「行ってきます」
「ええ。リハーサルどおりにお願いね」
智子に見送られて、綾子はステージに登場した。
観客たちのざわめきが、一瞬にして熱狂に変わる。
今日のために卸した、お姫様のドレスのような衣装。
サプライズとして用意している新曲。
初めて肌で感じるファンの声援。
それらが絡み合って、綾子に高揚感をもたらす。
(でも……)
ファンたちに手を振りながら、客席の、一人一人を見渡していく。
最高の瞬間に至るための、最後の一つが欠けている。
その、欠けている一つを埋めるため、綾子は、今日から新しい一歩を踏み出すのだ。
マイクを握りしめる。
観客たちが、思い思いに、ペンライトやサイリウムを振る。
(星空みたい)
ペンライトとサイリウムが、星のようにまたたいている。
数えきれないほどの星が、そこにあるのに。
たった一つ。
星座を描くための星が一つ、欠けている。
それが欠けているだけで、最高の瞬間に至ることができないなんて……。
それは、綾子を失望させるものでは無かった。
澪が、この場にいないこと。
そのことによって生じた空白が、いかに大きいかということを、再認識することができた。
(澪ちゃん、どこかで見ていてくださいね)
始めよう。
この空白を埋めてくれる大事な人と、もう一度めぐり合うための旅を。
※
「うぃ~。バイト終わりの疲れた体に、AYAたその声が効くわ~」
倉持さんは、澪のベッドの上で、何度も寝返りを打っている。いや、あれは寝返りじゃなくて悶絶だ。
澪のノートパソコンには、AYAが歌っている姿が映っている。
今日のために、倉持さんとバイト代を出し合って、ネットチケットを購入した。
パソコンの画面越しにでも、会場が盛り上がっていることは、よくわかった。
(でも、あそこにいたら、違うものを感じ取ることができるのかな)
あそこ、というのは、観客席では無い。
ステージ上のことだ。
澪には、そこでなにが起きているのか、どんな世界が広がっているかを知るチャンスがあった。
だけど、その権利を放棄した。
澪と、綾子の意志で。
「みなさん。まえに、動画で私が告知したこと、覚えてますかー?」
綾子が……、いや、AYAが客席に向けてたずねると、観客席がざわめいた。
知人友人と一緒に現地を訪れている人は、なんかあったっけと、顔を見合わせている。
「告知動画? なんだっけ?」
倉持さんも、ベッドの上で首をかしげている。
すっかり自分の家気分だ。
澪は、倉持さんと一緒に、バイトを始めた。
澪から提案したことだった。
それは、ちょっとだけ勇気をふり絞って踏み出した、小さな一歩だった。
いまのままでは、澪は未熟すぎる。
それは、綾子もだ。
お互いに、お互いの隣にいて、お互いを支え合うには、わたしたちは、未熟だったのだ。
だから、わたしたちは話し合って、いったん距離を置くことにした。
それは、ネガティブな理由では無くて、前向きな理由で、そう決めた。
そしていつか、本当の友人として、ふさわしい人間になったときに、また会おうと誓った。
「覚えてる人、いないみたいですね」
綾子は、ちょっぴり怒ったような顔を、客席に向けた。
「動画でお約束したとおり、私が作詞をした歌を、今日、この場で披露します!」
「し、新曲!? それも、AYAたそが作詞した曲!?」
「ちょっと、倉持さん。あんまり騒がないでよ。私のベッド、壊れちゃうでしょ」
倉持さんは、ベッドの上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
その倉持さんの興奮が、画面の向こう側の観客に伝染したみたいに、ライブ会場は狂喜乱舞。
倉持さんたち、ファンの興奮から、澪は、独りだけとり残されたみたいに、冷静だった。
あらかじめ綾子から、そのことを聞いていたこともあるけれど、澪は、AYAの一挙手一投足に、反応をするべき人間では無いのだ。
綾子と同じ立場で、隣で、一緒に歩く。
平坦で無くても、険しくても、ときに、道が無くても、ずっと、ずっと一緒に歩いて行く。
それはもはや、澪の宿命だ。
夜空で、一人、またたく星。
