チョコレートフィクション

そうしてやってきた、文化祭当日。
「一景、お洒落」
朝、いつものマンションまで器を迎えに行くと彼はいの一番にそう言った。
思わず自分の格好を確認してしまう。着ているのはただの制服で、特に変わっていないのだが。
「そうか?」
「うん。メイク、似合うな」
器の指が伸びて、頬をつんと押す。それからにやりと笑われた。
彼の言う通りメイクはしているが、下地だけなので顔はあんまり変わってないはずだ。それなのに一目で見抜かれて驚く。
「下地しか塗ってないのに、よくわかったな」
「わかるに決まってんじゃん。いつも一景のこと見てるんだからさ」
頬をぐりぐりと押し込まれてから、指が離れる。指先が下地で汚れていた。
お洒落をして欲しい。それが彼のお願いだった。
しかし制服は変えられない。俺はメイクに手を出し、後悔した。とにかく全部が難しくて仕方なかったのだ。
しかし器のお願いは無視できない。という訳で、下地だけでもと練習して塗ってきたのである。
「塗り、ガッタガタ。でも慣れないことを俺のために懸命にやってくれる優しさがかわいい。健気さに百点満点」
「せっかく頑張ったんだから指摘するな、そんなところ……。あと、かわいくない」
練習したのだが、そんなに下手だったろうか。思わず頬をおさえる。指がぺたりと張り付くのは下地のせいだろう。
「そんなことないよ。ちょーかわいい。エモい。好き好き♡」
「それはガチでかわいいと思ってるのか、俺を馬鹿にしてるのかどっちなんだ」
「ちょーかわいいとはほんとに思ってるって。好き好きとも思ってる」
けらけら笑う器と一緒に学校に向かって歩き出す。とりあえず、喜んでは貰えたみたいで何よりだ。
練習の甲斐があったし、パーソナルカラーとかを調べて自分に合う下地を探した甲斐もあった。
「あ、イヤリング付けてる」
ここ最近の努力を思い出してしみじみしていると、器が俺の耳たぶを摘んだ。柔いところをつつかれ、妙なくすぐったさが走る。同時に傷口を揉まれる痛みも走った。
あ、と器が違和感に気がついたように声をあげる。
「これ……もしかしてピアス?」
「そ、ピアス」
今、俺の耳には小さなピアスがついていた。真っ黒な金属製のそれは器につつかれる度、硬い音を鳴らす。
「……一景、昨日までピアスあけてなかったと思うけど。もしかして昨日あけたの?」
耳に触れる指先が優しくなる。慰めるよう耳元をくすぐられ、丁寧に撫でつけられた。
「前からあけようと思ってたんだけど、なかなか機会がなくて。お前がお洒落っていうからこの機にあけようと」
「じゃあ俺のためにあけてくれたの!?」
「わっ!?」
俺の言葉は器の声に掻き消された。初めて聞く彼の大声に驚く。
「えー、えー……。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。それに、前からあけようとは思ってたんだ。いい機会だったってだけで、お前のためにあけたわけじゃ……」
話の合間にちらりと器の様子を伺うと、器は未だ驚いた様子で俺の耳を触りまくっていた。さっきから思っていたが、これだと歩きにくい。
「じゃあ、俺のためじゃないの?」
「流石に友達のためにピアスあけるのは、ないだろ。重いし」
「えー。ね、セカンドピアス決めてるの? 決めてないなら今度買いに行こ。オソロにしようよ。互いの誕生石入れて互いの名前彫ってあるピアスにしよ」
「なんで重い方向性に進もうとするんだ。しないしないしない。そもそも誕生石って宝石だろ、宝石なんて買う余裕ない!」
えーとぐだぐだ文句を言うものの、器は機嫌良さげなまま手を離す。散々揉まれた耳が僅かに熱くなっていて、ちょっと妙な気持ちになった。
ちなみに本当は「お洒落してきて」と言われたその日にピアスをあけようとしたのだが、いざピアッサーを見るとひよってしまい前日まであけられなかった。これは未来永劫秘密だ。
「器もピアス、あけてるよな」
俺は器の耳元を覗き込んだ。長い髪に隠れつつ、耳たぶでシルバーピアスがきらきらと光っている。
