終電までの契約花嫁――好きになった妻は指名手配犯でした

第4話 反乱者の切符

 車庫の空気が、油と鉄の匂いごと凍りついた。

 祐記は刀の柄に手を置いたまま、兄を見据えていた。十年前、父の書斎で図面に顔を寄せていた皓規。二年前、鉄道院爆破未遂犯として号外に載った皓規。今、終電の車庫に立つ男は、そのどちらにも似ていて、どちらより疲れていた。

「その切符は無効だ」

「知っている。だが、宵環線は願いを運ぶ鉄道だろう。願いくらいは乗せてくれ」

「爆薬を積んだ者の願いまで、運ぶつもりはない」

 祐記の声が低くなる。英宣は扉の閂へ手を伸ばし、野々華は道具箱を抱え直した。

 皓規は外套の内側から、油紙に包んだ薄い帳面を出した。

「俺は爆破していない。鉄道院の縁灯横流し記録を持ち出した。爆破未遂は、黒田が作った筋書きだ。反乱者を悪にし、非常統治を通すためのな」

「兄上の言葉だけで信じろと?」

「信じるな。照合しろ」

 その言葉に、野々華は一歩前へ出た。

「拝見します」

「野々華」

「契約第九項で集めた証言と、映里花が隠した帳簿があります。照らす価値はあります」

 皓規が帳面を差し出す。野々華は紙質を撫で、端の乾き具合を見た。鉄道院で使う薄藍の公用紙。日付は十年前から最近まで飛び飛びにあり、印章番号の並びは、帯芯に隠されていた写しと同じ癖を持っていた。

「ここ。縁灯回収量が二重に計上されています。紙鳶駅の番号と一致します」

 祐記の眉がわずかに動いた。

「偽造の可能性は」

「あります。けれど、別の場所から出た紙に同じ番号の乱れがあるなら、少なくとも同じ帳簿から写された可能性が高いです」

 皓規は、野々華を初めて正面から見た。

「織部の娘か。君の母も、そうやって数字と亀裂を並べていた」

 野々華の指が、帳面の端で止まった。

「母を、知っているのですか」

「十年前、中央結界の異常を鉄道院へ報告した人だ。願いが必要以上に吸い上げられ、外周へ亀裂が広がると記録していた。報告の三日後、整備済みのはずの列車で事故が起きた」

 車庫の灯が揺れた。野々華は息を吸い損ねる。母の死は、不運な事故だと聞かされてきた。誰も、報告書の話などしてくれなかった。

「母の死を、暁鐘団の旗に使わないでください」

 震えた声だったが、言葉ははっきりしていた。

 皓規は目を伏せた。

「すまない。だが、鉄道を止めなければ支配は終わらない」

「止めれば、夜間病院へ薬が届かない。食料も、避難する人も、帰れない子どもも足止めされる」

 祐記が返す。兄弟の間には、同じ痛みから伸びたはずの線路が、別々の闇へ向かっているように見えた。

 第十一夜、薄明駅へ向かう最終列車は、いつもより静かだった。

 皓規は保守通路へ身を隠し、祐記と野々華は表向き、夫婦公務を続けた。薄明駅は染物屋の多い町で、朝と夜の境だけ空が白く見える。結節印は駅時計の裏にあり、歯車の間へ煤がこびりついていた。

「時を止めるような亀裂です」

 野々華は髪をまとめ、時計台の狭い足場へ上がる。祐記が灯を持ち、英宣が下で見張った。

 漆糸が亀裂へ入った瞬間、ホーム側で軍靴の音がした。

「鉄道院監察部だ。臨時検査を行う」

 黒い外套の監察官が三人、駅員を押しのけて入ってきた。祐記は足場から降り、表情を整える。

「検査なら運行終了後に願います。修復を中断すれば、薄明駅の結界が落ちます」

「指名手配犯との接触情報がある。道具箱を改める」

 監察官の一人が、野々華の道具箱へ手を伸ばした。その袖口から、小さな紙包みが滑るように出る。祐記はその動きを見逃さなかった。

 次の瞬間、彼は監察官の手首を押さえていた。

「今、何を入れようとした」

「無礼な。久世家も堕ちたものだな」

 紙包みが床へ落ち、硝子の小瓶が割れた。焦げた薬品の匂いが広がる。英宣が駅員たちを下がらせ、野々華はとっさに濡れ布をかぶせた。

「爆薬の下拵えに使う油です。私の漆ではありません」

 野々華の声に、駅長が息を呑む。監察官は舌打ちし、証拠を踏み潰そうとしたが、英宣が足元へ信号灯を転がして邪魔をした。

 混乱の隙に、監察官たちは撤退した。去り際、一人が祐記へ囁いた。

「次は守れない。花嫁を降ろすなら今だ」

 薄明駅の修復は、終電三分前に終わった。時計の針が動き出し、町の白い灯が一つずつ戻る。

 帰りの車内で、祐記は固く握った手を膝に置いていた。

「調査を中止する。君を危険に晒しすぎた」

「危険を理由に知る権利を奪えば、鉄道院と同じです」

「だが、君が傷つけば」

「怖いです」

 野々華は窓の外を見たまま言った。硝子に映る自分の顔は青ざめていたが、目だけは逸らさなかった。

「母のことも、仕掛けられた薬品も、怖いです。でも、聞いてくれる人が隣にいるなら、怖くても考えられます」

 祐記は、抱きしめたい衝動を飲み込んだ。契約書は膝の上にない。それでも、彼女の自由を奪う言葉は使えない。

「隣にはいる」

 野々華は小さく頷いた。

 その夜明け前、黒田惟正の名で号外が出た。

 見出しは、翌夜に暁鐘団が中央駅を爆破するというものだった。印刷所は家宅捜索を受け、映里花が借りていた小部屋から、野々華の道具箱と同じ型の箱が押収された。中には、薄明駅で見た小瓶と同じものが入っていたという。

 さらに、車庫で皓規と接触する野々華の写真まで添えられていた。

 祐記が号外を握り潰す前に、久世家の門が叩かれた。

「織部野々華へ、逮捕状が出ています」
【終】