チョコレートフィクション

教授。
これは俺のあだ名だ。ふざけて呼ばれているのではなく、同学年のほとんどが認知しているガチのあだ名である。
ちなみにこれは比較的マシな方で、一時期は賢者とか師匠とか大先生とか、信じられないのがあった。
こんな大仰なあだ名を貰っている俺の本名は留金 一景(とめがね いっけい)。ちょっと特徴的かもしれないが尖りすぎてはいない、普通の名前だ。
肩書きは高校一年、十六歳。当然教授ではない。
では何故、教授と呼ばれているのか。それは俺の人格に由来する。
自分で言うのもなんだが、俺は人助けに積極的だ。流石に「人助けが好き」とは言わないが、目の前で誰かが困っていたら手を差し伸べるくらいの甲斐性はあるつもりで生きてきた。
幼少期はこういうのを普通だと思っていたが、他者には特別に見えたらしい。
昔から廊下で蹲る生徒を保健室に送り、先輩の探し物を手伝い、部活に助っ人参加し、人手が足りないと乞われてボランティア活動に出席し、他者の頼みをきき続けた。
その結果が「教授」呼びである。
勉強会を主導し、クラスメイト五人を高校合格まで面倒見続けたのも理由のひとつだと思う。
とにかく、俺はそういう人間なのだ。しかし今回はそれが仇となり、頼み事を受けた先であんな場面に出くわした訳だが。
「……くぁ」
あのキスの翌日、俺は欠伸を噛み殺しながら学校の廊下を歩いていた。窓から差し込む朝日が眩しい。
昨日はよく眠れなかった。言うまでもなく蝶番のせいだ。
「はぁ、マジで眠い……」
ベッドに入って寝ようとする度、キスシーンが蘇った。それを無視すれば、今度は舌の感触が口内に蘇った。
蘇るそれを消そうと何度も歯を磨いた。磨いたが、甘い匂いと舌にまとわりつくあの温度は忘れられなかった。
結局何時に寝たのか、全く覚えてない。
「ふぁ……」
欠伸をしつつ教室へ向かう。時折生徒や先生が「おはよう」と声をかけてくるので挨拶を返し、 ふらつきつつも教室へ辿りついた。
途中で拾った空き缶を分別してからゴミ箱に放り投げ、自分の席に座る。
教室には既に蝶番がいた。昨日はつい突き飛ばしてしまったが、怪我は無さそうだ。見ていることがバレる前に視線を逸らす。
「おはようございます、留金くん」
「教授! 助けて!」
そこで先に来ていた友人二人が俺の席にやってきた。いつも通り丁寧に挨拶をしているのが砥石(といし)で、俺に縋り付いているのが向風(むかいかぜ)である。
「助けない。どうせ数1の課題がわかんなかったんだろ。お前、今日当たるもんな」
「それだよそれぇ! 答え教えてなんて言わないからさ、解き方教えて!!」
向風がかなり情けなく縋り続ける。そうされるとつい助けたくなってしまい、危ない。
「やろうと思ったんだけど教科書読んでも参考書読んでもわかんなくてさぁ! ってか俺が今日あたるとこ発展問題じゃんマジ無理だって!」
「発展問題は正解できなくてもいいし、最悪途中まででもいいって先生言ってるだろ。やれる所までやれよ」
先生の方針がそれなら助けてはいけない。ぐっと我慢すると、向風は土下座する勢いで頭を下げてきた。
「やれるところなんてないから頼んでんだ! 助けて教授! 教授!」
「教授って呼ぶな」
ぴーぴーうるさい向風の隣で砥石は涼しい顔をしている。
「ほんとマジでお礼するから~~俺、礼だけは怠ったことないじゃん! 頼むよ~~」
本格的に情けない姿勢になったところで、向風はぴたりと動きを止めた。
砥石も俺の背後を見て「あ」と小さく声をあげる。
「何……」
言葉を発する前に真後ろから作り物みたいに甘い匂いがした。
「おはよ、一景」
振り向かずともわかる。俺の後ろに立っているのは、蝶番だ。
「…………」
冷や汗が出た。振り返るのを躊躇してしまい、不自然に机を見つめたまま固まる。
蝶番が誰かに話しかけているのが珍しいからか、俺の挙動が変なのか、あちこちから視線を感じた。
「聞こえなかったかも、ごめんね」
そんな視線をものともせず、蝶番が机に浅く座ってくる。勝手に視界に入ってきた彼は、友人のように身を寄せてきた。
「あのさ、昨日の続きだけど」
堂々と話し始めた彼に嫌な予感がした。
ここで彼に話をさせてはならない。理性と言うよりは本能がそう判断し、つい強引に彼の手を掴む。
「ごめん、ちょっと蝶番に用あるから!」
そのまま蝶番を教室外に連れ出した。砥石と向風、あとクラスメイトが唖然としている気がするが、一旦無視させてもらう。
「どこ行くの?」
そう問いかける蝶番も無視し、とにかく人気のない場所を探して廊下を進む。
そして扉が開けっ放しの音楽準備室を見つけると、人がいないのを確認してから蝶番を放り込んだ。
「よし鍵……閉じてるな」
内鍵をかけられるタイプの部屋だったので、しっかり鍵もかけておく。これからする話を考えると絶対人に聞かれたくない。
俺は何度も何度も鍵を確認してから、蝶番の方を振り向いた。
「よいしょっと」
振り向いた先にいた蝶番は服を脱ごうとしていた。俺はその手を掴み、彼のシャツを元に戻す。
「お前、馬鹿か? なんで脱ぐんだ?」
