つがいがなんだってんだ!◇放課後見聞録◇

 *
 
「青葉ー。さっき掲示板に貼り出しがあったんだけどさ……今年も“アレ”、行く?」
「! 行く、行きたい!! あ、待って。——東雲!」

 昼休み。玲司が自分の席で午後の授業の準備をしていると、先ほどまで(たちばな)と話をしていた篠宮が、珍しく目をキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべて声をかけてきた。
 
「篠宮? どした?」
「ねえ、今週の水曜のお昼って、なんか用事あったりする?」
「特にないけど、なんで?」
「じゃあ、東雲も行こうよ! ちょっとここから離れた場所だから、一緒に行かないと途中で私、体調崩しちゃうかもしれないし」
「え、何に……?」
「式神ふれあい体験会!」
「! ああ。あれか」

 式神ふれあい体験会——それは年に一度、三日間限定で開催される、式神調伏霊術棟(しきがみちょうぶくれいじゅつとう)主催の大人気イベントだ。小型の式神たちと触れ合う機会を設けることで、生徒たちに式神をより身近に感じてもらおうという趣旨の催しらしい。高一の時に友人たちに連れられて一度だけ行ったことはあるが、それ以降は特に行く機会もなく、現在に至る。まさか高三になって再び、しかも篠宮に誘われるとは思わず、玲司は目を瞬かせた。

「篠宮、式神好きなんだ?」
「好き! かわいいから!」
「そっか。じゃあ、楽しみだな」

 普段の冷静な印象を吹き飛ばすようなその無邪気な笑顔に、玲司は思わず口元に笑みが溢れた。
 あげぴよのボールペンを愛用していることからなんとなく予想はついていたけれど、研究や学問以外で、こうして自分の純粋な『好き』を笑顔で語ってくれたのは初めてかもしれない。
 その姿は、かつて遠くから眺めていた頃よりもずっと愛らしくて、とくりと胸が高鳴った。
 ……まあ、その『好き』の対象は、自分ではなく式神なのだけれど。
 当の本人はそんな玲司の心中など知る由もなく、なおも「うさぎ型の式神がね!」と楽しそうに熱弁を振るっている。
 だが——その隣では、橘が玲司とはまったく別の理由で、引きつった苦笑いを浮かべていた。
 この時の玲司は、まだ知らない。
 篠宮が毎年、目を輝かせて会場へ向かい——毎年、しょんぼりと帰ってきていたことを。

 ***

 水曜日の昼休み。ぽかぽかと陽の当たる体育館横の芝生エリアには、簡易的な霊力結界が張られ、その中で様々な式神たちが思い思いに毛づくろいをしたり、ゴロゴロと転がったりして遊んでいた。
 ふわふわの毛並みの白狐、優雅に歩く黒猫、掌サイズの小さな狼、大きな瞳の梟、耳の長いうさぎ、果ては空中にプカプカ浮かぶ指先サイズの小さな龍まで。
 学院で正規に契約されている、人に慣れ親しんだ式神たちだ。周りを取り囲む生徒たちは、歓声を上げながら撫でたり、写真を撮ったり、抱っこしたりと、思い思いに癒やしの時間を満喫している。
 
「かわいい〜! 写真撮ろ!」
「見て見て、この子、手差し出したら顎乗せてきたんだけど!」
 
 そんな平和で幸福感に満ちた空間の真ん中で——。
 
「……えっと……橘」
「なに?」
「篠宮のあれ……大丈夫……?」
「あー……はは、いつものことだよ。去年も一昨年も、まったく同じ光景だったもん」
「そう……なんだ……」
 
 そこには、あらゆる式神から全力で逃げられ続け、ぽつんと芝生の上に一人佇みながら、なおも諦めきれずに次のターゲットを探す篠宮の姿があった。
 
「あっ、白狐(びゃっこ)だ! こっちおいで〜」
 
 一匹の白狐が篠宮の前を通りかかると、篠宮はすかさず目を輝かせて声を掛けた。だが白狐は篠宮の方へ一度振り返り、顔を見た瞬間——慌てたように背を向け、スタスタと走り去ってしまった。
 
「……あ。黒猫……!」
 
 しょんぼりとした顔で篠宮が踵を返した先には、日陰で丸くなっていた黒猫がいた。
 
「にゃあ」
「! 大丈夫、大丈夫だよ〜、怖くないからね〜」
 
 怪訝な表情で鳴いた黒猫に、篠宮は膝をつき、そろりそろりと慎重に手を伸ばした。だが、篠宮が一歩近づくたびに、黒猫は毛を逆立てながら一定の距離を保つようにじりじりと後ずさっていく。

