海鳴りが聞こえる街で

 いきなり声をかけられたので、反射的に距離をとってしまった。
 過剰に反応して、気を悪くさせてしまったかもしれない。
 けれど、その男の人は、
「おお。いい反応」
 なんて言って、ぱちぱちと拍手をしている。
「あっ。登校日のときの」
「覚えててくれたか。キミ、教卓のすぐまえの席の子だよね」
「はい」
「立ち話もなんだし、行こうか」
 その人、先輩の後に夕陽は続いた。
 宮ノ森学園の二年生、天津涼。
 春休みの登校日に、宮ノ森学園の説明をしてくれた人。
 それともうひとつ、夕陽と彼には接点があった。
「受験日にも、独りで残ってたよね」
 夕陽は、そう言う先輩の顔を見上げた。
 身長は180㎝に届かないくらいで、高校生の男子としては平均レベル。顔つきも、これといって特徴が無くて、あんまり印象に残らない。
 でも、どこか独特な雰囲気がある人だった。
「独り、好きなの?」
 先輩は、いつも笑っている。
 営業スマイルみたいで、うすっぺらい感じもするし、達観した大人の笑みのようにも見えるし、子どもみたいな無邪気さも含まれているようにも感じる。
 上りのエスカレーターに乗った。
「それか、他人と一緒なのがイヤか」
「誘導尋問ですか?」
 不快感を込めて、言った。許可をしてないのに心の中に踏み込んで来られることに、夕陽は過敏だった。
 後輩の女の子に反発されたのに、
「いいね。いい性格してる」
 涼先輩は、それをおもしろがっていた。
「自分の気持ちに正直に生きなさいって、おか……、ある人に言われたので」
「なるほど。でも、そういう生きかたしてたら、生きるの、難しくない?」
 エスカレーターから降りて、改札のある出口に向かう。
「どっこいどっこいじゃないですか? こうやって、やさしい先輩が気にかけてくれるんですから」
「あっはっは! 違いない!」
 夕陽の受け答えが気に入ったらしく、先輩は大きく笑った。
 自動改札にスマホを当てて、改札を抜けた。
 いまは、こうやって改札を通過するのがあたりまえなんだろう。
 でも、昔の護城浜駅を知っているからか、なんだか無機質で味気無いって思ってしまう自分を、捨てることができない。
「先輩」
「んー?」
「変わっていくのって、大事ですか?」
 彼は興味深そうに夕陽を見つめた。
 やがて、
「いやぁ、入学式日和だねぇ」
 抜けるような青空をあおいだ。
「なんで涼さんと夕陽ちゃんが一緒にいるの!?」
 駅の出口付近のコンビニから出てきた男の人は、びっくりしていた。
 整いすぎたその顔は、どんな顔をしてもイケメンのままだった。
「おー、海藍じゃん。おはよおはよ」
 涼先輩は、海藍の首に右腕を巻き付ける。
「あいかわらずのイケメンでうらやましい。そろそろ彼女できたか? ん?」
 夕陽にするのとは、まるで違う絡みかたをしていた。男同士だと、距離感がより近くなるみたいだった。
「余計なお世話です」
 海藍は、涼先輩の腕を振りほどいて、夕陽のほうに逃げてきた。
「夕陽ちゃん。おはよう」
「うん。おはよう」
 下手したら、あいさつしただけで女の子が恋に落ちてしまいそうな、海藍のさわやかスマイル。
 夕陽は、それに朝のあいさつを返す。
「そっか、おまえらクラスメイトだったな」
 涼先輩の、「おまえ」というのは、海藍のことを指して言ったのだろうと、すぐわかった。
 初めて会ったときから、夕陽のことは「キミ」と呼んでいたから。
(この二人の関係も、謎なんだよね)
 涼先輩がおまえ呼びしていることからも、二人の関係が浅く無いことがわかる。
「海藍、どうよ、この子とつき合ってみたら?」
「は、はぁっ!? なんですか急に! 夕陽ちゃんとは、まだ知り合ったばっかりだし、てか、夕陽ちゃんだってイヤだよね?」
「私に振ってくるの!? えっと、えっと……」
「冗談すよ、冗談」
 激しく動揺している夕陽と海藍に、いたずらっぽく涼先輩は笑いかけた。
「おまえ、ぜったいお母さん似だよな。いいリアクションするとことかそっくりだわ」
「涼先輩は、海藍くんのお母さんを知ってるんですか?」
 お母さん似、というヒントに夕陽は反応した。
「あー、んー、まぁね」
「二人って、どういう関係なんですか?」
「お。誘導尋問のお返しか」
「そういうわけじゃないですけど。ごめんなさい」
「なんで、ごめんなさい?」
 気になったことを、そのままにしておけなかっただけなんだけれど。
 夕陽のほうは、自分の心をがっちりガードして、心に誰かが入って来ることを拒むくせに、他人のことは明らかにしたい、というのは、すごく不公平な話だ。
 それに、夕陽が気になったという理由だけで他人の内情をあばこうというのは、あの瀬川多香子とかいう、いけ好かない女と同じになってしまう。
 ここは大人になって、我慢しないと。
「謝るほどのことじゃないって。話してもいいけど、登校まえの時間使って話すには、長話になっちゃうからさ。また今度、ゆっくり話そう」
「はい。ありがとうございます」
「んじゃ、せっかくだから、新入生二人で登校しなよ」
 そこで話を切ってしまった涼先輩は、さっき海藍が出てきたコンビニに向かった。
 途中で、夕陽と海藍のほうをふり返って。
「深刻に考えるのも大事だけど、とりあえず足を踏み出してみて、ダメだったら踏み出した足をひっこめる。くらいの軽いノリも大事だと思うよ」
 そう言って、ウィンクしてみせた。
 その言葉は、夕陽に贈られたものなのか海藍に贈られたものなのか、それとも……。
 先輩の言葉が向かった先も、言葉の意図もわからなかった。
「行こうか」
 海藍の表情は、まっさらだった。
 いま彼は、なんの感情も抱いていない。
 ただ、涼先輩が言ったことが、頭の中を支配している。そういう顔をしていた。
 それで、夕陽も、海藍と同じ顔をしている。
 海藍の顔は、夕陽の顔の写し鏡。
「海藍くん。私、海藍くんとつき合うのがイヤだから、ああいう反応したんじゃないからね」
「いいよ気にしなくて。涼さん、ああいうこと、よく言うんだ。彼なりに、僕のことを気にしてくれてるんだよ」
「そうなんだ」
「僕は、ずっと逃げてるんだよ。だからさっきも、夕陽ちゃんを逃げ道に使っちゃった。ごめん」
 歩道橋を、二人で並んで歩いた。
 逃げている。というヒントワードがこぼれてきた。
 それは、海藍が心を開くための準備運動のように思えた。
 夕陽のことを信頼できる人間だと見込んでくれているのだ。
 だけど。
「気にしなくて、いいよ」
 いま夕陽から海藍に返せるのは、これくらいだった。
 涼先輩が言う軽いノリとは、かけ離れている。