わたしたちは星の歌を紡ぐ

「おつかれさまです」
 綾子がボイストレーニングを終えて事務所に戻って来ると、更衣室で、メイク担当の女性と、スタイリストが待ちうけていた。
「これ、今日の衣装ね」
「……」
「お気に召さなかったら、遠慮無く言って。あたしから智子さんに意見するし」
「とてもかわいいです。ありがとうございます」
 スタイリストさんに、笑んでみせた。
 こうして、笑みを作るのが得意になってしまった。
 代償として、自然に笑う機会が激減した。
(智子さん、なにかと言ったらピンクを着せたがるのよね)
 白とピンクのボーダーのセーター、ブラウンのキュロットスカート、大きなリボンのついたベレー帽。
 まぁまぁまぁ、かわいい。かわいいのは、間違いない。
 でも。
(最近、見てる人のことばっかり意識しすぎじゃないかしら)
 とも思う。
 アイドルの例えとしては不適切かもしれないけど、まえは、撮影衣装に着替えるとき、スポーツ選手がユニフォームに着替えて試合に臨むときみたいな、よしいくぞ、という高揚感を感じることができたのに……。
「では、メイクさせていただきますね」
「おねがいします」
 鏡のまえに座って、お化粧をメイクさんにゆだねる。
 プロのスタイリストさんにメイクさん。
 以前は、衣装を決めるにも化粧をするにも、一人で悪戦苦闘していた。
 それをプロに任せたり、相談できるようになったのは、ありがたいことだった。
 反面、あのころの苦心は、もう味わうことができないというさみしさもある。
「おつかれさまですー。あっ、AYAさん!」
「わぁっ。メイク中だ」
「私も早く、プロにメイクしてもらいたーい」
 後輩のタレントたちが入って来ると、一気ににぎやかになった。
 まだ新米の彼女たちは、自分でメイクをして、自分で衣装を選ぶことになっていた。最初のうちは苦労をしたほうがいい、というのが事務所の方針だからだ。
 綾子が所属している事務所は、初め、タレントが綾子一人の状態でやりくりしていたが、いまは、複数のタレントを抱えることができるようになった。
 たった一つの部屋の中で、着替えも、メイクも、打ち合わせも動画撮影も生配信も行って、近所のスパで体を洗い、事務所のソファーで寝袋にくるまって睡眠をとっていた。
 たのしかった。
「またかわいい系の衣装ですか? もっと冒険してもいいと思いますけど。AYAさんだったら、なんでも着こなせるはずですし」
 後輩の一人が、綾子の衣装を見て言った。
「智子さんが決めたことだからね。悲しいかな、あたしゃ雇われの身、権限の中で最良の仕事をするしか無いのよ」
「えー!? ヒロエさん、プロのスタイリストなのに智子さんの言いなりなのー? ひどくなーい?」
「待て待て。勘違いするな。貴女たちの活動の全責任は、智子さんが背負ってるのよ。あたしだって意見はするけれど、最終決定権は、智子さんが持つべきよ。じゃないと、事務所が回らなくなる」
「ふーん。大人って、よくわかんないね。AYAさん」
「そのうちに、わかるようになるわよ」
 綾子並みに童顔で、背の小さい妹みたいな後輩に、先輩ぶってみた綾子だけど、綾子が一番、わかっていないのかもしれない。
 事務所が決めたスケジュールを、綾子がAYAとして消化するだけ。そこに、深い味わいは無い。
 それでも、仕事はしっかりこなしている。手を抜いたことは一度だって無い。
 だけど、しっかり仕事をこなそうという意識に、気持ちがついてきてくれない。
 感性がうっすらと眠っていて、充足感や満足感を得ることができていない。
 原因は、わかっている。
 AYAという仮面を着けることに、慣れてしまったからだ。
(もう、辞めちゃってもいいんじゃない?)
