チョコレートフィクション

『このアカウントは削除されています。』
自宅のベッドでSNSを開けば、そう表示された。それを眺めていると「本当に消したんだ」と実感が湧いてくる。
このアカウントを消したのは、今日の昼休みのことだ。
今でもはっきり思い出せる。一景が初めてアカウントを見た時の表情と、俺に「俺が見張る」と言ってくれた時の声を。
あれは本当に嬉しかった。一景に心配して欲しくてわざと見せたのだが、彼は俺が思った以上に心配し叱ってくれた。
ただ、一景は俺が思う以上に優しかった。俺としては「一景が心配して、叱ってくれればいいな」くらいだったのに、一景は朝から夜まで俺を見張り続けてくれた。
家まで送迎してくれるなんて思わなかったし、土日も見張ってくれるなんて思わなかったのだ。
彼がそこまでしてくれるのは純粋に嬉しかった。間違いなく、心から、本当に本当に嬉しかった。
けれど俺に時間を使うということは、俺以外に時間を使えないということだ。
俺と一景が話しているのを、一景の友達が見ているのは知っていた。俺に興味がある目と言うより「いつ話しかけていいのか」とタイミングを探るような目だった。
一景が構ってくれるのは嬉しい。けれど一景が友達と話せないところなんて見たくない。
俺は一景が好きだけど、一景を独占したい訳じゃないのだ。彼のものになりたいというのは、彼をものにしたいという訳では無いから。
そう思ってアカウントを消した。そしたら一景は驚いたあと、俺に「特別心配」とまで言ってくれた。
嬉しかった。あんなに嬉しかったこと、人生で他にないくらい。
これで一景と離れるのは少し寂しいけど最後にご褒美をくれたし、友達とも仲良くしているみたいだったし、何よりだ。
まともそうなあの友達が俺なんかに興味を持ってるのは意外だったけど、言われてみれば俺も『一景の友達』という存在には興味があった。
そういうわけで、アカウントは無くなった。後悔はしなかった。
「それに……」
自身の唇に指をあてる。自分からキスすることはあったが、一景からキスをされたのは初めてだ。
子供だましのキスというかキスとも呼べない代物だったが、一景から触れてくれた事実が嬉しい。
放課後に食べたらラーメンのお陰でお腹はいっぱい。体も心も満たされて、緩やかな幸福感が込み上がってくる。一人きりの家の中で俺はほう、と息を吐いた。
そこでスマホがメールの受信を告げた。何の気なしにメールを開くと「お誕生日クーポンのお知らせ」というタイトルが目に入る。
「あ、俺、今日、誕生日だっけ……」
誕生日なんて公式書類の記入くらいでしか使わないから、すっかり忘れていた。
だが誕生日なんてただの日付だ。生まれてこの方祝ってもらった記憶もない。
だから今日が誕生日かどうかなんてどうでもよかったのだが、ふと一景の顔が浮かんだ。
「あー……。一景に言えばよかった」
言ったらきっと、お祝いしてくれたのに。
今から電話でもかけようか。しかし友達にも時間使いなよと言った手前、俺のために誕生日を祝ってとは言いづらい。
また後日でいいか。一景は俺をまだ見張ってくれるようだから、いくらでもチャンスがある。
それに、キスしてもらったし。誕生日プレゼントとしては上々、極上だ。
適当にスマホをいじり、電子書籍の画面を出す。SNSはさっさと閉じ、俺は画面をタップした。


文化祭まで、あと一週間。
「え、材料足んないよね。ホームセンター行く? いやでも予算足りるかな」
「そのダンボール、譲ってくれない?」
「俺のボールペンがない! 誰だ又貸ししたヤツ!」
学校は上へ下への大騒ぎだった。昼休みだと言うのに昼食をとっている人が少なすぎる。
「教室ごとの展示はもう準備終わったけど……。やっぱ部活入ってる人は忙しそうだね」
食堂の一角で器は言った。彼の前には日替わり定食が置いてあり、俺の前には弁当が並んでいる。
「あと一週間、ラストスパートだからな。学校も遅い時間まで解放して、色々作業できるようにしてるし」