「中学の時にね。でも、見るならちゃんと見てよ」
器は髪を耳にかけた。白い耳があらわになる。
「ピアス穴、もっとあるから」
彼の耳たぶにはピアスがひとつ、ついている。しかしよく見ると耳たぶにはもうひとつピアス穴があった。
「あぁ、片耳に二個あけてるのか。知らなかったな」
「違うって。もっと良く見て、触っていいから」
身を寄せられたので彼の耳に触れる。耳朶は柔らかく、つやつやして、程よい弾力があった。
「あはは、くすぐったい」
撫でられた猫みたいに器が笑う。耳の縁を撫でながらさぐると、僅かなくぼみを感じた。
「これか」
耳介の辺りには二つ、ピアス穴があった。これで四つだ。
「多分それ。反対も同じようにあけてるよ」
「じゃあ両耳合わせて八つも? うっわ、さすがに痛そうだな……」
指を引っこめ、ついでに髪も戻してやる。器の髪はさらさらと揺れて、秋の光を浴びては透けていた。
「八つじゃない。もっとあけてる」
器は笑った。例の意地悪い、ろくでもないことを言う時の笑みだ。
「まだあいてるのかよ……」
「そ、実は十個あいてて。あと二つはボディなんだけど」
突然手を握られる。そして抵抗する間もなく、その手を器の胸に押し付けられた。
「……あと二つ、どこだと思う?」
ぎゅう、と器が自らの胸を押し付けてくる。しなやかだが硬く、僅かに筋肉の弾力がある胸だった。
胸、二つのボディピアス。そう言われると特定の場所が浮かぶ。
「…………」
無言で手を引っ込め、さっさと学校へ向かう。同じ学校の生徒が少ない通りでよかった。
器がにやにや笑う。
「ねー、どこだと思う? どこ想像した? 確認してみようよ」
「しない」
「俺、一景が確認してくれるなら全然脱ぐよ」
「朝だぞ。まず路上だぞ」
ここで脱いだら確認する前に警察に捕まると思う。
「そう? じゃあ俺の家来ない? 確認しようよ、どこにピアスあいてるか」
「はいはい。そんな事言ってないで文化祭行くぞ。一緒に回るんだろ? キビキビ歩け」
これ以上のハラスメントは周囲に誤解を生む。俺は器の手を握り、さっさと校舎を目指した。
「手、握ってくれるの?」
「今日は手、繋いで欲しいんだろ?」
「うん。今日以外も繋いで欲しいけど」
「それはお前の行い次第だ。ほら、行くぞ」
器は強く、俺の手を握り返す。それからすぐに機嫌よく声を弾ませ、後ろをついてきた。


文化祭の学校は浮かれに浮かれまくっていた。浮き足立つクラスメイトたちの前ではホームルームが成り立たず、なし崩し的にそのまま文化祭へ突入する。
そして俺は朝一番に体育館へ向かい、ディベート部の出し物である公開討論を済ませた。
「つっっっっまんな」
三十分の討論を見終えた器の感想はこれだった。
「つまんなすぎてびっくりした。何これ? 娯楽って概念がない国の娯楽? もしかして遠回しなSOSだったりする? 一景、何か悩みがあるなら俺に行ってくれていいんだよ。刺し違えてでも解決してくるから」
「低評価すぎるな……。でもこれがディベートだぞ。っていうかお前、ディベート部に見学来たことあるだろ」
「見学の時は面白かった。でもこれはつまんなさすぎる。絶望って感じの見世物だった」
体育館の隅、ステージの方を向いて設置されたパイプ椅子に座りながら器が伸びをする。
ステージの上では残ったディベート部の部員がホワイトボードを片付けていた。
「一応文化祭ってことで、ディベート部の紹介も兼ねて『高校生の精神的成長のためディベートは必要か』って議題になったんだけどな」
「それが原因でしょ。俺が部活で見たのは『朝は洋食か和食か』みたいな奴だったんだけど。あれ面白かったし、あれでいいじゃん。これである必要ないじゃん」
「これは俺が決めた議題じゃない。先生が決めた」
「あぁー、ちょっと納得」
パイプ椅子でぐだぐだしている器の手を引っ張り、立たせてやる。そのまま手を繋いで体育館を出た。
特別棟の廊下は喧騒に満ちていた。目の前をはしゃぐ生徒たちが通り過ぎ、どこからかソースの良い匂いが流れてきて、折り紙やホログラムで作られた飾りが光を反射している。重なって響く足音は、ひとつの音楽みたいだ。
