海鳴りが聞こえる街で

「あっ。夕陽―! と、文月、くん」
 夕陽が教室に入ってくると、ご主人が家に帰ってきたペットみたいに、満面の笑みで、愛莉がすり寄って来た。
 しかし、隣にいた男子生徒を目にすると、とたんに表情が固くなる。
「お、おはよ。あーっと、元気、してた?」
 しかし、こないだの登校日とは違って、愛莉のほうから歩み寄りの姿勢が見られた。
 それで、夕陽も海藍も安心した。
 これならば、登校日のときみたいに、気まずいことはならないだろう。
「おはよう。うん。元気だったよ」
「そっ、か。そ、そりゃー、いいことだー」
 ただ、敵視していた相手と、いきなり仲良くなることには抵抗があるようで、海藍相手には歯切れが悪い。
 会話は広がることなく、しぼんでいく。
「あんたたち、またやってんの?」
「うげ……」
「あん? なによ、うげって」
 クセっ毛で作った二本のツインテールを揺らしながら、瀬川多香子が登場した。
 夕陽の姿を確認すると、即座にロックオン。
 両手を腰にそえ、前かがみなり、多香子のほうが身長が高いことをアピールするとともに、高圧的な態度で挑発開始。
「わたしの素直な気持ちだけど、どうかした?」
 こうなると夕陽も脊髄反射である。上から抑え込もうとしてくるなら、反抗の一択だった。
「はぁ? アンタ、礼儀ってのを知らないの?」
 多香子は両腕をクロスさせて、呆れ笑いをする。
「礼儀くらい知ってるよ。あと、礼儀を払ってもムダな相手がいるってことも、知ってるよ」
「なんっ…!」
 多香子の細い眉が、ぴくぴくと揺れた。
 しかし、この勝負は、先に怒ったり、まして手を出してしまったら負けである。
 誰がルールを決めたわけでも無いけれど、夕陽も多香子も、暗黙のうちにそう認識していた。
「君たち、またやってるの?」
 そこに光がやって来て、小さな声でつぶやくように言いながら、静かな瞳で、夕陽と多香子を見つめる。
「う……。アンタか……」
 激情型の多香子は、光の静かな雰囲気が苦手のようだ。
 上がりかかったボルテージが一気に冷めてしまって、とても喧嘩を続行するような気にはなれなかった。
 そして夕陽は、
(こないだと同じだ。なんなの、これ)
 登校日、光と目が合ったときと同じように、罪の意識みたいな高揚感みたいな、複雑な感情が湧いてきていた。
 多香子と理由は違うけれど、喧嘩のことなんて、どうでも良くなっていた。
「夕陽、そろそろ先生が来るから、席に戻ろう」
「あ、うん」
 ちょうどいいタイミングで愛梨が夕陽の腕をとって、多香子から引き離してくれた。
 闘志を失った多香子も、それに追い打ちをかけてくることはしなかった。
 自分の席にカバンを置いた光の顔を見た。
(私、どっか悪いのかな)
 たしかに夕陽には〝あれ〟があるけれど、こんな症状が発生したことは無い。
 それか、身体の成長と共に、新しい症状が出てくるようになってしまったか。
(今度、白川先生に相談しよう)
 せっかく宮ノ森に通うことになったのだから、あれともうまくつき合っていかないといけない。
「夕陽、なにぼーっとしてるの?」
「ごめん。なんでも無い」
 愛梨にも、心配をかけないようしないといけなかった。