念の為きいておく。なにかまともな理由があってくれれば、まだ許せる。
「ごめんごめん。脱がせたいタイプだったんだ。はい、いいよ」
「よくない!!!!」
蝶番が自分の服を掴ませてようとしたので手を引く。えぇ、と彼は不満気な声を上げた。
「じゃー、なんでこんなところ連れ込んだの?」
「お前が教室で変なこと言いそうになるから連れてきただけだ! お前、本当に、絶対余計なこと言うつもりだっただろ」
「そんなぁ。昨日の続き、何時する? って言いたかっただけだよ。その流れで連れ込まれたから『あ、今なんだ』と思って」
「今なんだ、じゃないが!?」
そもそも、なぜすること前提で話が進んでいるんだ。
「断るなら教室で断ってくれても良かったのに。連れ込むから期待しちゃった。あーあ」
蝶番は被害者ヅラで唇を尖らせる。こいつは学校をなんだと思っているんだろう。寝不足で痛む頭がますます痛くなってきた。
「……なんで昨日拒否られたのに、今日はいけると思ってるんだ……」
ついぼやく。同時に蝶番が俺に歩み寄り、背中に手を回してきた。
「おい」
振り払おうとした手を握られる。指と指の間に、彼の指が入り込んできた。
「一景」
はっきりとわかるほど愛おしげに名前を呼ばれた。繋がれた手から体温が滲んでくる。小さな窓から朝日が差し込み、蝶番の髪がきらきら光っていた。
そんな中で彼が笑う。驚くほど綺麗に、作り物みたいに。
「好き」
当たり前みたいに囁かれた言葉を前に唖然とした。愕然とした。
それから一旦耳を触り、自分の頭を触り、耳が外れたり熱があったりしないことを確認する。ついでに蝶番の額にも触れた。熱くなかった。
「は?」
一旦聞き返してみる。
「好き」
どうやら間違いじゃないようだ。俺はそっと手をほどき、もう一度蝶番の額を撫でた。やっぱり熱は無い。蝶番は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「ごめん、意味がわからない」
マジで意味がわからなかった。しかし蝶番はムカつくほど綺麗な笑みを浮かべている。
「昨日、好きって言わなかったっけ? とにかく一景のこと好きになっちゃったから、俺と一線越えて身体の関係を持とう?」
「せめて付き合ってとか言えよ!!」
顔がいいだけあって発言の最低度合いが酷い。慌てて自分の身を抱いた。
「そもそもお前、昨日口止め料って言ってただろ。口止めでやるんじゃないのかよ。好意があるなら口止めじゃないだろ」
「口止め料ではあるよ。実益も兼ねてるだけ。だから『支払わせて』って言ったし」
「兼ねるな、そんなの!」
じりじりと後ろに下がるが、蝶番はその分を平気で詰めてくる。鍵をかけたのは失敗だったかもしれない。
「でも、話されたら困るのは確かなんだよね。俺じゃなくて、先生が。だからほら、性的にご奉仕するから先生のことは黙っててくれない?」
そう言われて、昨日の光景を思い出してしまった。
そして、思い出してしまったからには、確認しなくてはいけない。
俺は渋々、迫ってくる蝶番に問いかけた。
「昨日のあれって、本当に大丈夫……なのか?」
蝶番は昨日のようにきょとんとした後、思い出したように頷いた。
「同意があったかって話?」
「そう、それだ。先生の……恋人なのか?」
「身体だけの関係だから違うかな」
さっきから聞きたくなかった情報ばっかり出てくるな、こいつ。
「そういえば昨日、その質問があんまりにも良くて襲っちゃったから返事してないのか……。もう一回きいてくれるなんて真面目だね。大好き」
「ききたいのはそういうのじゃない」
「はぁい」
蝶番が手をひらひらさせた。
「同意ならあったよ。先生とは恋人じゃないけど、ちょっと触り合うだけなら何回かしてたし。だからいいよね?」
「良くはない……。何のために未成年が保護されてると思ってるんだ」
「真面目~~」
色々と思うところはある。けど、同意があるならこれ以上の介入も必要ないだろう。
この話はこれで終わりという雰囲気が出てしまったのか、蝶番がそろそろいいよねと近寄ってくる。
「とりあえず、今はしないの? じゃあいつする?」
「しない! お前ほんとマジで、俺の話聞いてたか?」
「だから今はしないんだよね? いつ? いつする?」
「しないって言うのは今じゃなくて未来永劫!」
「だからそれって、いつ?」
後ろに下がり続けると、壁に背がついてしまった。そこを捕らえるように壁に手をつけられ、逃げられない。
「ねー、いつ? いつならいいの? 教えてよ、教授」
甘ったるく囁かれ、頭痛が酷くなる。寝不足で思考回路が起動していない。あと面倒くさい。
「後で」
だから咄嗟に、よりによって、いちばん言ってはいけない言葉を言ってしまった。
やべ、と思って蝶番を見る。彼は言質をとったと言わんばかりに笑っている。
「後、あとね。わかったよ。十分に理解した」
「待て。キャンセル」
「じゃあ、後でね」
静止をすり抜けて蝶番は出ていき、後は鍵の開いた扉と俺だけが残される。
「……し、失言……!!!!」
俺の悲鳴じみた声は意味もなく部屋の中で反響し、意味もなく消えていった。