チョコレートフィクション

ベッドに潜り込むと、一景の匂いと体温があった。
「おお……」
「なんだよ、おおって」
「なんか不思議な感じだなって」
そう言いながら先にベッドに入っていた一景に抱きつく。常夜灯にうっすら照らされたその顔が、ちょっと嫌そうに歪んだのが見えた。
「え、なんで不満そうなの」
「お前の手が俺の服に入ろうとしてるんだが」
「あっ、つい」
抱きついた拍子に、うっかり手を入れようとしてしまった。無意識だったのできちんと意識して手を突っ込もうとすると、軽く払われる。
「あー」
「寝ろよ。寝るためにベッドに入ったんだろ」
「えぇ、でも」
人とベッドに入るのは、だいたいセックスする時だ。だから、なんか、勿体ない。
そんな感じのことを言おうとして、慌てて口を噤んだ。
多分、そういうことを言ったらまた一景を悲しませてしまう。さすがの俺でもそれくらいは分かっているつもりだ。
「でも?」
「なんでもなぁい」
誤魔化してその肩に顔を埋める。一景は寝かしつけるように頭を撫でてくれた。
「ほら、寝ろ」
「うーん……。せっかくなら一緒のベッドっていうシチュエーションを余すところなく堪能してから……」
「寝ろ!」
頭を撫でていた手が背中に回り、ぽんぽんと叩いてくる。完全に寝かしつける体勢だ。
「あ、そうだ。寝る前だけど一景がいい気持ちにならない話していい?」
「良くないけど……なんだ」
「文化祭が終わってすぐ。先生と話、したよ」
一景の瞳が一気に真剣になる。俺も同じように真剣になれるよう、少しだけ深呼吸した。
「ちゃんと先生にも謝ったよ。なんでか、謝らなくていいみたいなことは言われたけど。後もう会わない方がいいって言われた」
先生との最後の会話は通話になった。俺は誘惑したことを謝ったけど、先生は頑なに自分が悪いと言い続けた。そして「もう会わない方がいいわ。ごめんなさい」で通話が切れたのだった。
先生に悪いところなんて一つもなかったと思うけれど、あまりに悲しそうに言うので何もいえなかった。
「そうか……。そうか。教えてくれてありがとう、器」
一景がさっきより優しい手つきで頭を撫でてくれる。
「ふふ」
髪をすかれるのが気持ちいい。笑い声を零せば、強張っていた一景の口元が優しく笑みを描いたのが見えた。
一景のこういう笑い方が好きだ。優しくて、特別で、眺めているとつい心惹れてしまう。
先生の笑う顔も好きだったけど、どうして一景はこうも特別なんだろう。
「くぁ……」
眠くなってきたのか、一景が欠伸をする。わざわざ手を口元にあてる行儀良さにときめいた。約束がなかったらべろちゅーのひとつやふたつ、ぶちかましていたところだ。
「はぁ、好き……」
行動は我慢したけど、言葉は我慢しきれなかった。
「はいはい」
いいから寝ろと言わんばかりに背を叩かれる。俺はもう一度ベッドに潜り込み、つま先を一景の足首あたりにあてた。
「あ、いやまて」
「ん、何?」
毛布の中から一景を見上げる。目があって、視線が絡み合った。
「俺も好きだ、器」
薄闇の中で一景の瞳だけがきらきらと、星のように輝いていた。
なんとなく、彼を好きになった瞬間を思い出した。
一景の硬い指先が口元を拭ってくれた時、あの時も彼の瞳は煌めいていた。
一景は不思議な人だ。だいたいの人は優しさの対価に身体を差し出したら喜んでくれたのに、あの時の一景はキスしたら「やめろ」と言った。
やめろと言ったのに、口元を拭ってくれる。対価を求めない人。
彼の優しさに触れる度、空っぽが嘘のように心地いいもので埋まっていく。
一景がくれるものが、俺の中で宝物になっていく。
「……うん。嬉しい。大好き」
好きと言われると、何だかどきどきした。その言葉が新しい宝物になって、俺の心を満たしていく。
自分が変わっていく感覚がある。それが心地よい。
心が満たされると、なんだか眠くなってきた。自然な眠気にまぶたを落としていく。
「……おやすみ、器」
遠くから一景の声が聞こえる。
一景、好き。好きだ。
眠い意識の中で、ぼんやりと思う。
きっとお前が思うよりずっと、お前のことが大好き。
「……うん」
本当はまだ、一景に言ってないことが一つだけある。
一景を悲しませないように壊してあげるって言ったけど、本当は『俺が一景によって変わったように、俺も一景の何かを変えたい』と思っていたこと。
なんでそう思うかはまだ分からないけど、それも一景が教えてくれるはずだ。
「おやすみ」
だから今は、分からないままでいいか。