この街は、陽の光と共にある。
一日を始める者たちに、朝陽が活力を与えてくれる。
一日を終えた者たちを、夕陽が優しくねぎらってくれる。
そうして日々が紡がれていく。
友菜は、おだやかに揺れる海面を眺めていた。
海風が吹けば、波とリンクするように、友菜の長い黒髪がたなびいた。
今日はお祝いの式だから、スーツもスカートも、白を基調にした明るい色のものを選んだ。
だけど、友菜の暗い表情は、まるでお通夜のそれだった。
防波堤を兼ねている、高い道路の一角に、公園がある。
ベンチとトイレと自動販売機が設置されているくらいの簡素な公園だが、護城浜の海を一望することができる。
「おや友菜さん。おはようございます」
「白川先生。おはようございます」
ジャージ姿の白川先生は、軽く会釈をして、友菜の恰好をまじまじと見た。
「そうか。今日は夕陽の入学式でしたか」
そうだったそうだっと、頭を叩く。
「早いモンですねぇ」
知り合ったときは中学生だったのに、あっという間に女子高生。
子どもの成長は、早い。
「あれっ!? わ、私、いま何歳!?」
他人が歳をとるということは、比例して自分も歳をとることでもあるわけで。
だけど、大人になると、一日一日が早く過ぎていくものだから、自分の年齢を忘れてしまいがちだ。
「先生だって、まだお若いですよ」
「そう言っていただけるのはありがたいですけどね。こうして朝の散歩をして、体形と健康を維持するのがやっとですよ。友菜さんがうらやましい」
と、さりげなく右手を友菜のお尻に伸ばす。
「診察をお願いした覚えはありませんよ?」
あっさりとその手を捕縛する友菜。
断っておくけれど、白川先生は大人の女性である。
だからって、セクハラが許されるわけではないけれど。
「いやぁ。友菜さんは、夕陽とはまた違った意味で触診したくなるもので」
ちんまくてかわいい夕陽とは真逆で、友菜は非常に発育がよろしいものだから、つい感触をたしかめたくなる。
と悪びれもせずに、白川先生。
眼鏡がよく似合う。
研究者みたいに、内にこもって仕事をするのが得意そうな、知的な顔立ちをしている。
白川先生は、ジャージのポケットからタバコを取り出して火を付けた。
「健康を気にしてらっしゃるなら、タバコをやめたらいかがですか?」
ましてお医者さんなんですから。と、友菜。
耳に痛い指摘に、笑いながら煙を吐く彼女、白川早希英は医師だった。
前任者だった老人先生の跡をひき継ぐ形で、この街にやって来た。
「ストレスになるくらいなら、吸ったほうがいいっていう医者もいますよ。ストレスってのは、みなさんが思っている以上に毒なんですよ」
トイレ横に設置されている灰皿に、灰を落とす。
溜まり場になりかねないので、灰皿を設置することに反対する意見もあるが、灰皿が無ければ無いで、砂浜に吸い殻を捨てていく輩が湧く。
綺麗な海を維持するのも大変だ。
もちろん早希英は、吸い殻をポイ捨てするような真似はしない。
「いい街です。ここは」
「はい。本当に」
友菜はうなずいて、ビニール袋に詰めてあった、白い花びらを手のひらに乗せた。
咲いたばかりの、花水木の花だった。
それを両手に乗せて、海に向かって差し出した。
風が吹いて、花が舞う。
やがて花弁は、海へと吸い込まれていった。
「受け取って、くれたでしょうか?」
不安そうに、早希英に聞く。
それは、「彼女」への贈り物であり、あいさつであり、友菜なりのけじめだった。
「私は本人に会ったことが無いですからねぇ」
「先生。こういうときは、気休めでもいいから、大丈夫だって言ってほしいです」
早希英は、海に向かってタバコの煙をふかした。
(ああそうか……)
旦那さんに聞くわけにもいかない。まして、夕陽に聞くわけにはいかない。
だから友菜は、他のどこかに、気休めを求めないといけないのか。
「そうですね。今度、仕事抜きで触診をさせてくださるなら、そういう役をひき受けてもいいですよ」
「先生」
