空の青が、かすかに薄くなってきた。あかね色に染まる準備を始めている。
(いい景色だ)
初夏の放課後の空に、澪の感性がくすぐられる。
でも、カメラを構えたくなる衝動は抑えた。学校で、自分の趣味をさらけ出すことに、抵抗してしまう。
澪は、校舎の二階から体育館に伸びている連絡通路の下をくぐった。
その先は、ゆるやかに道路がかたむいていて、校門を抜けた先は、本格的な坂道になっている。
澪たちが通う、私立花咲丘高校は、その校名のとおりに、丘の上に校舎が建っていた。
丘の上から見下ろす街並みは、住宅街、オフィスビルにショッピングモールと、いかにも都会といった風情。
生まれてこのかた、都会生まれ都会育ちの澪にとっては、落ち着く環境である。
同級生の中には、中学まで田舎を出たことが無いという生徒も当然いる。そういう人にとっては、都会の風に触れるだけで、テンションが上がるものらしい。
がらりと生活環境が変わり、未知の世界で、未知の情報を肌で感じる。
その刺激の味わいは、どれほどのものだろう。
澪には、そういう人たちがうらやましかった。
大人になると一年が早く感じられるみたいだけれど、高校に入学してからの澪の一年間も、あっという間にすぎていった。
登校して、目立たないように勉強をして授業を受けて、こそこそと家に帰る。毎日、同じルーティーンをこなしていたら、いつの間にか十七歳になっていた。
いっそのこと、そんな高校生活でいいよって割り切ってしまえれば楽なのに、十七っていう中途半端な年齢が持つ、あり余る気力と体力が、それを許してくれない。
校門から伸びている坂道を、ダッシュで駆け上がっていく一団があった。
下校する生徒たちの横を通りすぎて、一気に校門まで到達しようとしている。女子ソフトボール部の部員たちだ。
「ファイト、ファイト―!」
他の部員が大きな声で、坂道を駆け上がっていく仲間の背中を押す。
なにかと問題になることもある、運動部の活動だけど、こういうシーンを見ると、チームスポーツも悪く無いなと思える。
(部活に入るっていう選択肢もあったんだけどなー)
漠然と考える。
本当に漠然としていて、澪が、あの集団の中に混じっているのをイメージすることはできなかった。
(写真部、無いしなぁ……)
澪の中で、唯一、趣味と呼べるのが写真撮影だった。
自分がいいなと思った景色を、思うままに撮影する。美しい景色をカメラに収めることができたときには、うれしくなって、心がうるおう。
しかし、澪がいいなと感じる、感性とか価値観とかいうものは、素の澪と直結している。
ここの部分を表現して、他人にさらけだすということは、本音をさらけ出すのと同じことだ。
澪が良いと感じたもの、撮影したものが否定されてしまったら、それは、澪を否定されることにつながる。澪は、そういうふうに「わたし」を否定されることに過敏だった。
だから、高校に写真部が無いと知ったとき、澪は落胆し、安心もした。
もしも写真部があったなら、澪は入部しただろうか。
胸を張ってイエスと答えることができない自分が、情けなかった。
数少ない趣味ですら、他人とつながることをためらう。
他人とのつながりを欲するなら、もっと自発的に行動するべきなのだ。写真部が無いのなら、自分で部活を作るくらいの気概が無くて、どうして友人なんてできるだろうか。
たいして愛着の無い、ウルフカットの毛先を両手でにぎりしめた。
「澪っち、ソフト部に興味があるカンジ?」
「倉持さん……」
坂道ダッシュをしているソフトボール部を眺めていると、声をかけられた。
「倉持さん、一人?」
会話慣れしていない澪でも、すぐに言葉が出てくるほど、それは意外なことだった。
いつも、複数の人間と絡んでいる印象がある倉持さんなのに、いまは一人きりなのだ。
いや、厳密に言えば、いまは澪と二人なのだけど、澪は無意識のうちに、倉持さんと一緒にいる自分、というイメージを切り捨てていた。
一匹狼でいる澪が、あまりにもリアルな現実として、澪の脳にこびりついているのだった。
「うん。一人。行こ行こ」
「あ、うん」
倉持さんが自然に言うものだから、つられてしまった。
澪は、二人で並んで、坂道を歩いていた。
ここを自分以外の誰かと歩いたのは、入学してから初めてのことだった。
「さすがの優等生ちゃんも、歩きながら勉強はしないっしょ」
優等生なんかじゃない。
暇を持て余しているから、休み時間でも教科書を開いているだけのことだ。
だったら、それは本当のわたしじゃないんだよ、と告白して、倉持さんの誤解を解いてしまえばいいのに、
「ここで捕まえれば、澪っちとお話できると思って、ねらってたんだよね」