「とにかく、部活での出番は終わった。あとはクラス展示の受付係だけだから、それまでは好きに回れるぞ」
「あー、受付係。結局引き受けたんだ」
「お前に誘われる前だったからな。ずっと一緒にいられなくて悪いけど、その時だけ一人でいてくれ」
クラス展示は本当にただの展示で人がいる必要はないのだが、完全な無人にはできないため受付係が交代で常駐することになっている。
俺は受付係をする予定はなかったのだが器に一緒に回ろうと言われる前に「どうしても人数が足りない」と頼まれたので、つい引き受けてしまったのだ。
「三十分だけ抜けるけど、それ以外の予定は何も入れてないからな。器の行きたいところ、全部付き合う」
「はーい。やったぁ」
器がそう言って指を絡めてくる。さすがにこのつなぎ方は目立つと一瞬だけ思ったが、それは無視することにした。
器の手を強く握り返し、俺の方からも指を絡める。
「で、どこ向かってるんだ?」
器は一度俺を見つめた後、くすくす笑った。
「全然分かんない。って言うか、どこで何やってるかも知らない」
「そんな元気に歩いてたのに」
周囲には客引きの生徒が溢れている。どこか適当に声をかけて案内してもらうのもありだろう。
なにか無いかとぐるりと見渡した瞬間、器が手を引っ張った。
「ね。あっち、視聴覚室でお化け屋敷やってるって看板ある。行ってみよ」
二人で手を取り合い、視聴覚室へ向かう。男二人で恋人繋ぎだからかあちこちから視線を感じたものの、そのうちの何人かは「教授だ。また蝶番となんかやってる」で見逃してくれた。
「視聴覚室ってどっちだっけ」
勢いよく歩き出した器は途中で足を止める。
「覚えてないのか? 入学してからもうちょっとで半年だろ」
「視聴覚室使ったの、入学オリエンテーションとかだけじゃん。覚えてないって」
本当に覚えてなさそうな彼を見て、今度は俺の方が前に出る。手を引いて案内してやれば、器は大人しくついてきた。
廊下の奥、校舎の隅にある視聴覚室。いつもは素っ気ない扉があるだけのそこには「お化け屋敷」と書かれた看板があった。
看板はダンボール製だがかなり凝った作りをしており、視聴覚室の中からは時折悲鳴も聞こえる。
「美術部と被服部の合作だって。看板に書いてあるよ」
「だから作りがいいのか……」
看板の隣にはマネキンで作られた女の幽霊が置いてある。それは光の下で見てもぎょっとするほど不気味で、かなりクオリティが高かった。
受付に向かうと血みどろメイクをした女子生徒が明るい笑顔で迎えてくれる。メイクと表情があってなくて、これまた不気味だ。
「ようこそ、お化け屋敷へ! お二人ですか?」
「あぁ、二人でお願いします」
彼女は頷き、机の中から細い懐中電灯を取り出した。
「中は結構暗いので、この懐中電灯を使ってください。今回は二人一組ということで一本だけどうぞ」
「分かりました」
「もし中で調子が悪くなったりしたら、遠慮なく声を上げてください。周りの生徒が救出に向かいますから!」
最後に三人で懐中電灯の動作確認をした。前準備がしっかりしていて好感が持てる。
「じゃあ、行ってらっしゃーい!」
はしゃぐ受付係に見送られ、視聴覚室の中に入った。外から扉が閉められる。途端に辺りは暗くなり、ひやりとした空気が肌にまとわりついた。
急いで懐中電灯をつける。しかしその光は小さく、弱々しく、か細い。暗闇に押しつぶされそうだ。
「きゃー♡ こわーい♡」
器が手をつなぎながら俺の腕へしがみついてくる。
「まだ何も起きてないぞ、器。そういうのもっと後にやるやつじゃないのかよ。幽霊が出てきたら何する気なんだ?」
「その時はもっとすごいことやるけど。一景が『やめてぇ♡ もう無理♡ 許して♡ やっぱりやめないで♡』になるようなやつ」
「……それはお化け屋敷側に迷惑だからやめろ」
どこからか不気味なBGMが聞こえ、どこからか悲鳴も聞こえた。ダンボールで仕切られた通路は狭い。二人で身を寄せあったまま、少しずつ前に進んだ。
「器、この辺段差ある。気をつけろ」
