海鳴りが聞こえる街で

 かたんことんと、電車が揺れる。
 リズミカルな音を鳴らしながら、海沿いに敷かれたレールの上を走っていく。
 夕陽は、じぃーっと、食い入るように参考書に見入っていた。
 入試試験というのは、いままで積み重ねてきた努力が試される場だ。だから受験当日に熱心に勉強したところで、あんまり意味は無いのだろうけれど、参考書を手放すのは怖い。        
 いま、自分はせいいっぱいの努力しているのだと自分にアピールしてみせないと、一発勝負のプレッシャーに押しつぶされてしまいそうになってしまう。
 電車は、のどかな田園地帯を通過して、港湾地区に入った。
 今日の夕陽には、景色を楽しんでいる余裕なんて無かった。
 数時間後に、人生を左右する試験が待ち受けているのに、どんと構えてすごすことなんて、できっこ無い。
 終点が近くなるごとに、電車に乗り込んで来る人が増えて、座席が埋まっていく。
 サラリーマンのおじさんが、強引に体をねじ込んで、夕陽の隣に座った。
「あっ……!」
 肩がぶつかって、参考書を落としてしまった。
 参考書が床に落ちたとき、それなりに大きな音がしたのに、おじさんは腕組みをして目を閉じ、寝たふりを決め込んだ。
(謝るくらい、してよね!)
 カッと血が上ってきて、怒鳴りつけてやりたくなった。
 もめごとに発展したところで、知ったこっちゃ無い。悪いのは、あっちなんだから。
 腰を折って参考書に手を伸ばしながら、おじさんをにらみつけようとしたとき。
 窓から朝陽が伸びてきて、床を照らしているのが目に映った。
 陽だまりが、足元でゆらゆらと動いていた。
―――やめておきなよ。夕陽―――
 母に諭されたような気がして、熱くなっていた頭が冷めた。
 だけど。
(お母さんだって、私のこと言えないくせに)
 勝ち気で熱くなりやすく、正義感が強くて、いけないことはいけないことだと、うやむやにできない母の性格を、夕陽はきっちり受け継いだ。
「落ちましたよ」
 学ランを着た男の子が、参考書を拾ってくれた。
「ありがとうござ……」
「どうしました?」
 手を伸ばしたまま固まった夕陽をのぞき込んでくるその人の顔は、とんでもなく整っていた。
 ひと口に、イケメンと言ってしまえばそれで済むけれど、夕陽の参考書を拾ってくれた彼は、ただのイケメンでは無い。
 さわやかな笑みからは、好感しか感じ取れない。
 参考書を拾って渡してくれたスマートな立ち振る舞いからは、なんの嫌味も下心も感じない。
(漫画とかアニメとかだったら、ここから恋が始まるんだろうな)
 恋なんて、夕陽には縁の無い話だ。だから、彼のことを客観的に観察することができた。
「ありがとうございました」
 夕陽が参考書を受け取ると、彼は、夕陽のななめ向かいの席に座って、参考書を開いていた。
(てことは、あの人も受験生なんだ)
 涼しい顔をして参考書に目を落としている姿は、絵になりすぎていた。それこそ、漫画やアニメの住人みたいで、彼の周りだけ現実離れしている。
 さっきまで、参考書を片手にしていた女の子のグループなどは、勉強そっちのけで、彼を見てささやき合っていた。
 気持ちはわかる。
 彼みたいな容姿の男の子に出会うことなんて、そうそう無いだろうから。
 夕陽だって、今日が受験日じゃ無かったら、彼の顔を目に焼きつけておきたかった。
 でも、今日は本命の高校の受験日だ。
 他のことに気を回している暇は無い。男の人に見とれていて、試験に集中できませんでしたなんて、言い訳にならない。
 今日の受験は、結果がすべて。
 がんばったけれど駄目でしたでは、お話にならないのだ。
「ご乗車、ありがとうございました。次はー、終点―……」
 そのアナウンスを耳にして、夕陽は参考書をカバンにしまった。