを見て、蝶番は真っ先にそう言った。
「そりゃ、普通だよ。何期待してたんだ」
「ねー、もう上がっていい? 靴下とか新しいのに履き替えた方がいいかな。たまたま新品持ってるけど」
「そんな気を遣うな……」
そもそも偶然新品の靴下を持っているって、どういう状況だろう。
「お邪魔しまーす。ちなみに親は? 兄弟は? いる?」
「親は仕事だから夜まで帰らない。一人っ子だから兄弟はいない」
「ふーん……」
階段をのぼり、自分の部屋に招き入れる。蝶番はお邪魔します、と律儀にもう一回言ってから入ってきた。
「わぁ。物、多」
ぐるりと部屋を見渡した蝶番がそう言う。からかうような口調ではなく、感心したような口調で。
「サッカーボールにダンベルにボードゲーム……あ、これエプロン? タロットカードとかもあるし、うわこれ映画? しかもDVD? タイトルからしてガッツリB級じゃん」
彼の言うとおり、部屋の中には大量グッズがあった。彼が言ったもの以外にも初心者向け手品グッズや御朱印帳など、本当に様々なものが収められている。収納は常にギチギチだ。
「一景って多趣味なんだ。料理とかできるの?」
「いや、多趣味って訳じゃない。料理は人並にできるけど」
「違うの? じゃあ、どういう訳なの?」
棚にあったソフビ人形を指でつつきながら、蝶番が振り向いた。
俺は同じ棚に保管された折りたたみ釣具セットとジグソーパズル、それからサウナハットを同じようにつつく。
「お前が言ってるのは全部、人から貰ったやつだ。なにかのお礼とか、誕生日プレゼントとか。布教も兼ねて趣味のものを贈ってくる奴がちょいちょいいるんだよな」
この部屋にある多種多様なグッズのほとんどは人から貰ったものだ。
最初はお菓子やハンカチと言った定番のプレゼントを貰うことが多かったのだが、食べきれなかったりハンカチの枚数が膨大になった辺りで「これ以上は貰えない」と断るようになった。
その結果、趣味の品々を渡してくる人が増えたのだ。おかげで俺の部屋はかなり無作為になっている。
「へぇ、一景ってモテモテ。俺もそこに釣られたひとりだから分かるけど」
「貢がれてるとかじゃなくて、お礼の品で貰ってるんだからな?」
誤解がある気がする。しかし器は「やれやれー」とわざわざ口で言い、呆れるように首を振った。
「みんな、一景が自分と同じ趣味にはまって欲しいと思って渡してるんでしょ。同じことをしたいなって期待といじらしさを感じるけどなぁ。一景ってば、鈍感?」
「う……」
流石にそれは考えすぎだろと反論しかけたが、プレゼントを貰った際に何人かから「もしはまったら一緒にやろうね」と言われていた。
つい黙り込むと蝶番はくすりと笑い、俺に歩み寄った。
「一景」
肩に手をかけられる。抵抗する間もなく顔を寄せられた。
鼻先が僅かに触れ合う。彼の整った顔がよく見えた。
「ん」
軽い音とともに唇へ唇を押し付けられる。二度目の感触に身を引くものの、ぎゅっと身体を押し付けられた。
体重をかけられ、より深く唇を重ねられる。彼の舌が入れろと言わんばかりに俺の唇を舐めていった。
「おい!」
反射的に肩を掴んで引き剥がす。彼はにやりと笑ったあと、俺の服を軽く捲った。
外気が肌を撫でていき、脳が警告音を鳴らす。
「一景」
もう一度、耳元で名前を呼ばれる。甘く低い声が耳から入り込み、その吐息が耳たぶに触れた。
ぞわ、と未知の感覚が腹の奥で疼く。いつもの甘い匂いが彼の肌から香った。チョコレートみたいな匂いだった。
指が滑り、腹のラインを撫でる。指が胸の方へとあがってくる。甘い吐息、甘い指先、甘い視線、冗談みたいに甘ったるい全てを前に熱が滾る。
俺の理性を無視して本能に語りかけるような、そんな触れ方だった。
「……離せ!」
これ以上はまずい。そう思い彼を突き飛ばすが、よく考えたら彼は俺の肩に手を回していた。
倒れる蝶番に巻き込まれ、俺も一緒に倒れ込む。
「お、いい姿勢」
咄嗟に蝶番の頭を庇えば、半ば押し倒すような姿勢になってしまった。蝶番はくす、と笑う。
ちらちらと覗く赤い舌がやたらと扇情的だった。身体を離そうとするが、いつの間にか彼の手が俺の背に回っている。
「もしかして先にシャワー、浴びたい?」
「お前、普通の友達になるんじゃなかったのかよ!」
「そうそう、普通の友達。でも俺たち結構仲良くなったし、次のステップに進んで良くない?」
「良くない! というかまず次のステップは多分これじゃない! ステップ飛ばしてるだろ!」
ぐ、と引き寄せられた。彼の上に落っこちそうになるが、腕に力を込めて耐える。
「俺、みんなに好かれる一景が好きなんだよね」
蝶番がじっと俺を見つめている。
「付き合って欲しいんじゃないよ。お前のものになりたいの。俺じゃだめ、かな」
その瞳は嫌に真摯な色を宿しているくせに、唇はうっすらと笑っていた。
そのアンバランスさが怖いくらい魅力的で、落ちた先が深淵だと分かっているのに望んで踏み外してしまいそうな何かがある。それが、本当に怖い。