「冗談ですよ。ま。溜め込むまえに、相談に来てください。ストレスは、みなさんが思っている以上に毒ですから」
早希英は、友菜に背中を向けながら手を振った。
入れ替わりで、旦那の将がやって来た。
早希英と将は、すれちがいざま、軽い会釈を交わして、別れた。
「おう。お待たせ」
将は、セーターの上にジャケットを羽織る、カジュアルな礼服姿だった。
夫婦は、二人でベンチに座った。
バスに乗り込んだら、護城浜から数駅先のロータリーで降車。
そこでタクシーに乗り換える。
駅前には、観光用のご当地タクシーがあるので、車が無いという事態には遭遇しにくい。
それでも、念を押して電話予約はしておいた。
目的地への到着時刻は、9時30分を予定している。
「たしかに、電車の人混みに揉まれなくて済むが……」
将は言った。
そのぶん、料金がかかる。
ただ、妻にとって、人混みに揉まれるかどうかは、それほど大事なこととは思えなかった。
それに彼女は、護城浜に来るまえは都内で働いていたのだから。込み合っている電車で移動するのは、日常だったはずだ。
「わがままを言って、ごめんなさい」
「なぁに。気にしなくていいさ」
仕事は順調で、快く娘を私立高校に送り出せるほどにはお金がある。
たまに散財をしても、罰は当たらないだろう。
ただ、気になるのは……。
「そんなに、夕陽と同じ経路を辿るのが嫌か」
「だって……」
あとから電車で夕陽を追いかけるなら、最初から一緒に行けばいいじゃない。という話になる。
だから友菜は、別のルートで学校に向かいたかった。
見え透いてはいるけれど、夕陽と一緒に登校しなかったことへの口実が欲しかった。
「夕陽は、友菜のことが好きだよ」
「……」
友菜はうつむいてから、
「ええ」
自分に暗示をかけるように、夫の言葉を肯定した。
娘と妻。両人の気持ちが理解できてしまうだけに、将は頭が痛い。
夕陽は、そろそろ母親離れをしないといけない。
母親離れをするためには、母からの愛情を必要とする。
だけど、その愛情が、まだ不足している。
友菜も、そろそろ子離れをしないといけない。
子離れをするためには、子どもへの愛情を使いきらないといけない。
だけど、その愛情を、まだ消費しきっていない。
母が母なら娘も娘。
どっちがどっちから影響を受けているんだか、最近、二人ともやけに似てきた。
お互いのことが好きすぎて、気を遣いすぎて、深刻に考えすぎて……。
そのことで、勝手に自分で気に病んでしまう。
(もっと素直に接すればいいのになぁ)
それは将の理屈だった。
放胆な彼からすれば、友菜と夕陽の関係はもどかしい。
でも、女性同士の二人には、将の理屈が通用しないなにかがあるのだろうし、このことは、夕菜と夕陽で解決をしないといけない。
目的の駅のロータリーに到着した。
駅前は発展していて、市営バスやタクシーが行き交っている。
ド田舎の護城浜とは、あまりにも景色が違う。
1時間かそこいら、車を走らせただけなのに、一気に世界が文明化したみたいだった。
「まるで浦島太郎だな」
将の冗談に、友菜は笑ってくれた。
(夫がしてやれることってのは、少ないもんだなぁ……)
夫婦とはいえ、どこまでいっても異性同士だし、もとは他人。
同性のことは、同性に任せるしかないのか。
将が自分を情けなく思っていると、友菜は将の手をとった。
夫婦そろっての外出。たまには手でもつないで、愛情確認をしたいということだ。
友菜はそんな気持ちを抑えて、さっきから、ずっと我慢していたのだ。
タクシーの運転手の目があったからでは無い。
友菜は、海が見えるうちは遠慮していたのだ。
海に見られているからではない。
海が、見えるからだ。
だから、我慢していた。
それが友菜の美徳なのだろうけれど、そんなに気を遣っていて、妻の心が疲れてしまわないかが心配だった。
将は、腕時計で時間を確認した。
予定通り、時刻は9時30分。
(できるだけ、ゆっくり歩くか)
妻に、できるだけ長い時間デート気分を味わってもらうために。
将にできるのは、そのくらいだった。
