海鳴りが聞こえる街で

「お邪魔しました」
 海藍が友菜にあいさつをして玄関を出ると、すっかり日が暮れていた。
「暗いなぁ」
 海藍は正直な感想を漏らした。
 周囲の民家や街頭の灯りはあるものの、ここまで星空をはっきり見ることができるのは、ここが田舎だからだ。
「送って行くよ」
 夕陽はサンダルを履いて、外に出た。
 友菜は、あきらかに不満そうだったけれど、なにも言ってこなかった。
 食事の手伝いをしたときに、夕陽から強く釘を刺されていたようだ。
「では、失礼します」
 戸を閉めて、深く一礼した。
 頭を上げると、満面の笑みの夕陽がそこにいた。
「ホントはね、もうちょっとだけ話したかった」
「うん。僕も」
 恋人同士だったら、こういうことは言えない。だって友菜の目があるから。それに、恥ずかしいから。
 友達だから、夕陽と海藍は、正直になることができる。
 駅から来た道を引き返す。
 宵闇が広がるこの時間、海の色は深い。
 夕陽と海藍の内緒話なんて、この海に、すぐ飲み込まれてしまう。
 そのくらい、海は広くて大きくて、人間は、ちっぽけだ。
「私さー、自分が、完ぺきじゃないといけないって思ってた」
 後ろ手を組みながら、海藍の先を歩く夕陽。
 その足取りは、駅から自宅に向かうときよりも軽やかになっていた。
 もしかして、夕陽の気持ちを軽くする手伝いができたのかなと考えると、海藍は誇らしくなった。
(僕でも、誰かの役に立つことができるんだ)
 と。
 そう思ってしまう海藍も、自分が完ぺきじゃないといけないと思い込んでいた。
 向き合っている問題を、方程式みたいにぴったりと解かないといけないんだと、自分を追い詰めていた。
 母親の死、という辛い現実を抱えている夕陽は、その気持ちがもっと強いはずだ。
 病院でのケアが必要ということからも、それがわかる。
 遠くに見えていた、駅舎の灯りが近寄ってくる。
 近づいているのは夕陽と海藍なのだけれど、暗闇が、明かりがこちらに近づいて来るように錯覚させる。
「朝陽、みたいだね」
 油断して、恥ずかしいことを口走ってしまった。
 暗闇は夜。暗くて怖い、夜。
 でもいつか夜は明ける。
 夜が明けるそのときには、朝陽が光を与えてくれる。
 という、ポエミィな例えであった。
 願わくば、こんなクサい台詞は聞き流してほしい。友達として。
 しかしその願いむなしく、夕陽はびっくりして立ち止まり、照れている海藍のことを、まっすぐに見てくる。
「夕陽ちゃん。い、いまのは聞かなかったことに……」
「ホントに、そうだね!」
 この反応は想定外だった。
 いい具合に冗談で流してくれたり、聞かないフリをしてもらったほうが、海藍としては楽だった。
(あー、でも、こういうことなのかもなー)
 自分の感性に素直になること、それを否定しないこと。
 そういうことを、ちょっとずつやっていく。それが結果的には、海藍が抱えている問題を溶かしてくれる。
 なにも、一発で正解を導き出すことは無い。
「私も、病院の先生に言われた」
 駅舎のまえまで来て、ここでお別れかと思ったら、夕陽が話し始めた。
「いつかは、自分の足で踏みださないといけない。って」
 どこまでも、夕陽と海藍は似ていた。
 振り返ってみると、もう、こうなることは決まっていたんだ。
 雪の日、電車で夕陽の参考書を拾った、あのときのことも。
「足を踏み出したら、完ぺきに歩き続けないといけないって、思ってた。転んだり、つまずいたりしたらいけないんだって」
 踏切の音が聞こえてきた。じきに、電車がやって来る。
「転んでも、つまずいてもいいんだよね。だって、歩き続けていれば、いつか、朝陽に出会えるんだから」
「本当に、そうだね」
 遠くから、少しずつ近づいてくる踏切の音。
 それは、打ち寄せる波音に似ていた。
 暗闇を照らしながら、少しずつ近づいてくる電車の灯り。
 それは、朝陽に似ていた。