海鳴りが聞こえる街で

 体育着に着替えた愛梨は、ハンガーに制服をかけて、ロッカーを閉じた。
 学年ごとに教室が並んでいるフロアの端と端に、男女別に更衣室がある。
 窓には、【清掃時を除き、カーテンは閉めたままにすること】、ドアには、【施錠を忘れずに!】という貼り紙がされている。
 これは、女子更衣室だからだろう。男子更衣室には、ここまで念を入れた注意喚起がなされていないはずだ。
 いやでも、そういう趣味の男の人だっているだろうし、油断は禁物だ。
 かくいう愛梨だって、夕陽に告白をしたのだから。
「真中さんって、文月くんの隣の席なんだよねー?」
 他クラスの環境委員たちが、おしゃべりをしながらちんたら着替えている。
 さっさと着替えんかいと思いつつ、
「そうだよ」
 と応え、ドア横にかけられている鍵を手にする。
 着替えが終わったら、外から施錠するためだ。
 誰が持っていても構わないのだが、
「うらやましいー。代わってもらいたいわー」
 ねー、いいよねー。などと下着姿で言い合って、いっこうに着替えようとしない彼女たちに鍵を渡すのは、いささか心もとない。
 ごんごん。
 重厚な扉の向こうから、ノックがされた。
「一年生たち、急いでー」
 先輩の催促だった。
(ほーら、言わんこっちゃない)
 急かされて、ようやく他クラスの委員たちが着替え終わったのを確認して、愛梨は鍵を開けた。
 外側から鍵をかけ、念のためにドアノブを回してドアを引っ張り、ちゃんと施錠されているか確認した。
「行くか」
 愛梨は、他のクラスの子たちを追いかけた。
 愛梨が環境委員を選んだのは、単純に、綺麗好きだったからだ。
 草が生え散らかっていた花壇の雑草を取り除いたり、雨が降って、靴底の泥で汚れてしまった玄関がピカピカになるのは気持ちがいい。
 趣味というわけではないけれど、知恵の輪は好きだし、ゲームは謎解きアドベンチャーをよく嗜む。
 愛梨は、ものごとがすっきりと解決されるのが好きなのだ。
 逆に言うと、もやもやっとしていて、はっきりしないのは嫌いだった。
「それじゃあ、今日は、ここを重点的にきれいにします」
 委員長が、クラスごとに担当場所を指示していく。
 そうなると、愛梨の隣で光が作業することになるわけだが、これは仕事だからと強く自分に言い聞かせる。
 環境委員全員で、図書館周りの生垣に群がり、草取りを始めた。
 ずっ、ずずずっ……。と丁寧に引っ張って、根っこの先端まできっちりと引っ張り上げる。
 愛梨は、ほうと恍惚の笑みを浮かべた。
 このときに味わえる快感がたまらない。
 だけど、
(現実世界の問題も、このくらい簡単に片づけばいいのに)
 愛梨の表情は、すぐに冴えなくなった。まるで光みたいに。
 その光は、愛梨のことを気にせず、仕事に没頭していた。
 もともと寡黙な男だし、こういう単純作業が得意なようだ。 
「真中さん、伊藤さん、ご苦労様です」
 松元先生が、愛梨と光をねぎらってくれた。
 松元先生は、環境委員の顧問だ。
 指示を出すだけでなく、ジャージ姿で生徒に混じり、一緒に美化活動を行ってくれていた。
「聞きましたよ。二人とも、まだ入学したてなのに、すごい事件を起こしてくれましたね」
「……」
「……」
 からかってくる松元先生に、二人は黙ってしまった。先生のほうからこの話題を持ち出されるとは思ってもみなかった。
 不純異性交遊という校則違反を犯したわけでは無いけれど、なにをもって不純かという線引きは難しい。
 だから、表立って色恋沙汰を起こすのは、先生たちにとって、めんどうな事案であるはずだ。
「あまり大きな声で言っちゃいけないけれど……」
 という松元先生は、さっきから楽しげだった。
「とても良いことだと思いますよ」
「はっ?」
「もちろん、勉強がおろそかになっては、担任として困りますけど」
 と忘れずに付け加えてから、
「ところで……」
 ずっとひそひそ声で話していた松元先生は、声をさらに低くした。
「今野さんの、どこが好きなんですか?」
「ちょ、先生っ!?」
 まさかの深掘りである。
 いくつになっても、恋バナは女性の養分なのだ。
「僕は、好きだと思ったから、そう伝えただけです」
 で、恥ずかしがることも無く、光は即答。
 こいつの、こういうところが愛梨は好かない。
「なるほど、なるほど。真中さんはどうなのかしら?」
「えっ、と。私はぁ……、ですねぇ……」
 声が、変なふうに裏返ってしまっていた。
「あらあら。聞いてはいけなかったかしら」
「そんなこと、ないんですけど」
 光のまえで、この気持ちを吐き出すのには抵抗があった。
 だけど、女性同士ということもあるし、松元先生に聞いてほしいという気持ちもある。
「伊藤さん。A組の子を手伝ってあげてください」
「はい」
 光は素直に指示に従って、A組の生徒たちのところで作業を始めた。
「これで、話しやすくなったかしら」
「先生……」
 やさしい配慮に、涙が出そうになった。
「むずかしいわよね。同性愛が認められる時代ではあるけれど」
「でも、私、なにもしないままだと、前に進めないと思って。この気持ちが本物なのか、わからないまま終わるの、イヤだったから」
「そうね」
 松元先生は、やさしく笑ったままだった。
「こないだ言ったように、友達というのは、自然にそうなっていくものです。恋愛関係も、同じよ」
 好きな人に惹かれて、好きな人同士で惹かれ合って、やがて深い仲になることを、誰が止めることができるだろう。
 それは、校則でどうにかできるものでは無いのだから。
「それにね。好きと言えるうちに好きと言っておかないと、きっと、あとで後悔することになるから」
「はい……」
 二人で、空を見上げた。
 見ている青空は同じなのに、愛梨と先生とでは、別のものを見ているような気がした。