海鳴りが聞こえる街で

「これから一年間、よろしくお願いします」
 松元先生が、教壇から教室全体を見回して、あいさつをした。
 まばらに応える生徒たち。
 はっきりと、お願いしますと発声した生徒。
 ……しますー、と小声で応答した生徒。
 すー……、と息を漏らしただけで、いちおうの反応はしましたよ。とアピールする者もいた。
 比率的には、息を漏らしただけの生徒が多かった。
 まだまだ緊張は解けていないし、変に目立ちたくないという心理が働いているのだ。
 教え子たちは、てんでバラバラで、まとまりを欠いていたけれど、先生は、気分を害した様子は無かった。
(今日、集まったばかりの子たちだもの。高い水準でのまとまりを求めるのは無理よね)
 松元先生は、生徒たちの心理をよく理解してくれていた。
「では、出席をとります。名前の読みかたが間違っていたら、遠慮無く指摘してくださいね」
 定番のやつが始まった。
 苗字がア行の生徒から順々に、出席をとりながら名前を確認する。
 現場で確認されやすいのは、麻美(あさみ)さんなのか、麻美(まみ)さんなのか、という、複数の読みかたができる場合。
 夕陽なんかは、夕陽という現象をそのままもじった名前なので、読み間違えられることは無い。 
「伊藤……、ひかり、ひかる、みつる?」
「みつるです」
「ありがとう。伊藤光(いとうみつる)さん」
「はい」
 さっき、夕陽と多香子の喧嘩を仲裁しようとした男の子が、名前の確認をされていた。
(ふーん。伊藤光くんって言うのか)
 夕陽が予想していたように、彼は、ア行の苗字だった。
 それ以上は、特に彼のことは気にならなかった。
 けれど、なんとなくそちらを見ていたら、光と視線が交差した。
(……!?)
 悪いことをしていたわけじゃないのに、罪の意識みたいな、変な感覚が身体に走った。
 決して大きくは無い胸に手を当ててみて、確認する。
 心臓は、いつもどおりに、一定のリズムを刻んでいる。
 脈拍を図るまでもなく、体に異常は無いとわかる。
(いまの、なんだったんだろ?)
 経験したことが無い感情だった。意識の外から急にやって来て、いつの間にかいなくなっていたので、正体をつかむことができなかった。
 本当に、いまのはなんだったのだろう。
 夕陽が視線を泳がせていると、
「今野、夕陽さん」
「はいっ!?」
 さっきのように、注意するような口調で、松元先生が、夕陽の名を呼んできた。
 そして夕陽もさっきのように、大きなリアクションを返してしまった。
「夕陽さんは、良く視線が動くみたいね。私は、授業さえちゃんと受けてくれれば気にしないけれど、厳しい先生は、まっすぐ前を見ていないと、内申点を下げる人もいるから、気をつけてね」
 顔に火が付いたように熱くなった。
 また注意されてしまった。
 それも、子どもを諭すような優しい声色で。
 キツく注意されたほうが、まだ恥ずかしくない。
 先生の優しさが辛かった。
 その後、先生の点呼が終わるまで、夕陽は小さな体を、さらに縮こまらせた。