この学校には、A棟、B棟、そして入学式が行われた体育館と、別棟がある。
A棟は、職員室、そして生徒の教室があって、B棟には、選択科目ごとに分かれて授業を行うための教室と、事務室や放送室、体育館に向かうための連絡通路がある。
A棟とB棟は、正門から見て、Lの字を逆さまにしたような形でつながっているけれど、別棟は、二つの棟から独立していた。
生徒会室は、離れとも呼ばれる別棟にある。
だから、いったん昇降口から出る。
別棟には、音楽室、美術室、被服室、コンピューター室など、特殊授業と部活動のために利用される教室が並んでいた。
夕陽と多香子は、なにも話さずに昇降口で靴を履き替えて、別棟に向かった。
(うーん。気まずい)
いくら嫌い合っている仲とはいえ、これから一年、委員長と副委員長という関係でやっていかなければならない。
慣れ合うつもりは無いけれど、顔を見ればすぐ喧嘩、というパブロフの犬みたいな条件反射くらいは解消しておきたい。
クラスメイトに気を遣わせてしまうし。
「もう進路のことを考えないといけないのかぁ……」
といって、自分から話題を振るのも、負けたみたいでなんだか癪だ。
だから夕陽は、あくまでも独り言をつぶやきましたよ、という形で話題を提供した。
「先生も言ってたでしょ。そんなに難しく考える必要は無いって」
別棟の中に入って、スリッパに履き替えた。
多香子は夕陽の話題に乗ってくれたけれど、やっぱり節々にトゲがある。
そして上から目線でのもの言いが治まることは無い。
こういうところが好かない。
気を遣って話題提供してあげたのに、その言いかたはどうなんだ。
「じゃあ、瀬川さんは、もうだいたいの目標は決まってるんだ」
意地の悪い言いかたになってしまった。
こいつと一緒いると、心が荒んでいけない。
多香子は、ぴたりと立ち止まった。
(おっと。やるのかな?)
喧嘩を売ってくるつもりなら、喜んで買ってやる。
夕陽はいつでもファイティングポーズをとれるように構えた。
「……、さん」
「え?」
「お、おヨメさん……、とか……」
多香子はもじもじっと身体を揺らしながら、言った。
その様子から、冗談ではなく本気のようだ。
彼女が言っていることを脳が解読していくにつれ、じわじわとなにかがこみ上げてきたが、夕陽は我慢をした。
あごに力を入れて、笑わないようにこらえる。
「いいわよ。笑って」
たぶん多香子は、それを聞いて笑った夕陽と、ひと喧嘩するつもりだったのだ。
でも夕陽は、顔を震わせながら、首を振った。
そりゃ、本音は大声で笑いたいけれど、胸の内の一端を見せてくれたわけだから、笑うのは失礼だ。
「そういう気の遣われかたをされたほうが、よっぽど頭にくるっての」
多香子は、二つのおさげを揺らしながら夕陽に背を向け、スリッパの音を鳴らしながら歩いて行った。
(かわいいところがあるんだなぁ)
人間、話してみないとわからないことがあるものだ。
話題を振ってみて良かった。
わずかながら、多香子に対する嫌悪感が薄れた気がする。
もっとも、ブラックコーヒーに、スポイトで一滴水を垂らした程度だけど。
二階の隅にある生徒会室のドアを開けると、普通の教室を二つくっつけたくらいの広さの部屋があった。
そこに、机がロの字型に並んでいる。
「えっと、どちらのクラスかな?」
「一年C組です」
先輩と思われる男性に、多香子が応えた。
机の上には、ちらっと見た国会中継で、議員の名前が書いてあった、ジェンガのブロックを大きくしたような立て札が並んでいた。
一年C組と書かれた立て札の席に座るように指示されたので、多香子と夕陽は並んで座った。
そうそう。
入学式では、海藍の挨拶の他に、驚いたことがもう一つあった。
「それじゃ、みなさんお集まりのようですので、始めさせていただきます」
正面の中央の席に座っている生徒会長が切り出した。
彼の名前は天津涼。
例の先輩、その人であった。
入学式の生徒会長挨拶で登場したときには、海藍のときと同じく声をあげそうになったものだ。
一同を見回した涼は、夕陽と目が合ったところで、こっそりと片目をつむった。
それが、夕陽が知っているあの先輩と、同一人物だという証明。
「特に集まっていただく必要は無かったのですが、毎年、こうして顔合わせをするのが決まりですから。三年生の先輩方は、なにかとお忙しいのに申し訳ありません」
