海鳴りが聞こえる街で

(あ、しまった)
 用事も無いのに、トイレを占領してしまっていた。
 夕陽がトイレに駆け込んだときは、他に利用者はいなかったけれど、いまは出勤と通学のラッシュ時なのだから、トイレを使いたい人は多いはずだ。
(しかたない。行くか)
 ひたすら気が進まなかったけれど、出願をしたからには、試験を受けずには帰れない。
 それに、試験さえ受ければ、万が一でも合格する可能性は残るのだから。
 まだ気持ちはマイナス方向に振れているけれど、ノックしてもらったおかげで、背中を押してもらえた。ドアの向こうにいる人に、夕陽は感謝をした。
 鍵を開けて、個室をあけ渡した。
 ハンカチを口にくわえて、蛇口の水で手を注ぐ。
 氷みたいに冷たい冬の水が、熱していた手を冷ましてくれた。
「大丈夫? 具合、悪いの?」
 その人は、せっかく空室になったトイレに入らず、夕陽の後を追いかけてきた。
 見てくれの年齢も背格好も、夕陽と同じくらいの女の子だった。 
「私のことを気にして、ここまで来たの?」
「うん。見ためからして、受験生っぽいし。ナーバスになって、気分が悪くなったんじゃないかなって」
 まるで、夕陽の内面を見透かしているようだった。
 ありがたいと思う反面、心の中に踏み込んで来られたみたいで、イラっともした。
「大丈夫だから」
 すました顔をとりつくろって、ハンカチで手を拭いた。
「本当に?」
 じっと、夕陽の瞳を覗き込んでくる。
 背丈が同じくらいだから、視線がまっすぐに絡み合ってしまう。
「……」
 気まずさに耐えきれなくなって、夕陽は視線を逸らした。
「やっぱり、気分悪いのね」
「大丈夫だってば」
 夕陽はその場を立ち去ろうとした。
「待って」
 しかし彼女は、夕陽の手を取る。
「なに」
 いよいよ頭にきて、口調が乱暴になる。
「どこ受けるの?」
宮ノ森(みやのもり)
 あんまり、この人とかかわりたく無かったけど、質問をされて無視できるほど、夕陽は悪役になりきることができなかった。
「わ! 本当に!? 私も宮ノ森なんだ!」
「まじ?」
「うん。ねぇ、学校まで一緒に行こうよ」
 そう言って彼女は、夕陽の手を取ったまま、歩き出してしまった。
(あー、もう。今日は厄日だよ)
 ちらちらと、細かい雪を降らせている神様のことを、夕陽は恨んだ。