澪の本心は形に成ることは無かった。
馴れ合いを嫌う、一匹狼。
その実態は、巣から出ることをこわがっている、独りぼっちの女の子。
「わっ、私、倉持さんが、わざわざ時間を割くほどの人間じゃないよ」
自分がイヤになる。
澪と話すために待ってくれていたのに、澪から発せられたのは自虐だった。
これじゃあ、倉持さんも気分を悪くしただろう。
確実に印象を損ねたし、場の雰囲気を悪くしてしまった。
澪は、倉持さんの顔を見ることができずにいた。
「澪っちのために時間を割くことに価値があるかどうかなんて、ウチが決めることでしょ」
「!?」
「ホントに、澪っちは慎み深いねー」
倉持さんは、澪の肩を叩きながら笑う。
どうも彼女は、澪を必要以上に評価してくる。いまは、その過大評価に救われたけど、居心地は悪い。
坂を下り終わると、道路は、駅へと続く大通りに合流する。
歩道をまっすぐに歩いて行くと、10分くらいで駅に着くけれど、途中には、ファーストフードやカフェ、カラオケ店など、高校生の興味を惹くのにじゅうぶんな施設が、たくさんある。
好奇心が旺盛な倉持さんは、そういうお店のまえを通るたびに目を輝かせて、リアクションをとっていた。
(なんか、いいな)
いろんなことに興味を持つことができて、いろんなことで心を弾ませることができる。そんな倉持さんを、澪は、好ましいと感じた。
「澪っちは、いいよね」
「えっ」
「落ち着いてて」
倉持さんは、意外なことを言い出した。
「ウチはさ、見てのとおり、落ち着きが無いじゃん?」
そして、苦笑いする。
「あ、あの……」
「それに、ウチは、周りに人がいないと不安になっちゃうんだよね。だから澪っちは、いつも一人でいてすごいなって」
「あのっ。く、倉持さん……」
恥ずかしくて、首がかゆくなってきた。
倉持さんは、勘違いをしている。
澪は、倉持さんが言うような人間では無い。
他人に自分を解放するのが怖くて、独りを選択してしまうだけだ。
(あ、でも)
澪も澪で、いろんなことに興味を持っている倉持さんのことを、好ましいと感じた。
自分から見た自分と、他人から見た自分。
そこには、大きなギャップがあるのかもしれない。
自分から見た自分と、他人から見た自分。
どちらが虚像で、どちらが本物なのだろう。
なんてことを考えているうちに、駅に到着した。
(いい景色だ)
初夏の放課後の空に、澪の感性がくすぐられる。
でも、カメラを構えたくなる衝動は抑えた。学校で、自分の趣味をさらけ出すことに、抵抗してしまう。
澪は、校舎の二階から体育館に伸びている連絡通路の下をくぐった。
その先は、ゆるやかに道路がかたむいていて、校門を抜けた先は、本格的な坂道になっている。
澪たちが通う、私立花咲丘高校は、その校名のとおりに、丘の上に校舎が建っていた。
丘の上から見下ろす街並みは、住宅街、オフィスビルにショッピングモールと、いかにも都会といった風情。
生まれてこのかた、都会生まれ都会育ちの澪にとっては、落ち着く環境である。
同級生の中には、中学まで田舎を出たことが無いという生徒も当然いる。そういう人にとっては、都会の風に触れるだけで、テンションが上がるものらしい。
がらりと生活環境が変わり、未知の世界で、未知の情報を肌で感じる。
その刺激の味わいは、どれほどのものだろう。
澪には、そういう人たちがうらやましかった。
大人になると一年が早く感じられるみたいだけれど、高校に入学してからの澪の一年間も、あっという間にすぎていった。
登校して、目立たないように勉強をして授業を受けて、こそこそと家に帰る。毎日、同じルーティーンをこなしていたら、いつの間にか十七歳になっていた。
いっそのこと、そんな高校生活でいいよって割り切ってしまえれば楽なのに、十七っていう中途半端な年齢が持つ、あり余る気力と体力が、それを許してくれない。
校門から伸びている坂道を、ダッシュで駆け上がっていく一団があった。
下校する生徒たちの横を通りすぎて、一気に校門まで到達しようとしている。女子ソフトボール部の部員たちだ。
「ファイト、ファイト―!」
他の部員が大きな声で、坂道を駆け上がっていく仲間の背中を押す。
なにかと問題になることもある、運動部の活動だけど、こういうシーンを見ると、チームスポーツも悪く無いなと思える。
(部活に入るっていう選択肢もあったんだけどなー)
漠然と考える。
本当に漠然としていて、澪が、あの集団の中に混じっているのをイメージすることはできなかった。
(写真部、無いしなぁ……)
澪の中で、唯一、趣味と呼べるのが写真撮影だった。
