わたしたちは星の歌を紡ぐ

 流れ星みたい。
 不意に澪の口からこぼれた形容詞。
 綾子の瞳からこぼれた、ひとさしの雫が、ほほをすべって、床に落ちる。
(あのときと、同じだ)
 海で、綾子に初めて出会ったときにも、綾子は涙をこぼした。
 それは澪の願いを叶えてくれる、流れ星。
 ひとりぼっちだった澪に、友達を与えてくれた。 
 ずっと欲しかった。
 学校での平穏な生活、友人、澪のことを受け入れてくれる場所と人。
 それで、満たされるはずなのだ。普通であれば。
 でも、流れ星は、ふたたび澪の前に舞い落ちた。
 この流れ星は、いったい、澪になにを与えてくれるのか。
 その答えを澪は誰よりも知っているはずなのに、知らないと、うそをつきたい自分がいた。
 美しすぎる流れ星は、澪の本心を映し出してしまう水晶のようだった。
「澪ちゃん」
 綾子が澪の名を呼んだ。
 澪の心臓が、早鐘を打つ。
 胸から心臓が飛び出てくるんじゃないかというくらいに、激しく上下している。
 アクアリウムから伸びてくる青白い光が、綾子の純白のワンピースを照らす。
 白いワンピースが、薄いブルーのドレスみたいに見える。
 息を飲む。
 綾子が、あんまり綺麗すぎるから。
 綾子の背景にあるアクアリウムは、大きな、大きな星空。
 そんな、大きな星空すらも、綾子は自在に操ってしまいそう。
 自在に、無限の星空を泳いでしまいそうだった。
「写真、撮ってくれますか?」
 綾子はそう言うと、帽子を取って。
 眼鏡を、外した。
 澪は。
 確信するよりも、そのことを口にするよりも早く。
 カメラを手にして、シャッターを切っていた。
「行きましょうか」 
 帽子と眼鏡をもとに戻して、綾子は、綾子になった。
 その後は、二人、なにも言わないで水族館を散策した。
 もしかしたら、なにか話したかもしれないけれど、澪は覚えていなかった。
 どんな魚を見たのかも、覚えていない。
 ただ、あの大きな星空を背景にした女の子の姿は、澪の脳裏から消えることは無かった。
 気づいたときには、館内にある喫茶店で、綾子と対面で座っていた。
「澪ちゃんとは、普通の友達でいたかったんですけれど、わたしたち、それだけじゃ収まらないみたいですね」
 綾子は苦笑しながら、アイスココアのストローに口をつける。
「じゃあ……、綾子は、本当に、その……」
 澪のまえにはホットコーヒーが置かれている。
 どうやら澪が注文したものらしいけれど、口に運ぶ気になれなかった。
 だって、膝の上に置いた手が震えてしまっているから。
 こんな手で、コーヒーカップを持ったら、中身をこぼしてしまう。
 澪が、本当に、と言ったところで、綾子は視線を伸ばしてくる。
 目が合うと、どぎまぎしてしまう。
「澪ちゃんたち、姉妹そろって勘が鋭そうですもんね。言い訳だけじゃ、バレちゃいそうな気はしていました」
「じゃ、じゃ、じゃあ……。私たちが考えてる、あの歌詞って……」
 手だけじゃなくて、体まで震えてきた。
「はい。私が歌う曲の歌詞です」
 綾子は、テーブルに手帳を広げてみせた。
 気が、遠くなっていく。
 あんな、ネットですごい人気を誇っているアイドルの曲に、澪がかかわっていたなんて、話のスケールが宇宙なみで、理解が追いつかない。
「行き詰っていたのは、本当なんです。初めての作詞で、でも、この曲を披露するイベントが近づいてきて……。事務所の人には催促されるし……。他にも、いろんな要因はあったんですけど。あの日、なんとなく海が見たくなって」
 そこで、散歩中の澪が、偶然、綾子が泣いているところを見つけた。
「ネットアイドルとして大きくなっていく自分と、本当の私との溝が、大きくなってきちゃったんです。本当の私は、必要とされなくなるんじゃないかって、不安になって」