静かに、わたしを照らしてくれる。
「うっわ! よりによって、一番にするなんて。綾子ぉ……」
澪は両手で顔をおおった。
顔から噴き出た火が、両手から漏れてしまいそうなほど恥ずかしい。
「綾子って、澪っちの友達の?」
「あ、やば……。じゃなくて、うん、そう」
「そっか、AYAたそと同じ名前だ。澪っちは、あやって名前に縁があるんだねぇ」
「うん。そうだね」
いまは、多くを語らない。
いつか倉持さんにも、説明する日が来るだろう。そしてそれを知ったとき、倉持さんは、どんな顔をするだろうか。
その未来を想像すると、気持ちが、より明るくなる。
「でも、せっかくこうやって、澪っちの家に出入りできるようになったのに、友達がいないの、さみしいなぁ」
「そうだね」
ゆったりとしたメロディが流れ始めると、綾子はマイクを口に寄せる。
誰よりも早く光を届けてくれるのは。
あなたの優しさの証。
ひっそり星空に溶け込んでいくのは。
あなたの慎ましさの証。
一番の歌詞は、綾子から見た澪の印象。
綾子が澪に向けて語ってくれる言葉だった。
それを綾子は、一番の歌詞にしてしまった。
公私混同もいいところだけれど、きっと、どこかで澪や綾子と似た孤独を抱えている人がいる。
孤独を抱え、同じ悩みと不安を抱えている人が。
この歌が、澪みたいに、自分には才能が無いって自信が持てない人の支えになればいい。
そうしたら、こんな恥ずかしい思いをしたことも報われる。
「しっとりバラードも、ちゃんと歌いこなせてるよー。AYAたそ、また綺麗になったなぁ」
「うん。大人っぽくなった」
初めて、観客の目のまえで歌っているのに、ステージ上で、堂々と新曲を披露している綾子の面影は、少しだけ大人びていた。
空は移ろい、星はめぐる。
わたしたちの意志なんて、おかまいなしで。
なにか一つのきっかけで、人と人が出会ったり、離れ離れになったりする。
ときには、神様がいたずらしたような、信じられないめぐり合わせが起きたりする。
良いことも、悪いことも、そのすべてに、人間の努力がかかわれるとは、限らない。
「澪っち、さっきの、ごめん」
「なにかあった?」
「友達がいなくてさみしいって。友達が遠くに引っ越して、澪っちのほうが、さみしいに決まってるのに」
「ううん。大丈夫」
そうだ。大丈夫、なんだ。
ひとりで夜空を照らす星。
みんなに希望を届けてくれる。
「わたしたちは、お互いに、また会いたいって思ってるから、大丈夫なんだよ」
そしてそのときにまた、わたしたちは、わたしたちの唄を紡ぐのだ。
「それならいいんだけど。ウチ、自己中だからさ、自分のことを優先しちゃうんだよね。バイトでがんばって働いてれば、この癖、治るかなぁ?」
「バイトもいいけど、勉強もしないとでしょ。成績悪いと、バイト禁止にされちゃうよ」
「澪っち! いつからそんないじわる言うようになったの!? AYAたそのライブ見てるときに、イヤなこと言わないで!」
倉持さんは、ふてくされて布団をかぶってしまった。
パソコンの中では、綾子が、大きな拍手を浴びていた。綾子の額の汗が、星みたいにきらめいている。
一人きりで輝き続けられるのは。
あなたの強さの証明。
星の海に飲まれても。
その輝きは、褪せないから。
いつかわたしも、綾子と同じ気分を味わいに行く。
そのために、一歩ずつ前に進んでいくのだ。
後悔はしていない。
だってこの道の先には、綾子が待っていてくれるのだから。
だけど……。
と、ふとしたときに、考えてしまうこともある。
もしも、どこかで違う選択をしていたら、違った今も、あったのかもしれない。なんて。
今とは違った形の、今。
それと見比べて、わたしの選択が正解だったと知ることができたら、こんなに楽なことは無いのに。
(そうじゃない、か)
なにが正解かを決めるのは、澪自身なんだ。
選んだ道の先にあったものが、いまの澪が望んでいるもので無かったとしても。
それで、不正解だったとは限らない。
選んだ道に、後悔をしないように。
選んだ道が、正解だったと胸を張って言えるように。
わたしは、わたしとして生きていく。
