チョコレートフィクション

クラスメイトと教育実習生が、キスしていた。
しかも単に唇を合わせるようなキスじゃない。傍から見てもわかるほど、濃厚で凄まじいキスだ。
「…………っ」
見ているのがバレたらまずい。俺は反射的に自らの口を手で塞ぎ、扉の影に身を潜めた。
九月の夕暮れが校舎を染めていく。残暑の中でも部活に励む生徒たちの声が遠くから聞こえる。
特別棟の四階、その隅にある教室で二人の逢瀬は行われていた。
「器くん……」
教育実習生の女性が熱を帯びた声で囁く。ここ三週間ほどうちの教室で数学を教えてくれた彼女が、明るく朗らかで人気があった彼女が、ついさっきまで教室で行われていた「教育実習終了おめでとうパーティ」にて寄せ書きを受け取っていた彼女が、女性としてクラスメイトである男子生徒に身を寄せているのが信じられなかった。
扉の隙間から教室の中を伺う。全部嘘か勘違いであってくれ、と願いながら。
しかし、教室の中にあったのは二人が絡み合う様だった。先生はクラスメイトにうっとりと身を寄せ、クラスメイト__蝶番 器(ちょうつがい うつわ)は笑ってその腰を抱いている。
抱き合う合間にも二人は足を絡めたり相手を撫でたり、熱くスキンシップをとっていた。
「うっわ……」
嫌な生々しさを前に身を引く。そしてここからどうすべきかと、こめかみを押さえた。
蝶番はさっきから言っている通り、俺のクラスメイトである。全体的に色素が薄く美人で中性的な見た目をしているが、間違いなく男だ。
あまり話したことは無いが、おそらく性格は自由気まま。時折授業をサボったり学校をサボったりしているらしい。それなのにこの進学校の中でもかなり勉強できる方なので、先生はほとほと手を焼いているようだ。
しかし、このような問題があっても他人には気さくに接している。そのため容姿や行動と相まって生徒たちからは一目置かれている感じだ。
俺もそのように思っていた。ちょっと不良っぽいが、それ以上に特別な男子生徒。
だから知らなかった。彼が人の寄り付かない教室でこんなことをするなんて、知らなかったのだ。
「人気がないからって、やっていいことと悪いことがあるだろ……」
ここは特別教室が集まった特別棟、その四階だ。四階は空き教室と物置しかないので常に人気がない。
ちなみになぜ俺は友達に「四階の物置から荷物を取ってきて欲しい」と頼まれてここにいる。
もちろん快く引き受けたが、こんなのを目撃する羽目になるなら断ればよかった。いや、友達にこれを見せるくらいならやっぱり俺が来る。
さてどうするべきか、と考えたところで教室からぎしり、と音がした。
嫌な予感がして教室を覗き込む。使われていない空き教室には机も椅子もないのだが、唯一教卓が置かれていた。
そして、先生が教卓の上で器を押し倒していた。
「器くん、今日はここでするの……?」
期待に満ちた目で先生が器を見下ろす。器がうっすらと微笑んだところで、ひとつの事に気がついた。
これ、未成年淫行だ。
同意があるなら部外者が邪魔をするのは、とか、そんなこと考えている場合ではない。
俺はその場で思いっきり物音を立てた。
「ひっ!?」
慌てた様子で先生が身を起こす。俺はすぐさま隣の教室に隠れた。
このまま解散になって帰ってくれないだろうか。そう祈りながら聞き耳を立てる。
「だ、誰か、いるの……?」
先生の声と共に扉の開く音が聞こえる。それに続いて続いて蝶番の声がした。
「先生、今日はもう解散しましょうか」
あっさりした発言に、先生が縋るよう声を震わせる。
「えっ? そ、そんな。私、今日で最後なのよ……?」
「先生の実習期間は今日で最後ですけど、プライベートならいつでも会えるじゃないですか」
ね、先生。蝶番が子供に言い聞かせるようにそう囁いている。
「こんな所で危険犯してなにかする必要なんてないでしょ?」
「でも……」
「足音の主がまだ近くにいるかもしれません。生徒とこんなことしてたってバレたら、まずいでしょう?」
一応筋の通った言葉に先生は何度か「でも」と言ったものの、最終的に「そうね……」と呟いた。
あの溌剌とした先生がこんなにも熱っぽく、それでいて未練がましく話すなんて知りたくなかった。
「じゃあ先生、先にここ離れてください。一緒に移動したらどこかで見つかるかもしれませんし」
蝶番は手馴れた様子でそう言い、次に少しだけ湿った音がした。多分キスでもしたんだろう。どっちがどこに、っていうのは考えたくない。
「うん……。器くん、またね?」
「はい、それじゃ」
どれだけ名残惜しそうにしても、目撃されるのは怖かったのだろう。先生が駆け足で去っていくのが分かった。
そのまま廊下は静かになる。音がしないのをしっかり確認し、廊下の様子を見ようと立ち上がった。
「いたいた」
瞬間、扉の隙間から腕が伸びてきた。
腕は俺を突き飛ばす。完全に不意をつかれ、派手にバランスを崩し尻もちをついた。
「あ、隠れてたの、教授だったんだ」
腕の持ち主__蝶番は、悠々と教室に入りながら、床に座り込む俺を見て微笑む。
彼は俺の上に座り込むと、それがごく常識的な動作であるように俺に顔を寄せた。