「にゃっ……!!」
「あ、待って!」

 篠宮は夢中になって後を追い始めた。しかし黒猫は、式神棟の担当教員である藤田の脇を勢いよく駆け抜けると、そのまま姿を消してしまった。残された篠宮は、藤田から「お前は本当に相変わらずだな」と呆れられている。
 真剣に追いかければ追いかけるほど、周囲の式神たちも何を察知したのか蜘蛛の子を散らすようにサッと距離を取ってしまう。結局、篠宮は一度も式神に触れることができないまま、昼休みの終わりだけが刻一刻と迫っていた。
 
(なんだろう……何がダメなんだろう……)
 
 一体、何がそんなに式神たちを怯えさせてしまうのだろうか。普段篠宮と話している限りでは、別に式神に嫌われそうな言動もしていないように思う。むしろ、「可愛いから好きだ」とキラキラした目で話してくれた先日のことを思うと、式神たちに好かれてもおかしくない人間ではないのだろうか。しかし、あれほど仲良くなりたそうに手を伸ばしているのに、そのたびに式神たちは離れていく。その光景が、少しだけ不憫に思えた。それでもなお、諦めることなく式神たちへと向かっていく篠宮の背中が、どこか寂しげで切なかった。
 そんな玲司の心中を察してか、隣で白狐を膝の上に乗せて遊んでいた橘が、困ったような笑みを浮かべて口を開いた。
 
「うーん……青葉はさ。式神を愛でたい気持ちは本物なんだけど、『今すぐお前の術式構造を解剖して解き明かしてやる!』みたいなギラついた目して迫っちゃうんだよね。圧がすごいっていうか、ハンターの目っていうか……」
「あー……なるほど……そういうことか……」
「本人も、分かってはいると思うんだけどね……結局、一昨年も去年も三日間通ったけど、ダメでさ。だから今年はもう行かないって言うかなって、少し思ってたの」
「めげなかったんだ」
「あはは……多分、式神と仲良くなりたい気持ちは変わってないんだろうね。なんとかしてあげたいとは思うんだけど……青葉は多分、自分でどうにかしたいだろうから、私にできるのは見守ることぐらいかなって」
 
 玲司は深く納得した。確かにあの眼差しは、研究対象を前にした篠宮そのものだ。人には真っ直ぐな探究心にしか見えなくても、動物や式神からすれば、本能的な危険信号なのかもしれない。
 ……と、その時。
 
「わ、すごい……! 東雲くんは、式神に好かれやすいんだね」
「え、そうか?」
 
 気づけば、玲司の足元には小さな狼がすり寄り、肩には梟が止まり、膝の上には小さな龍がトカゲのようにちょこんと乗っかっていた。玲司が纏う穏やかで潤沢な霊気が、式神たちにとって居心地が良いらしい。
 
「……私の方が、毎年通ってるのに……」
 
 ハッと気づけば、篠宮が数歩離れた場所から、玲司の肩や膝に群がるモフモフたちを、じとーっと羨望と怨念の混ざった瞳で見つめていた。
 
「あ……えっと、篠宮……」
 
 玲司はタジタジになりながら、自分の膝の上で気持ちよさそうに丸くなっている子狼を、そっと両手で包み込むように持ち上げた。
 
「……触る?」
「! いいの!?」
 
 篠宮の顔がぱあっと一瞬で明るくなり、まるで花が咲いたような笑顔になる。
 
「うわーかわいい! ほら、おいで〜」
 
 篠宮が両手を広げ、子狼へ向けて一歩踏み出した、その瞬間——。
 
『ビクッ……!!』
 
 篠宮の瞳から放たれた圧を至近距離で感知した子狼は、恐怖のあまりパニックを起こし、玲司の手を蹴って弾丸のような勢いで逃走していった。さらに周囲にいた梟も龍も、一斉に羽ばたいて散開していく。
 
「あっ」
「……篠宮……」
 
 広げた両手の中に残されたのは、虚しく通り抜ける生温かい風だけだった。
 ぽつんと残された篠宮と、気まずそうに手を差し出したまま固まる玲司。
 体育館横の芝生に、橘のため息だけが静かに転がっていた。