つがいがなんだってんだ!◇放課後見聞録◇

 *
 
 茜色の陽光が窓から差し込む武道場では、雑巾がけを終えた部員たちが、快活な声を掛け合いながら帰り支度を始めていた。
 
「お疲れー」
「また明日なー。なあ、コンビニ寄ってこうぜ」
 
 賑やかな声が響き渡る中、大きな防具袋を肩に担いだ成瀬涼真は、道場の隅で黙々と自分の竹刀を布で拭き、柄革の緩みを確かめている玲司に声をかけた。
 
「玲司ー、帰ろうぜ! 葵屋のラーメン食いたい」
「涼真。あー……悪い」
 
 玲司は竹刀を収めながら、申し訳なさそうに頭をかいた。
 
「しばらく一緒には帰れないんだ」
「え? なんで?」
「人を待たせてるから」
「はあ?」

 人を待たせている? あの玲司が?
 いや、そりゃ誰だってそんな時はあると思うけど。俺にだってあるんだから。ほら、補習すっぽかして怒りの呼び出し放送入れてきた神谷とか。
 しかしなぜだ、妙に引っかかる。俺の中の野生の勘が、この違和感を見逃すなと叫んでいる。
 ……あ、そうか。言い方だ。
 誰かを待たせてる時、いつもの玲司ならそいつの名前を言うはずなのに、『()()待たせている』なんて濁した言い方したのは珍しい。
 あれか? もしや、あれなのか?
 
「お前、まさか……」
「……?」
「彼女か!? ついに春が来たのか!!?」
「違ぇよ、バカ」
「嘘つけ! 俺を差し置いてついに隠れて彼女作ったのか!? お前そういう浮いた話に全然興味なかったのに!!!」
「だから違うって言ってるだろ」
「じゃあ誰だよ! 一体誰を待たせて——」
「涼真」

 いつものようにからかってやろうと思っていたのに、突然低い声で名前を呼ぶもんだから黙るしかなかった。 
 
「ちょっと、いいか」
「……なんだよ、そんなに真面目な顔して」
 
 念のため言っておくが俺はバカではないので分かる。これは多分、茶化したらダメなやつだ。
 このモードの玲司は大体、本気で悩みを抱えているパターンである。こいつ、普段滅多に他人に悩みを見せないからか、たまに吐き出す時には既にメンタルがやられてるから厄介なのだ。そんな考えすぎる前に、もっと周りを頼れば良いのに。俺みたいに。……いや、俺をモデルにするのは絶対良くないけど。
 最後の部員が「お疲れさまでしたー」と武道場の重い戸を閉め、外へと出ていく。夕焼けの残光だけが床を赤く染める中、残されたのは、自分たちだけ。
 玲司は一度周りを確認した後、道着の右袖を捲り上げ、手首に巻かれたテーピングを外していく。
 
「……これ」
 
 それだけ言いながら見せてきた肌には、くっきりと浮かび上がっている不気味な紅色の紋様。
 
「……え」

 あまりの衝撃に思わず玲司の顔を見るが、真顔のまま無言を貫いている。
 もう一度言うが、俺はバカではない。この目で直接見るのは初めてだけれど、その腕の紋様が何を示しているのか——言葉はなくとも、それだけは理解できた。
 
「これって……そういうこと?」
「そういうことだ」

 やっと絞り出した問いに、玲司は小さく頷いた。
 普通なら、おめでとうと言いたいところである。
 だがしかし、こいつのこの表情を見るに、お世辞にも祝福できるムードではない。なんだ。一体何をそんなに抱えているんだ。
 