「好きって……お前、本気かよ」
強引に腕を解いて身体を起こした。蝶番が起こしてというように手を広げたので、仕方なく起こしてやる。
「やっぱり優しい。本気で好き」
「えぇ……」
嬉しそうに目を細め、笑いかけられる。綺麗な笑みだった。
「そのえぇって、信用出来ないってこと?」
「いや……そうじゃなくてな……」
ちらりと蝶番を見やる。彼は俺の返答を待っていた。
「……信用出来ないって言うより、そこまで好かれてる理由が分からない……。そりゃお前に優しくしたとは思うけど、それだけで普通は好きになんないだろ」
「そっか」
ふふ、と蝶番が笑みを深めた。
「まぁ、理由なんていいよ。俺の気持ちは変わらないから」
「いいのか……?」
「いいよ。実際好きっていうのも、信じて欲しい訳じゃないし。お前のものになれればそれでいいし」
「お前の価値観が分からない……」
エイリアンってこんな感じなのだろうか。
「あはは」
蝶番が笑う。俺を見て笑う。
「好き」
彼が囁く。その言葉が真っ赤な嘘には思えないが、返事を求められている気はしない。
「俺にはきっと、お前だけだよ」
なぜ好きなのか。なぜそこまで言えるのか。それを知りたいと思うし、知ってしまえば戻れないと思う。
「……蝶番……」
そもそも、彼はなぜ付き合いたいと言わないのだろう。恋愛的に好きならば、恋人になって独り占めしたいと思うのが世の常ではないのだろうか。
つい考え込むと蝶番がさりげなく身を寄せてきたので、五歩くらい下がっておいた。壁際に追い込まれないよう、部屋の出入口の方に逃げることも忘れない。
「なんで逃げるの?」
「この流れで逃げないわけないだろ。あとそこに座れ。二度と勝手にキスする気が起きないように説教してやる」
「そんなぁ、俺が悪いの?」
お前以外の誰が悪いのか。睨みつければ、蝶番はにやにやする。
「今まで人目があるところにしか誘われなかったけど、密室で部屋にまで誘ってくるってことはとうとう来たな……! チャンス! と思って」
「何も来てない。帰れ!」
「来たばっかなのに?」
ちゅ、と蝶番がわざとらしく唇を尖らせる。
「俺、下手じゃないと思うけどなー。キスも上手いし。知ってるでしょ? ちょっとしたキスだけならノーカンじゃない?」
「何をカウントするにあたってのノーカンなんだ」
「じゃあ『あんなのはキスじゃない』って思えるくらいのキスしてあげるよ。下着とか脱いだ方がいいよ、射精したら汚れるから」
「お前そろそろ本気で追い出すからな!?」
何が良かったのか蝶番は床に転がってげらげら笑った。そしてたっぷり一分ほど笑ったあと、涙を拭きながら起き上がる。
「はぁ、面白い~~。好き」
俺は何一つ面白くない。
「普通の友達ができないなら追い出すからな」
「ごめんごめん。嫌われたい訳じゃないんだよね」
蝶番が床に倒れ込んだまま俺を見上げる。色素の薄い髪が喉や首筋に張り付いていた。
「俺、いい子にできるよ。一景」
彼は俺の手を握った。
「だから、カラオケ行こ」
「は!?」
話が見え無さすぎる。しかし、逃がすかと言わんばかりに手を強く握りこまれた。
「だって一景、このまま部屋にいても集中できないでしょ。油断も隙も見せたら俺に襲われるかも、今度こそ戻れないキスされるかもって」
「それはお前のせいだろ」
「だから、カラオケ行こ。俺が何もしないってところ見せてあげるし、今のカラオケはエロい事するとすぐ店員来るから安心でしょ」
「なんでそんなこと知ってんだ……?」
「知りたいの?」
「知りたくない」
ようやく蝶番が手を離す。
「一景が俺のことを密室に誘わないようにしてたのは前々から気がついてたんだけど」
彼は長い髪をカーテンみたいに揺らしながら、にやにや笑った。軽く睨んでやった。
「お前が何かしでかしたら、嫌だからな」
「分かってるって。でも、そうなるとカラオケって友達の定番スポットなのに行ってないよね? 今日はもう襲わないしさ、行こうよ。一景とカラオケデート、したいな、俺」
「今日は!?」
聞き捨てならなさすぎる言葉だったが、蝶番はさっさと荷物をまとめてしまう。
このまま家から追い出す選択肢が頭をよぎった。しかし、流石に抵抗がある。
それに蝶番は楽しそうに鼻歌まで歌っており、ここで行かないなんて言えるわけが無かった。
「……お前、絶対余計なことするなよ」
結局、俺はそう言うことしか出来ない。蝶番がニヤニヤ笑う。
「しないしない」
「絶対だからな」
念押ししてから俺も荷物をまとめる。ついでに制服の上着に手を伸ばしたが、やっぱり止めた。
「あれ、着ないの? 帰りは冷え込むかもよ」
「いや、いい。着たらブラシがけしないといけないしな」
「一景ってそんなことまでしてるんだ」
蝶番が上着を眺め、その隣にかけてあるブラシを見つめた。
「……そっか。そうなんだ」
蝶番が俺を手を取り「どこのカラオケ行く?」と問いかけてきた。それに「近くの」と返し、二人で家を出た。