なんせ、入学式の挨拶のときも、いま話しているときも、今朝に会ったときとはまるで雰囲気が違う。別人と言ってもいい。
「私らは顧問みたいなモンだから、気にしなさんな」
「キツイ仕事は、若い人たちに任せましたよー」
おだやかに笑う、三年生の委員長と副委員長たち。
護城浜のご隠居の笑い顔に似ていると夕陽は思った。
進学校である宮ノ森では、受験生の三年生には、勉強に集中できるように配慮しているらしい。
だから、生徒会の執行部は二年生で構成されて、三年生は相談役になるのが通例なのだそうだ。
それで、二年生の涼が、生徒会長を務めている、というわけだ。
この宮ノ森のシステムを夕陽は知らなかったので、涼が生徒会長だとわかってびっくりした。
「では、今日のところは、それぞれ所属するクラスと、お名前を教えてください。後日、名簿を作ってお配りします」
ということで、三年A組から順に、委員長と副委員長が名乗っていった。
本当に事務的な作業で、クラスと名前だけを生徒会の書記に伝えるだけだった。
三年生がそうしているのだからと、下級生も、余計なことは言わずに、名前とクラスのみを伝えていく。
最後に、生徒会の面々が自己紹介をして、今日のところはお開き。
解散するときに、涼が視線を送ってきたので、夕陽は軽く会釈を返した。
「私、図書館に海藍くんと愛梨を待たせてるから」
別棟の出入り口で、多香子に言った。
カバンは持って来たので、そのまま下校できる状態。
だけど、無言で別れるのもなんか感じが悪いし、でも、一緒に帰ろうと誘うなんて、まっぴらごめんだし……。
で、自分の予定を教えることにした。図書館に行きますから、ここで別れますよという意思表示だった。
多香子は、
「なんの因果か知らないけど、こうなったからには、一年間、よろしく」
とそっけなく言い、夕陽の反応を待たず、帰って行った。
(本当に、なんの因果なんだか……)
副委員長の仕事、委員長との人づき合い、進路……。
この先、どうなっていくのか、ぼんやりしていることばっかりで頭が痛い。
そこで、校長先生の「後悔の無い人生はありません」という言葉が思い浮かんだ。
パズルのピースがはまっていくみたいに、ぜんぶのことが、ぴったりと上手くいくことのほうが少ないんだよ。と、校長先生の話は、だいたいそんな感じだった。
(そうだよねー。学校生活はいろんなことが起きるんだし、ぜんぶをすっきりまとめようっていうほうが難しいんだよね)
と、半ば無理矢理に自分を納得させながら、夕陽は、図書館に向かった。
A棟は、職員室、そして生徒の教室があって、B棟には、選択科目ごとに分かれて授業を行うための教室と、事務室や放送室、体育館に向かうための連絡通路がある。
A棟とB棟は、正門から見て、Lの字を逆さまにしたような形でつながっているけれど、別棟は、二つの棟から独立していた。
生徒会室は、離れとも呼ばれる別棟にある。
だから、いったん昇降口から出る。
別棟には、音楽室、美術室、被服室、コンピューター室など、特殊授業と部活動のために利用される教室が並んでいた。
夕陽と多香子は、なにも話さずに昇降口で靴を履き替えて、別棟に向かった。
(うーん。気まずい)
いくら嫌い合っている仲とはいえ、これから一年、委員長と副委員長という関係でやっていかなければならない。
慣れ合うつもりは無いけれど、顔を見ればすぐ喧嘩、というパブロフの犬みたいな条件反射くらいは解消しておきたい。
クラスメイトに気を遣わせてしまうし。
「もう進路のことを考えないといけないのかぁ……」
といって、自分から話題を振るのも、負けたみたいでなんだか癪だ。
だから夕陽は、あくまでも独り言をつぶやきましたよ、という形で話題を提供した。
「先生も言ってたでしょ。そんなに難しく考える必要は無いって」
別棟の中に入って、スリッパに履き替えた。
多香子は夕陽の話題に乗ってくれたけれど、やっぱり節々にトゲがある。
そして上から目線でのもの言いが治まることは無い。
こういうところが好かない。
気を遣って話題提供してあげたのに、その言いかたはどうなんだ。
「じゃあ、瀬川さんは、もうだいたいの目標は決まってるんだ」
意地の悪い言いかたになってしまった。
こいつと一緒いると、心が荒んでいけない。
多香子は、ぴたりと立ち止まった。
(おっと。やるのかな?)
