海鳴りが聞こえる街で


「後悔の無い人生は、ありません」
 ほう? 
 と夕陽は顔をあげた。
 入学式の序盤の難所、校長先生のあいさつが始まったところで、本格的に睡魔が襲ってきた。
 この類の学校行事というのは、いつの時代も、どこの学校でも、内容が似たり寄ったり。
 高校生にもなると、ああ、だいたいこのパターンね。
 と察することができるから、わざわざ式次第なんで頭に入れなくても、なんとなくで式を乗り切ることができる。
 加えて、
「新入生のみなさん。ご入学、おめでとうございます」
 から始まる、校長先生のおだやかな語り口。これで眠気が誘われないほうが無理だ。
 しかも夕陽は、百人以上もいる新入生の中の一人にすぎない。
 いびきでもかかなければ、一人くらい眠っていてもバレないだろうという油断が湧いても、誰も責めることはできない。
 せめてこの後、壇上で挨拶をするとかいうなら、緊張で眠気がまぎれるかもしれないけれど……。
 ちなみに、新入生の挨拶は、入試の成績が一位だった生徒が行うようである。
 夕陽も頭は悪く無いけれど、そんな天上界とは無縁。
 人並みに頑張って勉強をして、宮ノ森に入学できる程度だ。
(悔いのない人生は、無い……。か)
 さてそんな夕陽は、校長先生の挨拶の一節が心に響いた。。
 こうしたあいさつでは、高校生活の三年間、悔いの残らぬように……。とかいうのが慣例ではなかろうか。いや、統計をとったわけでは無いから確証できないけれど。
 とにかく校長先生は、悔いを残してもいいとか、失敗してもいいとか、そういうことを説いていた。
「新入生、起立」
 司会の先生の指示に従い、全員起立。
 校長先生のおじぎに合わせて、礼。
「新入生、着席」
 はい、よっこいしょと腰をおろす。
 校長先生の話は、けっこう興味深かった。
 ただしこの後は、理事長挨拶、後援会会長挨拶、祝電披露と、胃もたれを起こしそうな、濃厚な式次第となっている。
 自分とかかわりの無い、これからもかかわらないであろう大人たちの話を聞くのは、かなりの苦痛。
 こういうのも、社会勉強の一環なのかもしれないけれど、もう少し簡略化できないものだろうか。と、短気な夕陽は思ってしまう。
 夕陽は、懸命に睡魔と戦いながら、あいさつを聞いた。
 まともに耳に入れて理解しようとすると、眠気を助長する。
 だから、顔だけは壇上に向けて、話の内容は右から左に流す。
 そして結局、頭に残ったのは、校長先生が言っていた、あの一節のみ。
(そういうものだよねー)
 話している本人だって、自分が話したことを、ぜんぶ覚えているわけが無いだろうし。
 校長先生が、また登壇した。
 新入生代表のあいさつを受けるためだ。
「新入生、起立」
 はいはいっと。
 夕陽は立ち上がる。
 どこの誰かもわからない人が代表ってのも、おかしな話だ。
 とはいえ、形式を重んじる場で、そういう、ひねくれたことを言い出したらキリが無い。
 こんな、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことを考え出すということは、夕陽の脳は、そうとうに退屈している。
「代表、文月海藍」
「んぅっ?」
 という夕陽の驚きの声は、さして目立たなかった。