ぶに、と唇が触れ合った。
「ん!?」
悲鳴が出そうになるがより強く唇を押し付けられ、悲鳴が喉の奥に引っ込んでいく。蝶番の口から舌が這い出て、拒む前に口内へ割って入ってきた。
柔らかく、熱い舌だった。他人の舌が俺の舌を舐め、ぐるりと歯の辺りを撫でていく。
生き物みたいに動く舌に嫌悪感が沸き立った。何より身体の内側をなぞられるのは、言葉では言い表せないほどの不快だ。
蝶番がやたら甘く喉を鳴らした。その低い声が脳をじん、と痺れさせる。
それを皮切りに彼が俺の首へ指を這わせ、撫でた。少し冷たい指先が悪戯に骨の辺りを引っ掻き、耳たぶをつまみ、顎の輪郭をなぞる。
「ぐ、っ……」
自身の喉奥から首を絞められているような声が出た。蝶番がふ、と笑った気がし、舌がより苛烈に動き出す。べろりと舌の表面を撫であげられ、上顎をゆっくり舐められた。
「…………ふふ」
彼が甘く声をあげる度、作りものじみた甘い匂いがする。香水の匂いだ。
甘い匂いの中で口内を掻き回され、わざとらしく肌をなぞられる。暴かれる感覚が気持ち悪くて吐きそうだ。
けれど、強制的な感覚に間違いなく煽られてもいた。
蝶番の指が、熱が、匂いが、異様なまでに欲望を掻き立てる。気持ち悪いはずなのに、キスが深くなるほどに彼を押し倒したい欲求が腹の底で獣のように疼いた。
彼から与えられる全てが催淫剤じみていた。しかし、無理矢理熱を暴かれることがそれ以上に恐ろしい。
「やめろ……っ!」
理性の鍵を外されるのが、自分の何かを引き摺り出されるのが怖くて、俺は強引に彼の肩を突き飛ばしていた。
ようやく唇が離れる。ほっと息をついたのもつかの間、蝶番は唇の端に手を指をあてた。
「いたた……」
彼の唇からは血が滲んでいた。赤いそれを見た瞬間、頭の中が一気に冷静になる。
「わ、悪い……!」
反射的にその血を指で拭おうとしたがすんでのところで手を止め、代わりに取り出したハンカチで傷を押さえてやる。
唾液で薄くなった血が、じわりとハンカチに染み込んでいった。
「突き飛ばした時に切ったんだな。ごめん」
血が出ているだけで傷自体は深くなさそうだ。痛くないように傷をぽんぽんと押さえ、ゆっくりハンカチを離してやる。
「……」
蝶番は黙り込む。血は止まったはずなのに、何も言わない。
「ど、どうした? やっぱり痛いのか?」
「ううん」
蝶番は一度息を吸うと、目を細めて笑った。
「ありがとう。嬉しい」
それは綺麗な笑みだった。透明感に満ち、あまりにも柔らかなそれについ見入ってしまう。
蝶番は笑みを浮かべたまま自らの制服に手をかけ、シャツのボタンをふたつほど外す。
「じゃあ、しよっか」
そのまま彼は俺の服をまくり、腹を露出させた。へその辺が外気に触れ、ぶわっと冷たい汗が出る。
「な、な、なに、何を」
「セックス」
「離せ!!」
飛び出た言葉に本気で暴れる。しかし蝶番は俺の上に乗っかり、にたりと笑った。さっきの綺麗な笑みとは真逆の、意地の悪い笑みだ。
「さっきの足音って、教授でしょ? だから口止め料を払わせて欲しいなーって」
彼は俺の上に乗ったまま、ボタンを外し続ける。その動きには油断と隙が満ちていた。
「俺ね、上手だよ。すっごく幸せにしてあげる。さっきのも嬉しかったから、その分いっぱいサービスするね」
だからこそ、払い除けられない。あまりに身を守る素振りが無さすぎて、払い除ければ大怪我をさせてしまいそうだった。
「ね、好きだよ」
ボタンを外し終わった蝶番が笑っている。ぞっとするような無防備さ、自分の身体を人質に取る様な動作だ。
「……降りろよ」
「自分から突き放さないってことはおっけーってこと? 嬉しい」
彼が身を寄せる。またあの甘い匂いがして、脳がぐらりと揺れた。
同時に先程、先生に押し倒されていた蝶番を思い出した。思わず視線を上げ、蝶番を見やる。
「……あれ、大丈夫なのか?」
直接言いたくなくて、言葉を濁した。しかし伝わらなかったようで、蝶番はきょとんと首を傾げてしまう。
「なに、あれって? 大丈夫って?」
そんな彼の表情を見つめる。何か変化があれば、それを見逃さないように。
「だから、その、先生とのあれって同意があったのかって話を……。……お前、高一だろ? 多分十五だろ? 未成年だろ?」
我ながら押し倒してくる相手に親切だなぁと思うが、確認せざるを得ない。
蝶番はある日突然靴を履いて二足歩行を始めた犬を見る時みたいな目でこっちを見たあと、にやりと笑った。
「へぇ……やっぱり、教授っていい子。超素敵」
その言葉と一緒に制服の中へ手が入り込んでくる。問答無用でどデカい悲鳴が出そうになったが、その前にキスをされた。
唇は悲鳴を飲み込むようにじっくりと押し付けられ、それから離れる。
「……そっか。こういう気持ちなんだ」
唇が離れると同時に、力加減など忘れて彼を突き飛ばした。荷物をかき集め、教室から逃げ出す。
追いかけてくる足音はなかったが、俺は足を止めずに逃げた。
背中に視線を感じた気がしたが、振り返らなかったので蝶番が俺を見ているかは分からなかった。