「ええ。リハーサルどおりにお願いね」
智子に見送られて、綾子はステージに登場した。
観客たちのざわめきが、一瞬にして熱狂に変わる。
今日のために卸した、お姫様のドレスのような衣装。
サプライズとして用意している新曲。
初めて肌で感じるファンの声援。
それらが絡み合って、綾子に高揚感をもたらす。
(でも……)
ファンたちに手を振りながら、客席の、一人一人を見渡していく。
最高の瞬間に至るための、最後の一つが欠けている。
その、欠けている一つを埋めるため、綾子は、今日から新しい一歩を踏み出すのだ。
マイクを握りしめる。
観客たちが、思い思いに、ペンライトやサイリウムを振る。
(星空みたい)
ペンライトとサイリウムが、星のようにまたたいている。
数えきれないほどの星が、そこにあるのに。
たった一つ。
星座を描くための星が一つ、欠けている。
それが欠けているだけで、最高の瞬間に至ることができないなんて……。
それは、綾子を失望させるものでは無かった。
澪が、この場にいないこと。
そのことによって生じた空白が、いかに大きいかということを、再認識することができた。
(澪ちゃん、どこかで見ていてくださいね)
始めよう。
この空白を埋めてくれる大事な人と、もう一度めぐり合うための旅を。
※
「うぃ~。バイト終わりの疲れた体に、AYAたその声が効くわ~」
倉持さんは、澪のベッドの上で、何度も寝返りを打っている。いや、あれは寝返りじゃなくて悶絶だ。
澪のノートパソコンには、AYAが歌っている姿が映っている。
今日のために、倉持さんとバイト代を出し合って、ネットチケットを購入した。
パソコンの画面越しにでも、会場が盛り上がっていることは、よくわかった。
(でも、あそこにいたら、違うものを感じ取ることができるのかな)
あそこ、というのは、観客席では無い。
ステージ上のことだ。
澪には、そこでなにが起きているのか、どんな世界が広がっているかを知るチャンスがあった。
だけど、その権利を放棄した。
澪と、綾子の意志で。
「みなさん。まえに、動画で私が告知したこと、覚えてますかー?」
綾子が……、いや、AYAが客席に向けてたずねると、観客席がざわめいた。
知人友人と一緒に現地を訪れている人は、なんかあったっけと、顔を見合わせている。
「告知動画? なんだっけ?」
倉持さんも、ベッドの上で首をかしげている。
すっかり自分の家気分だ。
澪は、倉持さんと一緒に、バイトを始めた。
澪から提案したことだった。
それは、ちょっとだけ勇気をふり絞って踏み出した、小さな一歩だった。
いまのままでは、澪は未熟すぎる。
それは、綾子もだ。
お互いに、お互いの隣にいて、お互いを支え合うには、わたしたちは、未熟だったのだ。
だから、わたしたちは話し合って、いったん距離を置くことにした。
それは、ネガティブな理由では無くて、前向きな理由で、そう決めた。
そしていつか、本当の友人として、ふさわしい人間になったときに、また会おうと誓った。
「覚えてる人、いないみたいですね」
綾子は、ちょっぴり怒ったような顔を、客席に向けた。
「動画でお約束したとおり、私が作詞をした歌を、今日、この場で披露します!」
「し、新曲!? それも、AYAたそが作詞した曲!?」
「ちょっと、倉持さん。あんまり騒がないでよ。私のベッド、壊れちゃうでしょ」
倉持さんは、ベッドの上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
その倉持さんの興奮が、画面の向こう側の観客に伝染したみたいに、ライブ会場は狂喜乱舞。
倉持さんたち、ファンの興奮から、澪は、独りだけとり残されたみたいに、冷静だった。
あらかじめ綾子から、そのことを聞いていたこともあるけれど、澪は、AYAの一挙手一投足に、反応をするべき人間では無いのだ。
綾子と同じ立場で、隣で、一緒に歩く。
平坦で無くても、険しくても、ときに、道が無くても、ずっと、ずっと一緒に歩いて行く。
それはもはや、澪の宿命だ。
夜空で、一人、またたく星。