 孤独だった。
 と、綾子は語った。
「だから、澪ちゃんと出会えて、見つけてくれて、ああ、普通のお友達ができるんだなって、うれしかったんです。でも……」
 スマホの画面を澪に見せる。
 澪が撮影した、綾子の写真だった。
「澪ちゃんが撮影してくれた、この写真。澪ちゃんと一緒につづった、この歌詞。これは、澪ちゃんの才能を現しています」
「そん、な、こと……」
 綾子は首を振る。
「私がそう思うんですから、間違いありません。澪ちゃんは、とても素敵な感性を持っています。それは、ちゃんと評価されるべきです」
 ぼんやりと、感じていたことがある。
 澪には、澪にしか無い感性を持っているかもしれない。
 他の人には無い、なにかを持っているかもしれない。
 それを認めてくれる人が現れたなら、いまよりももっと、刺激的な毎日を送れるかもしれないって。
(だけど、私なんかが……)
 でもそうやって、自分を過小評価していれば、いまのままでいられる。
 平凡だけれど、リスクを負うことが無い日々。
 それは平穏って言いかえることもできる。
 学校の友達と、なんてことの無い毎日を送る。それもまた、澪が欲しかった日常に違いなかった。
「むずかしいお話は、後回しにして」
 綾子が、立ち上がる。
 まっすぐに澪を見つめてくる。
 瞳が、ごまかしようのない、澪の本心を突き刺してくる。
「澪ちゃん。私と、一緒に来てください」
 綾子が手を差し出してきた。
 その手を握るということは、綾子と対等な関係になるということだ。
 綾子が、AYAっていう人気アイドルということを知ったうえで、同じ視線で、同じ立場で、綾子の隣にいてほしいという申し出だった。
 いままで、なにも無い、なにも持たないと思っていた人間に、突如として与えられた、選択肢。
 ここに、綾子の瞳が見つめている、ここに。
 本当の如月澪がいるのなら、迷うことなく、綾子が差し出してくれた手を握り返すべきだ。
 だけど、澪が手を伸ばそうとするのを拒むのもまた、如月澪だった。
 中学生のころに、変わっていると嗤われて、わたしのことを否定されて……。
 周りとは違うんだって、だから、本心をかくして、守らなきゃって、他の人にこれを見せるのを拒んできて。
 ずっとそうして、ひっそりと生きてきて、これからもずっと、ひっそりと生きていくんだろうなって思っていた澪が、いきなり、綾子と同じ舞台に上がることなんて、許されるんだろうか。
 目の前にある手をとってしまえば、すべてが決まるし、すべてが変わるのに。
「考え、させて」
 できない。澪には、それが、できなかった。
「そう、ですね。急なお話でしたもんね」
 綾子は、手をひっこめて、
「それじゃ、またお話しましょう」
 荷物をまとめ始めた。
 無性にさみしくなった。
 今生の別れになるわけでもないのに。
「綾子」
 もしかしたら、声をかけたのは失敗だったかもしれない。
 綾子は、黙って澪と別れたかったかもしれない。
「はい」
 でも綾子は、澪の声に応じてくれた。
「さっき撮影した画像、いる?」
「もちろんです。澪ちゃんが撮ってくれたんですから」
 綾子は、なんの含みも無く笑ってくれた。
 それで、その言葉が、心からのものだとわかる。
 画像を添えて、メッセを送信。
 そうして、電波を介して綾子とつながる。
 つながっていられる。
 それが、澪の心に安堵感をもたらした。
 水族館を出て、綾子を見送った。
 なにも言えずにいる澪を、綾子は、目を細めて見つめていた。
 心のままに、即答しちゃったほうが楽なのに、貴女は、いろんなことを考えてしまうのね。でも、それが貴女らしさでもあるのよね。
 去り際の綾子の目は、そう言っていた。