チョコレートフィクション

結論から言うと、俺たちは付き合ってない。器は俺と付き合いたいと思ってないし、俺も器に『大切にされる人生』って言うのを教えるまでは付き合えないと思ったからだ。
だから付き合ってない。はず、なのだが。
「キスしよ、一景」
当たり前のように言う器を前に、俺は痛むこめかみをおさえた。
「しない。いつもしないって言ってるむぐぐ」
風情もムードもなくキスされた。彼を引き剥がし、唾液がついたその口元を拭ってやる。自分の口元も拭った。
特別棟四階、空き教室。出会いと酷い思い出が詰まったその場所に、俺たちは二人きりで立っていた。
理由は簡単。昼休みに入った途端、器が教室で「キスしよう」と余計なことを言い始めたからである。他の誰かに聞かれる前にと慌てて拉致してきたのだ。
最初は手近な音楽準備室に行こうかと思ったが、あそこは合唱部が練習に使い始めたので近寄れなくなった。
「お前、キス魔になりやがって……」
器がアカウントを復活させ、もう一度削除したあの日から一週間。
彼は場所を問わずふとした時に「キスしたいな」と言い出し、執拗にねだってくるようになっていた。
「だって、一景が色々してくれるからさ。その時に一景が『大事にする』って言ってくれたのを思い出して、堪らなくなっちゃって」
はぁ、と器がうっとり目を細めてため息をつく。その目は甘くとろけ、喜びに満ちていた。
そこまで喜んでくれるのは嬉しいが、俺の負担がでかい。
「もう一週間経つんだから、そろそろ慣れてくれないか? 毎回キスする俺の身にもなってくれ」
「あと五十年くらいは新鮮に喜べそう。その度にキスしてって言うんだろうな~~」
「口寂しいならガムでも噛んだらどうだ。俺が買ってきてやる」
「一景ってば俺に欲情するくせに、キスしたくないんだ? って言うか抱くのはだめなのにキスはいいの?」
「本当はキスも良くない。良くないんだよ……」
器は大事にする。俺はこの一週間、それをモットーに行動した。
朝は彼を迎えに行き、昼は一緒に食事をし、夜はメッセージを送る。放課後を向風や砥石と過ごすことはあったが、できるだけ器に気持ちを向けられるように生活した。
愛していること。大切であること。それがどういうことか、彼に教え込むために。
器は否定せず俺の行動を受け取ってくれた。時折「これが大事ってこと?」と確認も取ってくれたし、俺を拒否しないように努めてくれた。
その気持ちは嬉しかったが、喜びすぎて教室で「キスしよう」と言い出すのは普通に困る。
「ええー。わがままだなぁ」
器は人差し指を唇に押し当てる。そして閃いた、というようにその指を立てた。
「昼休みが終わるまで、いっぱいキスしよ。貯めておけば我慢できるかも」
「寝溜めかよ」
「あ、でもお昼食べる時間は残しておかないとね。昼休みが終わる十分前くらいまでキスしようよ」
「……わかった」
俺が頷けば、器は意外そうな顔をした。
「え、無理やだ出来ないよーって言わないの? 俺、この後どうやって言いくるめるか考えてたんだけど」
「そんなことだろうと思った」
彼に歩み寄り、その後頭部に手を回す。慣れた丸みが手の中に転がった。
唇を寄せる。鼻先がぴた、とくっつく。
「俺、お前がキスしたいって言う度、何だかんだ毎回応えてただろ」
「うん」
「まぁ、つまり……。一応、俺もキスしたい」
器の瞳が輝き、少年らしい煌めきを見せた。それを独り占めするように唇を合わせる。
舌を入れるようなものではなく、本当に唇を押し付け合うだけのキス。けれど心地よい。
「一景、好き」
キスの合間に器がそう言い、背中をつぅと撫でた。官能をくすぐる手つきについ眉をしかめる。
「馬鹿、誘惑するな」
「一景のこと、悲しませたくないからさ。大事なことなんて忘れちゃおうよ」
「気持ちだけ貰う」
キスをする。体温を交わすだけでたまらない気持ちになる。熱を帯び始めた嫌な衝動を飲み込んで、この幸福感を飲み干すようにキスをした。
「だからお前は、大人しく大事にされててくれ」
器が笑う。目を細めて笑う。
「うん」
ふと彼が身体を少しだけ離し、俺に体重を預けながらこちらを見上げる。
開けた窓から風が差し込んだ。ぶわ、と器の髪が広がる。長い髪は宝石みたいに光っていた。
「ねぇ、俺ってフィクションみたいだと思う?」
器が俺を見ている。何よりも綺麗な笑みを浮かべて。
「確かに、作り物みたいに綺麗だな」
ついそんな言葉が出た。器はぱちりと目を瞬かせた。
それから、死ぬほど面白い冗談でも聞いた時みたいに笑いだした。思わずたじろぐが、笑い声は止まらない。
器は笑いまくって散々咳き込んだ後、瞳に涙を浮かべて俺に抱きついた。
「一景、愛してる!」
甘い匂いが風に乗って届く。作り物めいた、彼の匂いだった。