一日を始める者たちに、朝陽が活力を与えてくれる。
一日を終えた者たちを、夕陽が優しくねぎらってくれる。
そうして日々が紡がれていく。
友菜は、おだやかに揺れる海面を眺めていた。
海風が吹けば、波とリンクするように、友菜の長い黒髪がたなびいた。
今日はお祝いの式だから、スーツもスカートも、白を基調にした明るい色のものを選んだ。
だけど、友菜の暗い表情は、まるでお通夜のそれだった。
防波堤を兼ねている、高い道路の一角に、公園がある。
ベンチとトイレと自動販売機が設置されているくらいの簡素な公園だが、護城浜の海を一望することができる。
「おや友菜さん。おはようございます」
「白川先生。おはようございます」
ジャージ姿の白川先生は、軽く会釈をして、友菜の恰好をまじまじと見た。
「そうか。今日は夕陽の入学式でしたか」
そうだったそうだっと、頭を叩く。
「早いモンですねぇ」
知り合ったときは中学生だったのに、あっという間に女子高生。
子どもの成長は、早い。
「あれっ!? わ、私、いま何歳!?」
他人が歳をとるということは、比例して自分も歳をとることでもあるわけで。
だけど、大人になると、一日一日が早く過ぎていくものだから、自分の年齢を忘れてしまいがちだ。
「先生だって、まだお若いですよ」
「そう言っていただけるのはありがたいですけどね。こうして朝の散歩をして、体形と健康を維持するのがやっとですよ。友菜さんがうらやましい」
と、さりげなく右手を友菜のお尻に伸ばす。
「診察をお願いした覚えはありませんよ?」
あっさりとその手を捕縛する友菜。
断っておくけれど、白川先生は大人の女性である。
だからって、セクハラが許されるわけではないけれど。
「いやぁ。友菜さんは、夕陽とはまた違った意味で触診したくなるもので」
ちんまくてかわいい夕陽とは真逆で、友菜は非常に発育がよろしいものだから、つい感触をたしかめたくなる。
と悪びれもせずに、白川先生。
眼鏡がよく似合う。
研究者みたいに、内にこもって仕事をするのが得意そうな、知的な顔立ちをしている。
白川先生は、ジャージのポケットからタバコを取り出して火を付けた。
「健康を気にしてらっしゃるなら、タバコをやめたらいかがですか?」
ましてお医者さんなんですから。と、友菜。
耳に痛い指摘に、笑いながら煙を吐く彼女、白川早希英は医師だった。
前任者だった老人先生の跡をひき継ぐ形で、この街にやって来た。
「ストレスになるくらいなら、吸ったほうがいいっていう医者もいますよ。ストレスってのは、みなさんが思っている以上に毒なんですよ」
トイレ横に設置されている灰皿に、灰を落とす。
溜まり場になりかねないので、灰皿を設置することに反対する意見もあるが、灰皿が無ければ無いで、砂浜に吸い殻を捨てていく輩が湧く。
綺麗な海を維持するのも大変だ。
もちろん早希英は、吸い殻をポイ捨てするような真似はしない。
「いい街です。ここは」
「はい。本当に」
友菜はうなずいて、ビニール袋に詰めてあった、白い花びらを手のひらに乗せた。
咲いたばかりの、花水木の花だった。
それを両手に乗せて、海に向かって差し出した。
風が吹いて、花が舞う。
やがて花弁は、海へと吸い込まれていった。
「受け取って、くれたでしょうか?」
不安そうに、早希英に聞く。
それは、「彼女」への贈り物であり、あいさつであり、友菜なりのけじめだった。
「私は本人に会ったことが無いですからねぇ」
「先生。こういうときは、気休めでもいいから、大丈夫だって言ってほしいです」
早希英は、海に向かってタバコの煙をふかした。
(ああそうか……)
旦那さんに聞くわけにもいかない。まして、夕陽に聞くわけにはいかない。
だから友菜は、他のどこかに、気休めを求めないといけないのか。
「そうですね。今度、仕事抜きで触診をさせてくださるなら、そういう役をひき受けてもいいですよ」
「先生」
「冗談ですよ。ま。溜め込むまえに、相談に来てください。ストレスは、みなさんが思っている以上に毒ですから」
