海鳴りが聞こえる街で

 御姫山が見えてきた。
 この山に住む女の神様は、男性がたいそうお好きで、神様のご機嫌とりをするために、若い美男を生け贄にしていたという、血生臭い逸話も残っている。
 平成の初期ごろまでは、神社で行われる祭事には、選ばれた男が一人だけしか参加できない。なんていう決まりもあった。女人禁制が時代遅れと叫ばれる現代では、めずらしい事例といえる。
 なお、現在でも、山の神様に対して感謝を述べる儀式が行われるが、若い男子たちが祭文を読み上げるのが慣例になっている。
 そのためか、祭りの期間中は、女性客の姿がよく目立つ。
 だから運営側も、女性客をねらったイケメングッズを販売している。
 神事を営利目的に利用するのはどうかという指摘もあるけれど、これも時代ってやつなのだろう。
(お姫様。そっか、またあの子に会わないといけないのか)
 春休みの登校日に出会った女の子のことを思い出していた。たしか、瀬川多香子って名前だった。
 わがまま勝手で自己中心的。お姫様みたいな気性のあの子とは仲良くなれる気がしない。
 それでいて、勝ち気なところだけは夕陽に似ているから始末が悪い。
 おたがいに、喧嘩を売られればぜったいに買うだろうし、ぜったいに自分から負けを認めることは無いだろう。
 そんな子と、一年間、一緒の教室でクラスメイトとしてつき合わないといけない。
 でも、これから大人になるにつれて、周りの人間が、自分と相性の良い人だけで構成されるとは限らないし、馬が合わない人とつき合う予行練習とも言えるかもしれない。
(大人か)
 夕陽は、文庫本の文字列を瞳でなぞる。
 御姫山が遠ざかっていくと、田園地帯が目に飛び込んでくる。
 目に映る景色に、徐々に緑色が少なくなってきたら、今度は、港を利用した工業地帯を見てとることができる。
(不思議だなぁ……)
 自分たちが住んでいる田舎の街から、たったの一時間。
 一時間、電車に座っていただけなのに、こんなにも景色が変わってしまうものなのか。
 目の前の景色が、めまぐるしく変化しているのに、みんな、あたりまえのこととして受け止めている。
 乗客の乗り降りも激しくなってきて、車内も混みあってきた。
 高校の制服を着ている女の子の姿もある。
 その人たちが、いま何学年なのか、すぐにわかった。
 八割以上が、今日、入学式を迎える新入生だ。
 なぜなら、どこかソワソワしていて落ち着きが無い。
 駅に到着するたびに、ここが降車駅なのかをしっかり確認している。
 だから、夕陽のように本を読んでいても、スマホをいじっていても、友達とおしゃべりをしていても、どこか気がそぞろ。
 ところが、高校三年生と思われる人たちは、もう大人の女性というたたずまいで、どっしり構えている。
 そして二年生の人たちは、女子高生を満喫しているっていう感じで、たのしげだ。
 少数派だったから、余計にそう感じるのかもしれないけれど、新入生たちとは余裕が違う。
 上級生たちは、降車駅になったら、スマホいじりやおしゃべりをしていても、ぴたっとそれをやめて、車両から降りて行く。
 高校生活が、体の一部として染み着いているのだ。
 夕陽も本をしまって、その後に続く。
 年齢にしたら、一歳とか二歳しか違わないのに、上級生たちは、あんなにも大人だ。
 たったの一年や二年で、あれだけソワソワしていた人たちが、落ち着いた人間に変化できるものなのだろうか。
 もしかしたら、自分で気づいていないだけで、夕陽も浮足立っていて、上級生と思われる人たちが、大人に見えすぎてしまうだけなのかもしれない。
 それとも、たったの一年や二年の中に、自分を大きく変えるきっかけが待っているのだろうか。
 どっちにしても。
 一年、二年なんていう短い間に、劇的に自分が変わってしまうのはこわいと、夕陽は感じてしまうのだ。
 わたしも、変わってしまうのだろうか。変わらないといけないのだろうか。
 変わったわたしの未来は、明るいものになるのだろうか。
そうして夕陽が揺らいでいようとも、周りの人たちは、何事も起こっていないように流れて行く。
 悩みなんて無いのか。悩んでいるひまが無いほどいそがしいのか。
 こんな小さなことで悩んでいる夕陽がおかしいのか。
 迷うこと無く、改札や乗り換えに向かう人々の流れに乗るのがなんとなくイヤで、夕陽は人混みがはけるまで、ちょっとの間、待ってみた。
「お嬢さん、なにかお困りですか?」
 夕陽が振り返ると、そこには男の人がいた。