わたしたちは星の歌を紡ぐ

「ひとつのボタンのかけちがいで、ぜんぜん違う未来が待っていたかもしれないんだよね」
 澪は言う。
 綾子はうなずいてから、
「でも、選べる未来はひとつだけですから」
 健やかに笑った。
 芯の強さを感じさせる笑顔だった。
 綾子には、どんな未来が待っていようが、関係ない。
 そこにある現実を、素敵なものに変えてしまえるから。
 そんな綾子のことを、誰よりも綾子が信じることができるから。
 だから、澪も……。






                         ※





「お仕事中、失礼します」
 綾子は、事務所のドアを開けた。
 今日はオフのはずの綾子が姿を現したことで、スタッフたちは騒然としていた。
「綾子さん、今日は、お休みだったんじゃ……」
 遠慮がちに声をかけてきたスタッフを無視して、事務所の一点を目指す。
「智子さん」
「どうしたの? せっかくのオフなのに、事務所なんかにやって来て」
「ある人を、事務所のスタッフとして推薦したいんです」
「いまは、スタッフの数は足りているわ」
「有望な人材です。いまのうちに、いろんな経験を積ませてあげたいんです」
「いまのうち、というのは?」
「その人は、私と同い年です」
 スタッフたちが、息を飲む音が聞こえた。
 みんな、綾子が錯乱して、無茶苦茶なことを言っていると思っているかもしれない。
 だけど、綾子は、おおまじめだ。
 いまは、いろんな分野で、年齢が若いうちから活躍する人が増えている。
 若いときには、若いうちにしか感じられないことがある。だから、澪がまだ高校生であるうちに、いろんな世界を見せてあげたいのだ。
「その子は、なにができるの?」
「いまはカメラが趣味です。撮影した写真を見て、美的センスに優れていると感じました」
 必要な情報だけ、伝える。綾子が感じたままの澪を。
 それをどう判断し、どのように人材として事務所に組み込むかは、智子の仕事だ。
 智子は、瞳を閉じて、考えた。
 こういう話を、感情や偏見で、ばからしいと切り捨てることを、智子は絶対にしない。
 常識にとらわれていたら、事務所をここまで大きくすることなんて、できはしないのだから。
(そうだ。澪ちゃんが送ってくれた画像)
 あの綾子の画像を見れば、智子も納得する。
「あなたは、とても大きな木になってくれた。私の、想像以上に」
 スマホを手にしたタイミングで、智子が語り出した。
「あなたが推薦する、その子は、あなたという木を支えきることができるの? もし、支えきれずに倒れてしまったら、あなたは責任をとれるの?」
「そ、れは……」
 息が止まりそうになった。
 いきなり心臓に刃物を突きつけられたような感覚に陥って、スマホを事務机の上に落としてしまった。
 綾子が落としたスマートフォンは、画像を隠すように、裏返しになった。
 もしも、澪が、綾子という木を支えきることができなかったら。
 そのときに待っているのは、いまの綾子と智子のような、冷えた関係。
 後になって、あのときに余計なことをしなかったらと後悔しても、もう遅いのだ。
(いいの? 本当に? この先に進んで、いいの?)
 わからなくなった。
 いまここにある、澪が好きという気持ちが、この先に進むことで、変わってしまったら?
 なにも無い関係になってしまったら?
 それだったら、いまのままでいたほうが、お互いに幸せなんじゃないの?
「あなたが即答できないのなら、この話はそれまでだわ」
 なにも言えずにいる綾子に、智子は残酷なほど冷静に告げた。
 そのとおりだ。
 そのとおりすぎて、悔しかった。
「すみません。お騒がせしました。明日から、またよろしくお願いします」
 裏向きになったままのスマホを握りしめて、智子に頭を下げた。
「ええ。気をつけて帰るのよ」
 そして智子は、何事も無かったように、ノートパソコンのキーボードを叩き始めた。
 事務所のドアを閉めて、廊下の壁に額を押しつけた。
(私は、まだ子どもなのね)
 今日、やっとそれを自覚できた気がした。
 大勢のファンを獲得して、コンテンツが大きくなって、自分の能力を、過大評価していた。
(まだ、早かったんだわ……)
 なにもかも。
 澪との、出会いも。
 綾子が、握りしめていたスマホで電話をかけようとしたときに、着信があった。






                   ※




 綾子が差し出してくれた手を取っていいのか。澪に、その資格があるのか。
 澪は、ホームのベンチに座って、考え込んでいた。
 そうしているうちに、一本、帰るための電車を逃した。
 時間というのは残酷だ。
 澪が時間を欲していようが、冷静に過ぎ去ってしまう。
 時間が過ぎ去ったことを証明するように、次の電車がホームに流れてきた。
 でも澪は、さっきと同じように列車がやって来たことで、時間がループしているように錯覚した。
 それは、澪の思考がぐるぐるとループしていることを意味していた。
 電車に乗った澪は、食い入るように、撮影した綾子の画像を見つめていた。
 澪は、綾子のことが好きなのだ。
 ずっと、友達でいたい。
 そして綾子の理解者でいたい。
 だけど、いまの澪が、それを叶えることができるのだろうか。
 綾子は、澪のことを評価してくれるけれど、いまの澪には、なにも無いのだ。綾子みたいな成功体験も。
 この先、如月澪という苗木が、綾子が望むほどの大きな木として成長できる保証なんて、どこにも無い。
 電車は無機質で事務的に、乗客たちを運んで行く。
 車両内には、まったく熱量というものが無いように感じられた。
 そんなことは無い。
 電車には、いろんな人が乗り合わせていて、それぞれが、それぞれの目的をもって、移動をしている。
 それを観察している澪に熱が無いから、車両の中が、おおげさに言えば、世界が無機質で、冷めているように感じるのだ。
(こんなこと、まえにもあったな)
 そうだ。あれは、倉持さんと別れた後だった。
 常に、熱量を持って日常を送ることができる彼女のことを、うらやましく思っていた。
(うらやましく思っているだけで、いいの?)
 自分にはなにも無い、誰もなにも与えてくれないと嘆いているだけの毎日。
 そこから抜け出すための答えは、求め続ければ、きっと見つかる。
(だって、私と綾子は、出会うことができたんだから)
 澪は、降車駅に到着すると、ホームに降り立って、電話をかけた。