海鳴りが聞こえる街で

 この方程式は、「好き」という字を入れただけでは成立しないんだろうな。
 海藍は、思った。
 海藍にしたって、夕陽のことを好ましいと思っても、恋愛対象としては見ることができない。
 でも、夕陽のことが好きだから、友達でいたいと思うし、たぶん夕陽も、同じように考えてくれているはずだ。
 好き。
 というものは、一種類では無いのだろうか?
 友達と恋人で、その質に優劣がついてしまうのだろうか?
 それって、おかしいんじゃないの?
 だって、好き、なのに。
「じゃあ……。次の問題を、文月」
「はい」
 立ち上がって、チョークを手に取った。
 午後の気だるい空気に包まれていた教室に、かっ、かっ、かっ……、という小気味の良い音が響いた。
(これだから最前列は……)
 昼食を摂った後というのは、大人も子どもも思考がにぶりやすくなる。
 先生とて人間。
 いつもは、同じ人間ばかりが指名されないように気を配ってくれる人でも、この気だるい空気に飲まれては、思考停止におちいりやすくて、パッと目に入った生徒を指名してしまう。
 その被害に遭うのが、前列に座っている生徒である。
 実際、さっきは夕陽が指名されていた。
「よしよし。正解」
 数学教諭は、赤色のチョークで丸を作った。
 おまけで花丸にしてくれたのは、海藍の解が模範的だったからか、先生の精神状態がお花畑になりつつあるからか。
 海藍は、おじぎをして席に戻った。
 その際、夕陽と目が合った。
(あーあ)
 教科書や問題集に載っている式は、こんなに簡単に解くことができるのに……。
 という、成績優秀者らしいことを海藍は考えていた。
「海藍くん、ちょっと」
 授業が終わると、すぐに夕陽が海藍のところにやって来た。
「いいけど」
 休み時間に、仲の良い女子同士でトイレに行く光景はよく見かけるけれど、なぜか夕陽は、海藍を指名してきた。
(なぜか、じゃないのかも)
 夕陽になにをかけ合わせれば、方程式の解にたどり着くことができるのか。と考えたとき、そこに当てはめるものが、「恋愛対象としての好き」でないのであれば、愛梨はもちろん、光も適任では無いのだ。
 (かい)海藍(かい)に置き換えたわけじゃないだろうけれど、ここは、さっき昼休みに予感したとおり、海藍がこの方程式をまとめてみせないといけない。
 廊下に出て、階段の踊り場まで来れば、それなりに人気は避けられる。
「なにか、私に言いたいこと、ある?」
「どうして?」
「なんとなく、そう思った」
「こっちも、なんとなく気になった。くらいなんだよね」
 嘘をついても始まらないので、正直に応えた。
 昼休みの、夕陽と愛梨とのやりとり、そして、自分と光とのやりとり。
 そこで、かすかだけれど、たしかに違和感を覚えていた。
「そっか」
 夕陽は、納得したようなしないような、あいまいな反応をした。
「それ、放課後までに答えが出そう?」
「無理だと思う。情報が少ないから」
「海藍くん、さ。今日の放課後……、なんだけどさ。予定……、ある?」
 夕陽は、ちょっと迷っているように、歯切れ悪く尋ねてきた。
「無いよ」
「そっか……。うん。そっか」
 海藍は、次の言葉を待ったけれど、夕陽は、そっかそっかとうなずきながら、教室に帰って行った。
 独りで立ち尽くしているのもなんなので、海藍も教室に戻っていた。
 すると夕陽は、カバンの中からスマホを取り出して、なにやらいじっていた。
 夕陽は、学校ではほとんどスマホを操作せず、空いた時間は、愛梨や海藍としゃべっているか、本を読んでいる。
(めずらしいな)
 と思っていると、海藍のスマホが音をたてながら震えた。
 画面を開くと、メッセージが届いていた。
 そこには、
〈今日、うちに来ない?〉
 という簡潔な一文。
 差出人は夕陽だった。