チョコレートフィクション

受付の仕事は、とにかく暇だった。
「……誰も来ないな」
とりあえず多目的ホール前に居座っているが、恐ろしいほど人が来ない。時折遠くから誰かの笑い声や話し声が聞こえる程度だ。
「あー、腹減ったな……」
受付用の机に肘をつきながらぼやく。口の中に残ったココアの味が未練がましい。
無人の中で座り続けていると、さっきの光景が勝手に蘇ってきた。
『……そろそろ、俺の事好きになってきたでしょ?』
頭の中に響く声を叩き出す。余計なことなど何一つ考えたくなかった。
器のことは好きだ。大切だ。手を繋ぐのは嫌じゃない。むしろ、繋いでいたいと思う瞬間もある。
けれど、これは恋愛感情なのだろうか。
彼女がいたことはある。あの時はきっぱり『恋愛的に好き』と言えたのに、彼を前にすると言えない。
性別が問題だとは思えなかった。彼への気持ちに何か自分でも分からないものが混ざっているような、そんな感じだ。
しっかり考え込んでいると本格的に腹が減ってきた。椅子の下から手に入れた唐揚げクーポンをひらひらさせる。
仕事はたった三十分。それが終われば、器と唐揚げを買いに行こう。
「……あれ? 教授じゃん、なんでいるの?」
そこで知り合いの女子生徒が通りかかった。彼女はこちらに歩み寄ってくるが、何故か心底意外そうな顔をしている。
俺がここにいるなんてありえない、と言った表情だ。
「なんでって、受付だよ受付。ちょっと時間前倒しでやってるんだ」
「へぇ~~。なんだ、びっくりしちゃった」
彼女は受付の机に手をかける。
「さっき蝶番くんを見かけたから、てっきり一緒にいるんだと思って。ほら、最近、ずっと一緒に行動してたでしょ? ワンセット感あったよね」
「俺たち、他クラスからもそう見えてるのか?」
「見えてる見えてる。蝶番くん、美人で唯一の不良キャラで目立ってたもん。教授も有名人だし。ここ二人がセットになったら超目立つって」
そこまで話し終えたところで、彼女は首を傾げた。
「でも、蝶番くん一人なのも意外。だって蝶番くん、この前来てた教育実習の先生と一緒にいたんだよ? 先生と蝶番くんの接点なんて無さそうだから、教授が橋渡し役なんだと思ってたんだ」
「な……っ」
がたん、と音がした。俺が立ち上がり、椅子を倒した音だ。彼女が驚いて飛び跳ねる。
「え、なに、どうしたの、教授」
「ごめん。受け付け、代わってくれ」
俺の申し出に今度は目を白黒させる彼女。でも、説明する時間も惜しい。
「え、えっ!?」
「頼む。用事ができて」
教育実習の先生。その言葉が嫌な想像を掻き立てる。不安と衝動が膨れ上がっていく。
彼女は少し悩んだものの、意を決したように頷いた。
「よく分かんないけど……機能充実の頼みなら断れないね。任せて!」
「ありがとう!」
特別棟、四階を目指して走り出す。倒した椅子を直し忘れたことに気がついたが、もう遅い。胸の内に溢れる衝動に比べれば全てが些事だった。
器の顔が浮かんでは消える。祈るように「杞憂であれ」と思い続ける。
ただ走った。足音ばかりが急かすように校舎の中に響いていた。


「器くん」
二人で教室に入るなり、彼女は熱い声で名前を呼んだ。そんな彼女を受け入れるように、腰に手を回す。
女性らしい、ふっくらとした手触りがあった。一景の腰は硬かったなと、いつかのことを思い出した。
「また会えて嬉しい。ほんとうよ」
直接的なことは何も言わず、彼女は大きな胸を俺に押し付けた。
「ごめんね、器くん。大人なのにこんな風に思ってごめんね」
背中に手を回されるから、俺も同じように抱き締め返した。身体がぴたりと重なって、体温が溶け合うのが気持ちよかった。
けれど彼女の身体は罪悪感で震えている。俺のせいだ。
「器くん……?」
まずい、つい返事をサボってしまった。俺は適当に表情をかき集めて笑みを作る。
「きいてるよ」
そう言ったのに、彼女は少しだけ悲しげに目を伏せた。
「器くん、ちょっと変わったね」
「うん」
彼女の悲しみが色濃くなる。
「うんって、自覚あるんだ」
「まぁ、ね」
一景と会って、満足を知って、俺は確かに変わってしまった。
「そっか……」
彼女は悲しげにするばかりだ。
一景と会う前の方が好みだったのかもしれない。その思考を遮るように彼女が唇を向けてきた。
「でも、好き。好きよ。間違いだってわかってるのに、こんなの……」
誘惑じみた、それでいて苦しげに震えた吐息が唇にかかる。背中に回った彼女の腕が熱い。
「(この人、俺のことが好きなんだ)」
そして自分の立場と板挟みになって、苦しんでいる。なんて可哀想なんだろう。
別に彼女が悪いわけじゃない。俺が誘惑しなければ、彼女は普通に教育実習を終えていたはずだ。
手近な体温を求めてしまった俺のせい。彼女が思い詰めるなんて思わなかった俺のせい。俺が悪い。
だから求められるまま、俺は自身の唇を彼女に寄せた。
その際、舌の上にココアの味が蘇った。二人で飲んだあの味だ。
「(あ、)」
ここでキスしたら、一景、どれくらい心配してくれるかなと思った。
同時にやめたら、一景、褒めてくれるかな、とも思った。
「……器くん?」
先生が俺を見た。その目は潤んでいて、とってもかわいい。
この人は本当に可哀想だ。俺なんかに構って、俺なんかを追いかけて、俺なんかに誘惑されている。
「(俺なんかのせいで……)」
だから、キスはやめようと思った。ここでしたら一景も先生も悲しむ気がしたから。
「やっぱり、」
彼女の背に回していた手を緩め、断りを告げようとする。彼女がなにかに気が付いたように息を飲む。
そこで教室の外から慌ただしい足音が響き、誰かが入ってきた。