 という誰かからの伝言を、綾子に伝えるために、風が吹く。
 綾子は、じゅうぶんにシンデレラ気分を味わった。
 これ以上の満足は、もう、この世界には存在しないかもしれないのだ。
 お城の中で、平凡な日々を送るだけならば、姫の座なんか捨てて、庶民に戻りたい。
 しかし実情は、綾子のわがままを許してはくれない。
 事務所の看板タレントである綾子がいなくなったら、すべての歯車が回らなくなる。
 後輩たちにも、事務所のスタッフさんたちにも、大きな負担をかけてしまうことになる。
 現実という鉄格子が、綾子の意志を閉じ込める。牢獄に封印してしまう。
「それじゃ、AYAさん、これを」
 メイクの仕上げは、ウィッグをかぶることだった。
 毛先にウェーブがかかった、黒髪ロングのウィッグで、天然の、薄い亜麻色の髪を隠す。これで、綾子は綾子でなくなる。
「ありがとうございました」
 スタイリストさんとメイクさんにお礼を言って、撮影用のスタジオに向かう。
 最初は、一部屋だけだったこの事務所も、ずいぶん広くなった。
 そのぶん、人と人との距離が遠くなってしまったように感じてしまうのは、綾子の気にしすぎなんだろうか。
 スタジオには、カメラマンと智子がいた。
 ブランドもののパンツスーツをきちっと着こなしている智子は、いかにも敏腕プロデューサーという雰囲気を振りまいて、周囲に緊張感を与える。
(まえは、こんなに近寄りにくい人じゃなかったのに)
 智子に、もっとも距離を感じているのは綾子だった。
 それは、事務所のスタッフも増えたし、後輩のタレントも入ってきたし、綾子とべったりというわけにはいかないのはわかる。ひいきしているみたいになるし。
 だけど、ゼロから二人三脚でやって来た仲、という過去は、もっと尊重されてもいいはずだ。仕事上のパートナーというだけでは無くて、綾子と智子は同志だった。
 それが、急に態度を変えられても、困惑してしまう。
「それじゃ、AYAさん。撮影の準備ができましたので、お願いします」
 カメラのまえに立つ。
 撮影が始まるまえの緊張感と高揚感が、綾子に、わずかばかりの満足感をもたらす。 
 わずかばかりの満足感を、大事に味わう。
 小さくなってきた飴玉が、無くなってしまわないように。
「では、いきます。3、2、1……」
「みなさん。いつも、私の動画を視にきてくれてありがとう」
 動画の撮影が始まった。
 今日は、告知をするだけだったけれど、手は抜かない。
「次にリリースする曲は、私が作詞を担当するの」
 たった数分の動画だけど、綾子が動画を投稿するだけで、十万回以上も再生される。
 再生してくれた人たちが、直接、綾子の目に触れることは無いけれど、それだけ多く人が時間を割いて視聴しに来てくれているということを、忘れてはいけない。
 これは、活動を始めたころから守り続けている、綾子の信念のひとつであった。
「はいOKでーす。動画チェックしますので、少しお待ちくださーい」
 綾子がパイプ椅子に腰かけると、
「AYA。このくらいの仕事だったら、あんまり力まなくてもいいわよ」
 智子が、注意してきた。
「はぁ」
 はい、とも、いいえとも答えない。
 智子は恩人だから反発はしたくない。でも、言いなりになるのもイヤ。
 相反する気持ちがぶつかった結果が、このあいまいな反応として表に現れる。
「AYAの信念は、わかっているわ。でも、後々のことを考えて、力を溜めておくというのも、大事なことでしょう?」
 智子の言っていることは、すごくまともだ。
 でも、まともほど、つまらなくて、ときめきからほど遠いものは無い。
 後のことなんてどうでも良くて、いまを輝きたい。
 一瞬でいいからドキドキしたい。
 花火みたいな、ひとときの満足を欲してやまない。
 それが、綾子の性分なのだ。
 そんな綾子は、ずっと事務所に貢献してきたのだから、たまには、綾子の欲求を満たす仕事をくれたっていいじゃないか。
「はぁ。そのとおりですね」
 他人事みたいに応えた。
 とりあえず、智子が言っていることは正論だったので、そこは否定しなかったけれど、仕事の中身や、綾子の信念まで侵されるのは、気分の良いものでは無かった。
(あんまり、気にすることじゃないけれどね)
 どうせ、カメラが回ってしまえば、あとは綾子の独壇場で、智子は口出しすることができないのだから。
「手を抜けというわけでは無いのよ。力を入れる優先順位を意識したらどうかしら、と提案しているの。作詞だって、とどこおっているのでしょう?」
「それは、なんとかします」
「その、なんとかしますが怖いのよ。貴女は、なんとかするために、平気で無理をするから」
「だって、そうしないと、お仕事のクオリティが……」
「なーんか地味ですねー。もっとおもしろい動画にしましょうよ」
 撮影スタッフと一緒になって、動画をチェックしていた後輩が言う。それで、綾子と智子の会話が途切れた。
 会話がヒートアップしそうだったから、助かったかもしれないけれど、本心を智子にぶつけるチャンスが失われて、不完全燃焼だった。
「告知動画で奇をてらってどうするのよ。それにAYAは、こういうスタイルで成功してきたのだから、これでいいのよ」
 現在のネット界隈は、他人と違う、が大きなアドバンテージとなる。
 みんな、他人と違う自分を見せようとして、自分だけが持っている武器を探して磨いている。
 そんな中で、綾子はとりわけ、派手な活動はしていない。
 飾らず、純朴に自分を発信する。それが、若年層を中心に支持を得た。
「でも私、あの企画好きでしたよ。あのー、小豆皿移し耐久配信。もうやらないんですか?」
 後輩が言っているのは、皿に盛られた小豆を、箸で別の皿に移すまで終われないという配信だった。
 綾子の活動を初期のころから追いかけている人しか知らない、マニアックな内容の配信である。
 当時は、やってみてから反省すればいい、が合言葉だったので、思いついたことはなんでもやってみたが、あの企画は迷走していた。
(なつかしいわね)
 でも、そんな迷走ぶりも含めて楽しかった。
 あとでアーカイブを見返して赤面したことも、良い思い出。
 その思い出の中には、ちゃんと「綾子」がいる。
「もう、ああいう企画はAYAには無理よ」
「そうよ。あの企画のせいで、私、箸使いが上手くなってしまったもの。だから無理よ」
 智子の言っている無理とは、違う意味の無理を綾子は口にした。
 ささやかな反抗。
 智子が、綾子の気持ちを汲んでくれたらという、かすかな希望。
「打ち合わせの時間ね」
 しかし智子は、綾子の気持ちに気づいたのか気づかなかったのか、腕時計に目を移した。