喧嘩を売ってくるつもりなら、喜んで買ってやる。
夕陽はいつでもファイティングポーズをとれるように構えた。
「……、さん」
「え?」
「お、おヨメさん……、とか……」
多香子はもじもじっと身体を揺らしながら、言った。
その様子から、冗談ではなく本気のようだ。
彼女が言っていることを脳が解読していくにつれ、じわじわとなにかがこみ上げてきたが、夕陽は我慢をした。
あごに力を入れて、笑わないようにこらえる。
「いいわよ。笑って」
たぶん多香子は、それを聞いて笑った夕陽と、ひと喧嘩するつもりだったのだ。
でも夕陽は、顔を震わせながら、首を振った。
そりゃ、本音は大声で笑いたいけれど、胸の内の一端を見せてくれたわけだから、笑うのは失礼だ。
「そういう気の遣われかたをされたほうが、よっぽど頭にくるっての」
多香子は、二つのおさげを揺らしながら夕陽に背を向け、スリッパの音を鳴らしながら歩いて行った。
(かわいいところがあるんだなぁ)
人間、話してみないとわからないことがあるものだ。
話題を振ってみて良かった。
わずかながら、多香子に対する嫌悪感が薄れた気がする。
もっとも、ブラックコーヒーに、スポイトで一滴水を垂らした程度だけど。
二階の隅にある生徒会室のドアを開けると、普通の教室を二つくっつけたくらいの広さの部屋があった。
そこに、机がロの字型に並んでいる。
「えっと、どちらのクラスかな?」
「一年C組です」
先輩と思われる男性に、多香子が応えた。
机の上には、ちらっと見た国会中継で、議員の名前が書いてあった、ジェンガのブロックを大きくしたような立て札が並んでいた。
一年C組と書かれた立て札の席に座るように指示されたので、多香子と夕陽は並んで座った。
そうそう。
入学式では、海藍の挨拶の他に、驚いたことがもう一つあった。
「それじゃ、みなさんお集まりのようですので、始めさせていただきます」
正面の中央の席に座っている生徒会長が切り出した。
彼の名前は天津涼。
例の先輩、その人であった。
入学式の生徒会長挨拶で登場したときには、海藍のときと同じく声をあげそうになったものだ。
一同を見回した涼は、夕陽と目が合ったところで、こっそりと片目をつむった。
それが、夕陽が知っているあの先輩と、同一人物だという証明。
「特に集まっていただく必要は無かったのですが、毎年、こうして顔合わせをするのが決まりですから。三年生の先輩方は、なにかとお忙しいのに申し訳ありません」
なんせ、入学式の挨拶のときも、いま話しているときも、今朝に会ったときとはまるで雰囲気が違う。別人と言ってもいい。
「私らは顧問みたいなモンだから、気にしなさんな」
「キツイ仕事は、若い人たちに任せましたよー」
おだやかに笑う、三年生の委員長と副委員長たち。
護城浜のご隠居の笑い顔に似ていると夕陽は思った。
進学校である宮ノ森では、受験生の三年生には、勉強に集中できるように配慮しているらしい。
だから、生徒会の執行部は二年生で構成されて、三年生は相談役になるのが通例なのだそうだ。
それで、二年生の涼が、生徒会長を務めている、というわけだ。
この宮ノ森のシステムを夕陽は知らなかったので、涼が生徒会長だとわかってびっくりした。
「では、今日のところは、それぞれ所属するクラスと、お名前を教えてください。後日、名簿を作ってお配りします」
ということで、三年A組から順に、委員長と副委員長が名乗っていった。
本当に事務的な作業で、クラスと名前だけを生徒会の書記に伝えるだけだった。
三年生がそうしているのだからと、下級生も、余計なことは言わずに、名前とクラスのみを伝えていく。
最後に、生徒会の面々が自己紹介をして、今日のところはお開き。
解散するときに、涼が視線を送ってきたので、夕陽は軽く会釈を返した。
「私、図書館に海藍くんと愛梨を待たせてるから」
別棟の出入り口で、多香子に言った。
カバンは持って来たので、そのまま下校できる状態。
だけど、無言で別れるのもなんか感じが悪いし、でも、一緒に帰ろうと誘うなんて、まっぴらごめんだし……。
で、自分の予定を教えることにした。図書館に行きますから、ここで別れますよという意思表示だった。
多香子は、
「なんの因果か知らないけど、こうなったからには、一年間、よろしく」
とそっけなく言い、夕陽の反応を待たず、帰って行った。
(本当に、なんの因果なんだか……)
副委員長の仕事、委員長との人づき合い、進路……。
この先、どうなっていくのか、ぼんやりしていることばっかりで頭が痛い。
そこで、校長先生の「後悔の無い人生はありません」という言葉が思い浮かんだ。
パズルのピースがはまっていくみたいに、ぜんぶのことが、ぴったりと上手くいくことのほうが少ないんだよ。と、校長先生の話は、だいたいそんな感じだった。
(そうだよねー。学校生活はいろんなことが起きるんだし、ぜんぶをすっきりまとめようっていうほうが難しいんだよね)
と、半ば無理矢理に自分を納得させながら、夕陽は、図書館に向かった。