ふぅんと器が味噌汁を啜った。
「一景は? ディベートの練習とか、いいの?」
「ディベートはぶっつけ本番だからな。ディベート前の導入用台本とか、投影用の資料とかは必要だけど」
「へー」
話しながら器の視線がスライドし、食堂の入口を見た。つられて振り返るとそこには買う向風と砥石がいた。
今は器とはこうして一緒に過ごしているが、あっちの二人と一緒に帰ったり一緒に昼食を食べたりする時間も増えた。いや、そんな時間が戻って来たというのが正しいのだろう。
結果として器との時間は減っているが、彼も時折俺の友達と仲良く過ごしている。
そうして器が会話する相手が増えたからか、他のクラスメイトが器に話しかけることも増えた。器も器で問題なく対応しており、二学期になってようやくクラスに馴染み始めたと言えるだろう。
器が誰かと仲良くなり、普通になっていく。それはとても喜ばしい。
感慨深なりつつおにぎりを頬張ったところで、器が唐突に口を開いた。
「あのさ、アカウント消した日あるじゃん」
「あぁ」
「あの日、誕生日だったんだよね」
「はぁ!?」
振り向いて食堂の壁にかかっているカレンダーを確認する。もうあの日から十日以上経っていた。
「な、なんで言わなかった!? いや、言わなかったなら言わなかったでなんで今言った!?」
「俺もすっかり忘れてたんだよね。それより俺、まだ誕生日特権ある? 一景にお願いしたいことがあって」
誕生日を当日に祝って貰えなかったと言うのに、器はあっけらかんとしている。
何も気にしていない様子を前に俺の方が呆気に取られてしまった。誕生日とは祝うものではないのだろうか。
「お願いって、なんだ。遠慮なく言ってみろ」
俺は器の手を掴んでそう言った。誕生日を祝い損ねたと思うと耐えられない。どうにか今から取り返したかった。
「……一景、誕生日にガチなんだ」
器はちょっと可笑しそうにそう言ったあと、目を細めた。
「俺、文化祭、一景と二人きりで回りたいな」
「それだけか?」
「じゃあ手も繋いで欲しーな♡」
「それだけ?」
もっと無理難題を吹っかけられると思っていたのに、彼の要望は妙に薄い。遠慮か、それとも何か企みがあるのかと声に疑念が滲んでしまう。
「誕生日っていうのは祝うための日だろ。だから、ちゃんと祝うけど」
何も見逃さないように器の目を覗き込めば、器がその目を甘く蕩けさせた。
「あー。そういう所が好き」
慣れたはずの言葉なのに、少し動揺してしまった。アカウントを消した日から、器が時折見せる健気さに参っている気がする。
「じゃあ文化祭、お洒落して来て。校則違反にならない程度で。ほら、デートには必須でしょ?」
「お洒落……って。文化祭の日は絶対制服だろ。髪型変えるとかか?」
「何でもいいよ。なんかないの?」
「……ない、けど用意しとく」
お洒落には自信が無い。密かにファッション誌を買おうと決めた。
「あ、あと。そうだ、もう一個いい?」
「一個じゃなくてもいいけど」
「一景ってば太っ腹だなぁ。払い過ぎも良くないよ? これが本当に最後だって」
くすくす笑ったあと、器は俺の手に自身の手をのせた。
「文化祭って、終わりに花火を打上げるでしょ? 数発だけだけど」
「あぁ……。そうらしいな」
「それ、一緒に見たいな。一景と二人きりで」
彼の笑みが深くなる。その指先が手の甲で円を描いた。少し、くすぐったい。
「ちなみに花火って、大切な人と二人で見ると永遠に幸せになれる的なジンクスが」
「げ、そんなのあるのか?」
「無いよ」
「ないのか……」
「それよりげ、って何? 嫌なの?」
「ジンクスが嫌って言うか、お前がそのジンクスを言い訳になにか余計なことしてきそうで嫌だ」
これで実質結婚したも同義だから、とか言って襲われそうだ。器は不服そうにするが、日頃の行いが悪い。
「まぁいいや。俺、一景といられればそれで幸せだから。ジンクスなんて必要ないよ」
その台詞が若干ぐっと来てしまったのは、秘密にしておこう。