早希英は、友菜に背中を向けながら手を振った。
入れ替わりで、旦那の将がやって来た。
早希英と将は、すれちがいざま、軽い会釈を交わして、別れた。
「おう。お待たせ」
将は、セーターの上にジャケットを羽織る、カジュアルな礼服姿だった。
夫婦は、二人でベンチに座った。
バスに乗り込んだら、護城浜から数駅先のロータリーで降車。
そこでタクシーに乗り換える。
駅前には、観光用のご当地タクシーがあるので、車が無いという事態には遭遇しにくい。
それでも、念を押して電話予約はしておいた。
目的地への到着時刻は、9時30分を予定している。
「たしかに、電車の人混みに揉まれなくて済むが……」
将は言った。
そのぶん、料金がかかる。
ただ、妻にとって、人混みに揉まれるかどうかは、それほど大事なこととは思えなかった。
それに彼女は、護城浜に来るまえは都内で働いていたのだから。込み合っている電車で移動するのは、日常だったはずだ。
「わがままを言って、ごめんなさい」
「なぁに。気にしなくていいさ」
仕事は順調で、快く娘を私立高校に送り出せるほどにはお金がある。
たまに散財をしても、罰は当たらないだろう。
ただ、気になるのは……。
「そんなに、夕陽と同じ経路を辿るのが嫌か」
「だって……」
あとから電車で夕陽を追いかけるなら、最初から一緒に行けばいいじゃない。という話になる。
だから友菜は、別のルートで学校に向かいたかった。
見え透いてはいるけれど、夕陽と一緒に登校しなかったことへの口実が欲しかった。
「夕陽は、友菜のことが好きだよ」
「……」
友菜はうつむいてから、
「ええ」
自分に暗示をかけるように、夫の言葉を肯定した。
娘と妻。両人の気持ちが理解できてしまうだけに、将は頭が痛い。
夕陽は、そろそろ母親離れをしないといけない。
母親離れをするためには、母からの愛情を必要とする。
だけど、その愛情が、まだ不足している。
友菜も、そろそろ子離れをしないといけない。
子離れをするためには、子どもへの愛情を使いきらないといけない。
だけど、その愛情を、まだ消費しきっていない。
母が母なら娘も娘。
どっちがどっちから影響を受けているんだか、最近、二人ともやけに似てきた。
お互いのことが好きすぎて、気を遣いすぎて、深刻に考えすぎて……。
そのことで、勝手に自分で気に病んでしまう。
(もっと素直に接すればいいのになぁ)
それは将の理屈だった。
放胆な彼からすれば、友菜と夕陽の関係はもどかしい。
でも、女性同士の二人には、将の理屈が通用しないなにかがあるのだろうし、このことは、夕菜と夕陽で解決をしないといけない。
目的の駅のロータリーに到着した。
駅前は発展していて、市営バスやタクシーが行き交っている。
ド田舎の護城浜とは、あまりにも景色が違う。
1時間かそこいら、車を走らせただけなのに、一気に世界が文明化したみたいだった。
「まるで浦島太郎だな」
将の冗談に、友菜は笑ってくれた。
(夫がしてやれることってのは、少ないもんだなぁ……)
夫婦とはいえ、どこまでいっても異性同士だし、もとは他人。
同性のことは、同性に任せるしかないのか。
将が自分を情けなく思っていると、友菜は将の手をとった。
夫婦そろっての外出。たまには手でもつないで、愛情確認をしたいということだ。
友菜はそんな気持ちを抑えて、さっきから、ずっと我慢していたのだ。
タクシーの運転手の目があったからでは無い。
友菜は、海が見えるうちは遠慮していたのだ。
海に見られているからではない。
海が、見えるからだ。
だから、我慢していた。
それが友菜の美徳なのだろうけれど、そんなに気を遣っていて、妻の心が疲れてしまわないかが心配だった。
将は、腕時計で時間を確認した。
予定通り、時刻は9時30分。
(できるだけ、ゆっくり歩くか)
妻に、できるだけ長い時間デート気分を味わってもらうために。
将にできるのは、そのくらいだった。