静かに、わたしを照らしてくれる。
「うっわ! よりによって、一番にするなんて。綾子ぉ……」
澪は両手で顔をおおった。
顔から噴き出た火が、両手から漏れてしまいそうなほど恥ずかしい。
「綾子って、澪っちの友達の?」
「あ、やば……。じゃなくて、うん、そう」
「そっか、AYAたそと同じ名前だ。澪っちは、あやって名前に縁があるんだねぇ」
「うん。そうだね」
いまは、多くを語らない。
いつか倉持さんにも、説明する日が来るだろう。そしてそれを知ったとき、倉持さんは、どんな顔をするだろうか。
その未来を想像すると、気持ちが、より明るくなる。
「でも、せっかくこうやって、澪っちの家に出入りできるようになったのに、友達がいないの、さみしいなぁ」
「そうだね」
ゆったりとしたメロディが流れ始めると、綾子はマイクを口に寄せる。
誰よりも早く光を届けてくれるのは。
あなたの優しさの証。
ひっそり星空に溶け込んでいくのは。
あなたの慎ましさの証。
一番の歌詞は、綾子から見た澪の印象。
綾子が澪に向けて語ってくれる言葉だった。
それを綾子は、一番の歌詞にしてしまった。
公私混同もいいところだけれど、きっと、どこかで澪や綾子と似た孤独を抱えている人がいる。
孤独を抱え、同じ悩みと不安を抱えている人が。
この歌が、澪みたいに、自分には才能が無いって自信が持てない人の支えになればいい。
そうしたら、こんな恥ずかしい思いをしたことも報われる。
「しっとりバラードも、ちゃんと歌いこなせてるよー。AYAたそ、また綺麗になったなぁ」
「うん。大人っぽくなった」
初めて、観客の目のまえで歌っているのに、ステージ上で、堂々と新曲を披露している綾子の面影は、少しだけ大人びていた。
空は移ろい、星はめぐる。
わたしたちの意志なんて、おかまいなしで。
なにか一つのきっかけで、人と人が出会ったり、離れ離れになったりする。
ときには、神様がいたずらしたような、信じられないめぐり合わせが起きたりする。
良いことも、悪いことも、そのすべてに、人間の努力がかかわれるとは、限らない。
「澪っち、さっきの、ごめん」
「なにかあった?」
「友達がいなくてさみしいって。友達が遠くに引っ越して、澪っちのほうが、さみしいに決まってるのに」
「ううん。大丈夫」
そうだ。大丈夫、なんだ。
ひとりで夜空を照らす星。
みんなに希望を届けてくれる。
「わたしたちは、お互いに、また会いたいって思ってるから、大丈夫なんだよ」
そしてそのときにまた、わたしたちは、わたしたちの唄を紡ぐのだ。
「それならいいんだけど。ウチ、自己中だからさ、自分のことを優先しちゃうんだよね。バイトでがんばって働いてれば、この癖、治るかなぁ?」
「バイトもいいけど、勉強もしないとでしょ。成績悪いと、バイト禁止にされちゃうよ」
「澪っち! いつからそんないじわる言うようになったの!? AYAたそのライブ見てるときに、イヤなこと言わないで!」
倉持さんは、ふてくされて布団をかぶってしまった。
パソコンの中では、綾子が、大きな拍手を浴びていた。綾子の額の汗が、星みたいにきらめいている。
一人きりで輝き続けられるのは。
あなたの強さの証明。
星の海に飲まれても。
その輝きは、褪せないから。
いつかわたしも、綾子と同じ気分を味わいに行く。
そのために、一歩ずつ前に進んでいくのだ。
後悔はしていない。
だってこの道の先には、綾子が待っていてくれるのだから。
だけど……。
と、ふとしたときに、考えてしまうこともある。
もしも、どこかで違う選択をしていたら、違った今も、あったのかもしれない。なんて。
今とは違った形の、今。
それと見比べて、わたしの選択が正解だったと知ることができたら、こんなに楽なことは無いのに。
(そうじゃない、か)
なにが正解かを決めるのは、澪自身なんだ。
選んだ道の先にあったものが、いまの澪が望んでいるもので無かったとしても。
それで、不正解だったとは限らない。
選んだ道に、後悔をしないように。
選んだ道が、正解だったと胸を張って言えるように。
わたしは、わたしとして生きていく。