足元が凹凸を感知し、隣にいる器に告げる。
その瞬間突然右の壁が外れ、奥からセーラー服の人型が現れた。長い前髪で顔を隠した彼女の腕には、血走った眼球がいくつも張り付いている。
「うわぁ!?」
てらてらした眼球がおぞましい。思わず器を庇ったところで、そのセーラー服の何者かは一歩、歩み寄った。
「あははははははは!」
そして、けたたましい笑い声を上げながら思い切り追いかけてきた。
「に、逃げるぞ器!」
器の腕を引っ掴んで狭い通路を駆け抜ける。その途中で足を触られたり背中に冷たい空気が吹き込んだ気がしたが、全力で無視した。
「あはっ、あはっ、あはははハハハハ!」
後ろから迫る声が人のものとは思えない裏返り方をする。俺はここがお化け屋敷だということを忘れて本気で恐怖していた。本能が生命の危機すら訴えている。
暗闇の中、逃げ場を探して手を差し出す。冷たくつるりとしたドアノブが指先にひっかかった。
それを無我夢中で押し込み、部屋から飛び出す。
「はぁっ、はぁっ……」
明るい廊下に転がり出ると同時に崩れ落ち、足りない分の酸素を吸いこんだ。じわ、と額に汗が滲み始める。
「わ、汗かいてる。メイク崩れちゃうよ」
器が指を伸ばし、額の汗を拭ってくれた。少し冷たい指先が心地よい。
「それにしても一景、ビビってたね」
「いや……あれは……ビビるだろ……。って言うか、お前はなんで疲れてないんだよ……」
「一景が引きずってくれたからかな。実は俺、全然走ってないんだよね」
「どうりで疲れたと思った……」
膝に手を付き立ち上がる。再び滲み始めた汗を強引に拭おうとすれば「メイク崩れるって」と、器が髪の生え際あたりをなぞってきた。
「ふふ、一景に庇ってもらえて大満足。良かったなぁ、あれもう一回やってほしいなぁ」
「庇うってことは危ない目にあうってことだろ。そういうのはごめんだぞ」
「わぁ、俺のこと心配してくれるんだ。どきっとしちゃった」
器は笑いながら汗で濡れた指を俺の制服で拭く。
「人の制服で拭くな。ハンカチ貸してやるからそれで拭け」
「いやもう拭いたからいいよ」
「おい」
「冗談。拭いたふりだから、ハンカチ貸して欲しいな?」
にやにやする器にハンカチを渡す。するとそこで、受付係が懐中電灯を回収に来た。
彼女は汗だくの俺を見て笑う。
「お疲れ様でした! なんか疲れてますね、もしかして追いかけられました?」
「……追いかけられました。すごく……」
「あはは! そうですか! あれ、レアイベントなんですよねー」
彼女はひとしきり笑ったあと、懐中電灯を受け取って仕舞いこむ。
「ジャパニーズホラーみたいなじっとり怖い系やりたい子と、B級ホラーやりたい子が混ざっちゃって。ならどっちもやろうってことでつい」
「そ、そういうことですか……。なるほど……」
一応こう言ったが納得はできない。あれは危なすぎる。
「怖がってもらえて、楽しんでもらえて良かったです!」
そう言われて脳裏に浮かぶのは先程のセーラー服を着た何かだ。あの怪物っぷりは非常に怖かった。
笑い声が結構かわいかったのがますます怖い。思い出すだけでぞわっとする。
「あのセーラー服のお化け、ほんと怖かったです。特に腕の眼球が……怖くて。死ぬかと思いました」
思い出しつつ受付係にそう伝えると、彼女は花が咲くように顔を明るくした。
「感想、嬉しいです! 作った子に伝えときますね!」
彼女に笑みを返し、次なるスポットを求め適当に歩き出す。
「はぁ、一景ってやっぱりいい。そういうところ、好き……」
隣に来た器は噛み締めるような、それでいて痺れるほど甘い声色でそう呟く。
「……今のでそんな好感度上がったのか?」
「俺、器の優しいところが好きなんだよね。ファミレスのアンケートを真剣に答えて感想欄をしっかり埋めてるの、すごくいいなって思う。色んな人にいっぱい優しくして欲しいな」
そんなところを褒めるのは、恐らく後にも先にも器だけだ。
「でも時間が惜しいから。はやく次行こ、次」
器が俺の腕を引いて走り出す。俺も釣られて喧騒の中へと足を向けた。