わたしたちは星の歌を紡ぐ

 綾子が差し出してくれた手を取っていいのか。澪に、その資格があるのか。
 澪は、ホームのベンチに座っていた。
 そうしているうちに、電車がやって来る。
 時間というのは残酷だ。
 澪が時間を欲していようが、冷静に過ぎ去ってしまうのだから。
 電車に乗る。
 乗るべき電車に乗ったはずなのに、思考はふらふらとさまよったまま。
 電車に乗った澪は、食い入るように、撮影した綾子の画像を見つめていた。さまよう思考の道しるべだ。
 澪は、綾子のことが好きだ。
 ずっと、友達でいたい。
 だけどそれを、いまの澪が叶えてしまっていいのだろうか。
 綾子は、澪のことを評価してくれるけれど、いまの澪には、なにも無い。
 綾子みたいに、大勢の人から支持を集めているわけじゃない。
 こないだ綾子が例えたように、澪は苗木の状態。
 この先、如月澪という苗木が、綾子が望むほどの大きな木として成長できる保証なんて、どこにも無い。
 電車は無機質で事務的に、乗客たちを運んで行く。
 車両内には、まったく熱量というものが無いように感じられた。
 そんなことは無い。
 電車には、いろんな人が乗り合わせていて、それぞれが、それぞれの目的をもって、移動をしている。
 それを観察している澪に熱が無いから、車両の中が、おおげさに言えば、世界が無機質で、冷めているように感じるのだ。
(こんなこと、まえにもあったな)
 それは、いつのことだっただろう。
「澪っち、だよね」
 うつむいていた顔を上げると、そこには、見知った顔があった。
「やっぱ、澪っちだ」
 倉持さんは、すとんと腰を下ろして、澪の隣に座った。
「へへへ。むずかしい顔してたから、話しかけるかどうか、迷ってたんだ」
 倉持さんは、いつもどおりに楽しそうだ。
 電車の車両内は、一気に熱を帯びたようだった。
 好ましく感じるはずのその熱が、今日は、わずらわしかった。
 常に、熱量を持って日常を送ることができる彼女のことが、うらやましい。
(うらやましく思っているだけで、いいの?)
 自分にはなにも無い、誰もなにも与えてくれないと嘆いているだけの毎日。
 それだけで、いいのか。
 倉持さんや綾子みたいに、充実した日々を送りたくないのか。
「倉持さん。聞いていい?」
「どしたん? あらたまって」
「私が、むずかしい顔してたって言ってたでしょ」
「うんうん。なにかお悩み中?」
「もし、私が話しかけてほしくなくて、怒っちゃったら、どうするつもりだったの?」
 どうして、本心のままに行動を起こすことができるのだろう。
 選択を間違うこと、失敗することが怖くないのだろうか。
「え、そんなこと?」
 きょとん顔になった倉持さん。
「ごめんなさいって謝れば、済む話じゃん」
「そ、それだけ?」
「だって、他にどうしようも無くない?」
「そうだけど、相手の人に嫌われたりしたらどうしようとか、不安にならない?」
「嫌われちゃったら悲しいし残念。でも、ウチはこういう生きかたしかできないんだよ」
「倉持さんの、生きかた……」
「おおげさかもだけどね。でもウチは、ウチがこうしたいって思ったことを、抑えられないし、抑えたくない。我慢は体に毒だから」
「我慢、か」
 そう言われると、澪はいつの間にか、自分に我慢を強いていた。
 とにかく相手を不快にさせないように、変わっているって言われないように立ち回って、本当の自分を抑え込んできた。
 それは、なんでなのか。
「倉持さん、聞いてほしいことがあるんだ」
「お。どしたどした。いつになく澪っちが積極的だ」
「私ね、中学のときに……」
 あのときの光景が、脳に焼きついているから。
 だから脳が、リスクを冒すことを拒絶する。
 二度と、あんなイヤな思いをしないように。
 だから、心が走り出そうとしても、脳がブレーキをかけてしまう。
 如月澪が、如月澪を信じることを、できなくしている。
 だったら、どうする。
(もう、手放そう)
 あの記憶を。
 そして、本当のわたしになるんだ。
 本当のわたしになる、ということに比べたら、道の先にあるものが、成功とか、失敗とか、そんなの、ちっぽけなものじゃないか。
「みんなは、私のことを控えめとか、慎み深いとか言ってくれるけれど、本当は、そうじゃないんだ。私は、怖いの。余計なことを言って、変わってるって言われて、私を否定されるのが、ずっと怖かった」
 倉持さんは、視線を電車の床に落として、澪の話を聞いていてくれた。
 おしゃべりな倉持さんなのに、黙って聞いてくれていた。
「ありがとうね」
「ありがとう、なんだ」
「だって、ウチのことを信用してくれたから、話してくれたんでしょ」
「うん。倉持さんなら話しても大丈夫かもって、ずっと思ってたんだけど、怖くて……」
「ウチはさー」
 倉持さんは、背伸びをして体をほぐした。
 黙って人の話を聞くっていうことに慣れていないから、疲れたみたいだ。
「ウチは、澪っちと違っておバカだから、アドバイスなんかできない。だから、ありがとうなんだよ」
「あはっ」
 自然と、笑っていた。
 倉持さんの正直さと潔さが、すごく清々しい。
「澪っちが、そんなふうに笑ったの、初めてだね」
「そ、そう?」
「困った顔もかわいいけど、笑顔もかわいい」
「ん……」
 恥ずかしくなって、口を結んでしまおうとしたけれど、がんばって、
「……。ありがとう」
 と、お礼を言った。綾子の真似だった。
「自信持ちなよ。澪っちのこと嫌いになれる人なんて、レアだよレア。トイレで陰口言ってた女の子たちがおかしいんだよ」
 その考えかたは無かった。
 ずっと、澪がおかしいんだと思い込んでいた。そうやって、自分で自分を洗脳してきた。
 洗脳を、解こう。
 心に任せて、生きてみよう。いや、生きてみたい。
 その方法は、親友が用意してくれる。
 次の停車駅で、飛び降りるように電車から降りた澪は、着信を入れていた。