「……相手は?」

 玲司は数秒だけ、何かを堪えるように黙ってから、その名前をこぼした。

「…………篠宮」
 
 ——ああ。そうか。そういうことか。
 ここ最近、玲司としのりんの周りに浮かんでいた小さな違和感の数々が、音を立てて一気に繋がっていく。

「そういうことだったのか……!」
「分かっただろ?」
「いやー、今言われるまで、マジで全然気づかなかった。でも、そっか。そうだよな……」

 どうりで、最近妙にしのりんと一緒にいるわけだ。付き合ってる雰囲気はまるでないのに、玲司がやたらとしのりんの様子や居場所を気にしていたのも。玲司が一方的に片想いしているのかと思って面白がって見ていたけど、お前ら番だったのか。そりゃ気にするわな。
 そもそも、しのりんが突然自科霊棟にやってきたのも、美波ちゃんは「しのりんの卒研のため」って言っていたけれど、今思えばそれも先生たちの配慮だったのか。……いや、しのりんは楽しそうに研究してるからそれは本当なのか? わからん。まあ、そんなことはどうでも良いし。
 
「……んで?」
「ん?」
「お前は何をそんな悩んでんだよ」
「……」
「ただ隠し事を見せにきたわけじゃないっしょ」
 
 玲司は痛いところを突かれたのか、少しだけ困ったように笑った。
 
「……好きなんだ。でもこれが、“番紋”のせいで好きなのか。それとも、ただ純粋に篠宮が好きなのか。もう自分でも、何が何だか分かんなくなってきて……情けないけどさ」
 
 玲司によると、番紋が出れば初期霊障とかいう症状が出るらしい。つまり番になった時点で、身体の方は勝手に『番仕様』に変わってしまう、と。だからこいつは、自分の気持ちまでそうなんじゃないかと悩んでいるわけだ。
 ……たとえ番紋のせいで好きになったのだとしても、それの何が問題なのだろう。いつ、何がきっかけで好きになったとか、そんなのどうでも良くね?
 何を悩む必要があるのか、俺には正直理解できない。けれど、ここまでこいつが頭を抱えているということは、きっと俺にはわからない事情があるのだろう。
 
「お前の気持ち、しのりんは知ってんの?」
「いや。言ってない」
「伝える気は?」
 
 玲司は少しだけ考えてから、寂しそうに首を振った。
 
「……今は、絶対に言えない」
「なんで?」
「あいつさ、言ってたんだ。『運命なんかに、自分の人生を決められたくない。番だからって理由で、誰かを好きになることは絶対にない』って」
「え!? あ、そういう……そっか。まあ、しのりんらしいっちゃ、らしいな……難儀だな、お前ら」
「だからさ。『これは番だからじゃない』って、自分ですら自信もないのに、そんな状態であいつに好きだなんて言ったら、苦しめることになるだろ。……それだけは、絶対に嫌なんだ」
 
 なるほど、そう来たか。自分の気持ちより、しのりんが嫌がることをしない方を選んだわけだ。
 いやお前、優しすぎるよ。もう少し自分の欲に忠実に生きても良いと思う。俺みたいに。……って言っても無理だよなあ。良くも悪くも、それこそが玲司なのだから。そしてそんな男だからこそ、俺は信頼しているわけで。
 うーん。今のこいつにかけるべき言葉なんて、俺には思いつかない。けど。
 
「なあ、玲司」
「ん?」
「俺は正直よくわかんねえし、手伝えることなんて多分何もないんだけどさ。……後悔だけは、絶対にするなよ」
 
 その言葉に、玲司は一度大きく目を見開くと、やがて肩の力をふっと抜いて、いつもの彼らしい優しい顔で笑った。
 
「……うん。ありがと」
「ああ、一つだけ言っておくと——」
「ん?」
「お前、自分で思ってる以上に分かりやすくて、全部顔に出るタイプだからな」
「……え、嘘。マジで?」
「マジ! 『こいつ、しのりんのことばっか見てんな』って思ってたよ」
「そんなに出てた!?」
「多分しのりんは気づいてないけどな」
「……そっか。良かった……」
「ま、考えすぎて頭でっかちになんなよ! じゃあなー」

 そろそろしのりんが来てしまうかもしれない。面倒臭いことになる前に、さっさと退散するのが吉だ。適当に話を切り上げ、帰ることにする。
 武道場を出たところで振り返ると、玲司は顔を真っ赤にして、両手で自分の頬を押さえ、ずるずると蹲っていた。うはは。やっぱあいつ、面白れぇ。

「さぁてと。腹減ったなぁー。肉まん買ってかーえろ」