自分がいいなと思った景色を、思うままに撮影する。美しい景色をカメラに収めることができたときには、うれしくなって、心がうるおう。
しかし、澪がいいなと感じる、感性とか価値観とかいうものは、素の澪と直結している。
ここの部分を表現して、他人にさらけだすということは、本音をさらけ出すのと同じことだ。
澪が良いと感じたもの、撮影したものが否定されてしまったら、それは、澪を否定されることにつながる。澪は、そういうふうに「わたし」を否定されることに過敏だった。
だから、高校に写真部が無いと知ったとき、澪は落胆し、安心もした。
もしも写真部があったなら、澪は入部しただろうか。
胸を張ってイエスと答えることができない自分が、情けなかった。
数少ない趣味ですら、他人とつながることをためらう。
他人とのつながりを欲するなら、もっと自発的に行動するべきなのだ。写真部が無いのなら、自分で部活を作るくらいの気概が無くて、どうして友人なんてできるだろうか。
たいして愛着の無い、ウルフカットの毛先を両手でにぎりしめた。
「澪っち、ソフト部に興味があるカンジ?」
「倉持さん……」
坂道ダッシュをしているソフトボール部を眺めていると、声をかけられた。
「倉持さん、一人?」
会話慣れしていない澪でも、すぐに言葉が出てくるほど、それは意外なことだった。
いつも、複数の人間と絡んでいる印象がある倉持さんなのに、いまは一人きりなのだ。
いや、厳密に言えば、いまは澪と二人なのだけど、澪は無意識のうちに、倉持さんと一緒にいる自分、というイメージを切り捨てていた。
一匹狼でいる澪が、あまりにもリアルな現実として、澪の脳にこびりついているのだった。
「うん。一人。行こ行こ」
「あ、うん」
倉持さんが自然に言うものだから、つられてしまった。
澪は、二人で並んで、坂道を歩いていた。
ここを自分以外の誰かと歩いたのは、入学してから初めてのことだった。
「さすがの優等生ちゃんも、歩きながら勉強はしないっしょ」
優等生なんかじゃない。
暇を持て余しているから、休み時間でも教科書を開いているだけのことだ。
だったら、それは本当のわたしじゃないんだよ、と告白して、倉持さんの誤解を解いてしまえばいいのに、
「ここで捕まえれば、澪っちとお話できると思って、ねらってたんだよね」
澪の本心は形に成ることは無かった。
馴れ合いを嫌う、一匹狼。
その実態は、巣から出ることをこわがっている、独りぼっちの女の子。
「わっ、私、倉持さんが、わざわざ時間を割くほどの人間じゃないよ」
自分がイヤになる。
澪と話すために待ってくれていたのに、澪から発せられたのは自虐だった。
これじゃあ、倉持さんも気分を悪くしただろう。
確実に印象を損ねたし、場の雰囲気を悪くしてしまった。
澪は、倉持さんの顔を見ることができずにいた。
「澪っちのために時間を割くことに価値があるかどうかなんて、ウチが決めることでしょ」
「!?」
「ホントに、澪っちは慎み深いねー」
倉持さんは、澪の肩を叩きながら笑う。
どうも彼女は、澪を必要以上に評価してくる。いまは、その過大評価に救われたけど、居心地は悪い。
坂を下り終わると、道路は、駅へと続く大通りに合流する。
歩道をまっすぐに歩いて行くと、10分くらいで駅に着くけれど、途中には、ファーストフードやカフェ、カラオケ店など、高校生の興味を惹くのにじゅうぶんな施設が、たくさんある。
好奇心が旺盛な倉持さんは、そういうお店のまえを通るたびに目を輝かせて、リアクションをとっていた。
(なんか、いいな)
いろんなことに興味を持つことができて、いろんなことで心を弾ませることができる。そんな倉持さんを、澪は、好ましいと感じた。
「澪っちは、いいよね」
「えっ」
「落ち着いてて」
倉持さんは、意外なことを言い出した。
「ウチはさ、見てのとおり、落ち着きが無いじゃん?」
そして、苦笑いする。
「あ、あの……」
「それに、ウチは、周りに人がいないと不安になっちゃうんだよね。だから澪っちは、いつも一人でいてすごいなって」
「あのっ。く、倉持さん……」
恥ずかしくて、首がかゆくなってきた。
倉持さんは、勘違いをしている。
澪は、倉持さんが言うような人間では無い。
他人に自分を解放するのが怖くて、独りを選択してしまうだけだ。
(あ、でも)
澪も澪で、いろんなことに興味を持っている倉持さんのことを、好ましいと感じた。
自分から見た自分と、他人から見た自分。
そこには、大きなギャップがあるのかもしれない。
自分から見た自分と、他人から見た自分。
どちらが虚像で、どちらが本物なのだろう。
なんてことを考えているうちに、駅に到着した。

